2016/10/18

移転致しました

当ブログはこの度、下記のアドレスへと移転致しました。

http://stern-sanchi2.cocolog-nifty.com/

当分の間はこちらのサイトも残しておきますが、
以後は新サイトでの更新となります。

今後とも拙ブログをどうぞよろしくお願い致します。

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2016/09/23

とあるクラッシックコンサートにての雑感

先頃、あるコンサートを聴きに行きました。

友人が、そのコンサートに合唱で出演するもので、
彼女の舞台姿を見に行く、というスタンスでの鑑賞だったのですが…

いや、アマチュアとしての参加でありながら
その舞台のきらびやかなことと言ったら、
びっくりするほどのゴージャスさです。

さすが、
総務省統計局のデータによるところの住民の平均年収トップ高級住宅地エリア。

隣に座った奥様方もなんとなく上品で、
耳に入ってくる会話の端々にもヨーロッパのオペラハウスの名前が出てきたり
そこはかとなく漂うセレブの香り…

でも、ね…
なんとなく普通のコンサートっぽくないんですな。
たぶん観客の9割方がその合唱団の関係者っぽいっていうか、
発表会のような様相が会場全体に占めている。

たとえば、
先ほどのオペラハウスの名前を嬉々と話していた奥様は、
彼女の大切な人が出ていないであろう前半の管弦楽演奏中では
ガサゴソとパンフレットを音を立ててめくるし、
他にもピアニッシモでの演奏中にもかかわらず遠慮ない咳が聞えたり…
(これはまあ生理現象ですから目くじら立てるのも何なんですが)


たまたまそのコンサートに来ていらしたらしい普通のクラッシックファンの感想が
後日ネットにUPされているのを拝読したのですが、
その方もそれについて書いていらっしゃいましたね。
「定期演奏会に来る聴衆とはまったく違う客層だ」と。

まあ、かくいう私もこのオーケストラには全くなじみのない、
いわば友人を見るために来た
まさに「まったく違う客層」に属す聴衆のひとりです。

ソリストがどんな有名人でも、
コンサートマスターがどんなに優れたバイオリニストであっても、
所詮自分にはあまりかかわりのない人。

だからそのオケのコンマスが出てきたところで何の感慨もないから
型どおり指揮者が出てきて挨拶して初めて拍手ということになるし、
それが済んだら曲が終わるまでは何が起ころうとも絶対拍手はしない。
楽章の合間にソリストたちが登場しようが何しようが、
それがマナーだと固く信じて沈黙を守ります。
(考えてみると普通の演奏会では違いますよね。
コンマスが登場したり、楽章と楽章の間にソリストが登場したりすると
そのたびに彼らへの拍手が確かに沸き起こるようです。)

その代わり、
感動の如何にかかわらず、
曲が終了すればもう割れんばかりの拍手を
指揮者に、オケに、ソリストたちにと惜しみなく注ぐ…
通路側の奥様達に遠慮して
休憩時間にロビーで身体を伸ばさなかったことがタタり、
後半は腰がつらいことになりましたが、
それでも懸命に拍手を続けました。

まさに日本的儀礼の喝采。
もちろん素晴らしい演奏だったことに間違いないのですが、
その演奏より、(私を含める)聴衆の雰囲気の違和感のほうが気になる、
そんな舞台になってしまったことは確かです。


友達の舞台姿をみるのはとても晴れがましく
誇らしい気持ちいっぱいになったのですが、
なんだかちょっぴり惜しいかんじ。


なんなんでしょうね、
この感覚は……


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2016/07/11

アベノミクスはこうして信任された

さて、
昨日の参院選。


選挙ってのは投票所に行くのはどうも面倒なものですが、
それでも私はかなり好きなほうです。

万難を排して炎天下の中、自分の小さな小さな一票を投じに行く。
その理由は、

私のこの一票がこの国の未来を変える確信があるから…

ではもちろんありません。

まあ、あれですわ。
8時と同時に始まる選挙速報番組を心ゆくまで楽しむため、ですわ。
馬券を買わずに見る競馬などありえません。
まさに「参加してこその選挙!」なわけです。

ふざけているって?
そうかもしれません。
でもそんな風にテンションをあげないとなかなかつらいものがある。

与党はとても信任する気にはならない。
しかし野党はもっとダメダメだし・・・
まさに八方ふさがり。


……


で、
結果は思った通りの与党の圧勝でした。

われらが首相はこう仰います。
「しっかり、この道(アベノミクス)を力強く進んで行け、と信任を得ることができた」と。

しかし、
投票した方はどうなんでしょう。

テレビ画面の下部に表示されるTwitterの言葉はだいたいこんな感じ…

「信任っつうより野党がだらしなさすぎるからしょうがないよなぁ」

こういう発言が多いこと多いこと。

まあ、いいたいことも分からなくはないんですが、
……でも、あぁ、なんだかがっかりしますね。

 
(おいおい、
そんな言い訳めいたことを言うなよ。
そんな100%信任なんて
いつの時代のどんな状況にあったっていうのかい?
それでもあんたはそこに投票したんだろ?
それを政治家が信任って受け取って勝ち誇るのはわかりきっていたことじゃないか?
だったら堂々と胸張って
「おう、俺は信任してやったよ!頑張ってこのまま進めてくれよ!」
ぐらい言う覚悟を持って投票したらどうなんだい!)


私は、
政治の世界っていうのは
その国民の姿をそのまま表しているものだと思います。

野党がだらしないのは、
野党そのものの責任もあるのかもしれないけど、
それだけじゃない。

私たちが心のどこかで
安定した自民政権を望んでいる。
政権交代による不確定要素が自分の生活に入り込んでくることを嫌がっているんです。


(でも、
与党にあまりに傲慢になられるのはちょっと困るしな…)

その程度の不満では
とても心中覚悟で頼りない野党に組するひとはいない……でしょ?

当然です。

こうしてアベノミクスは信任されたわけです。
これは、
掛け値なし正真正銘の「信任」です。


このことを我々有権者はまず認識すべきでしょう。


そこから、

それを良しとするか、

はたまた、
危険かもしれないが
あくまで政治の更なる健全化を目指し
代わりの勢力(=政権交代可能な野党)を国民自ら育てる道を模索するか、

その選択肢が見えてくるのだと思います。


……


しかしながら、

この日本には「政権交代」ってものがそもそも無理なのかな…

その思いは年々確信に近づいてしまっているのも、
正直なところなんですけどね。

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2016/06/20

大人の習い事

4年ほど、声楽を習っています。


……


4年っていうのは私にしては続いているんだと思います。
だから合っていたのかって言われるとそうとも言えない…

だって、どう考えても「楽しい」、ってのとはちょっと違うんですよね。
どちらかというと負担に感じることのほうが多いです。


先生は割とシビアな方だし、
今でも週1回のレッスンの前はかなり憂鬱になるというのが正直なところ。


仕事で疲れているのに、家事もあって、結構いっぱいいっぱいなのに
「ああもう、なんでこんなこと始めちゃったんだろう」って後悔したのも早かったです。
好きだったアリアをiPodで聴いても、
なんだかレッスンのことが頭をよぎって単純に楽しめなくなるのも、頻繁なこと。


でも2年、3年と続けていくうちにね、
発表会にはドレスアップして緊張しながら歌うのも
この年になると貴重な体験。
乙女の永遠の夢であるイブニングドレスを
ハロウィンでもないのに着られるのは音楽を演奏するときぐらいなものでしょう?
(もちろんハロウィンでも私は着たことがなかったですが)


過去の演奏のDVDと比べれば声も幾分かはマシに出るようになってきたし。


なによりよかったのは、
子供たちと習い事や部活の苦労や喜びを、共有できるようになったってことかな。

練習なんて地味でつらいことばかりだけど
それでもやらずにはいられない。

そんな気持ちこの何十年忘れていました。


ちょっとうれしい。

ああ、大人の習い事ってそこがいいのかも…


だから忙しい時間を見て、大切なお金をはたいて、
大の大人が、わざわざ厳しく指導されに行く、のかもしれませんね。


でも
そう思いながらも
やっぱりレッスンに行くのは相変わらず面倒で憂鬱。


毎度、
牛にひかれるように教室に向かう私です。

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2015/03/25

電車と本

電車通勤も3年目の春を迎えた。

目はすっかり老眼になってしまったが、
それでも電車通勤の楽しみは何と言っても読書。
文庫本をコートのポケットに忍ばせて
電車に乗り込みいそいそと頁をめくるのは何とも楽しいひと時だ。

でもねぇ
なかなか出会えないんですよ、
夢中になる本に……

新しい作家さんに一時はまったりはするのだけど、
どういうわけだか長続きはしない。

この前など、どうにも肌に合わなくて未読のまま図書館に返してしまった本があったり。

というわけで
慣れ親しんだ本をまた本棚よりひっぱり出してきて
また読み返す日々が続いている。


しかし昔の文庫本って字が小さいね!

これだけちいさいと、
眼鏡なしでは読むのは無理。
眼鏡を忘れると残念ながら楽しいひと時を失う日となってしまうことに…
また例え眼鏡をかけても
体調がすぐれない場合はけっこうきつい。

それでも背表紙に印字されている¥230円という定価につくづく、
この本への愛着と時の流れを感じる。

痛んだ本を労わるためにも
ブックカバーが欲しい今日この頃だ。


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