2012/02/29

理解し合えないという点でのみ
理解し合えるというジレンマ

少し前にこんな文章を読んだ。

「人と人とは最終的には理解し合えないものである。
ただこの「理解し合えない」という点においてのみ、人は互いを理解できるのだ」


読んでいて、
それは本当のことなのだろう、と思った。
確かに本当…
だけれども同時に「絶望的に寂しい言葉」だと思った。


「理解し合えない」のは確かなことだ。
己を振り返ってみるがいい。
振り返ってみて
かつて誰か他の人を完全に理解したことが一度でもあっただろうか?
また、一度でも
誰かに心の底から理解されていると感じたことがあっただろうか?

答えはNO。


なんと寂しいことなのだろう。

しかし、
「理解し合えない」のが当然のことであり、
当たり前のことなら
何故こんなにも寂しい気持ちにさせられるのか。


……

人は、
それほどまでに自分を理解して欲しいものだから……


「理解しあえないもの」とわかっていても、
自分がかつて誰も理解したことが無いことをその経験上よく知っていたとしても
それでも
この「自分をわかってほしい」という願いを止められないでいる。

わかってもらうために
私たちは生きているといってもいいくらいに
この願いは切実な思いなのだ。

「理解しあえないと知りつつ、理解してもらいたがる」
このジレンマこそが
人間というものなのかもしれない。
もっと言えば
この願いに突き動かされて
人は社会を作り上げてきたのだ。

そして

この無謀な願いをなくしたときは

人はその一生を終えるか、
人ではない別の存在になるか、


どちらかいずれかなのかもしれない。

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2012/01/31

ひとりじかん

ここのところ、一人で夕飯を食べることが多くなった。
週3回の月水金。

一人で夕飯なんて寂しいかと思いきや、
コレが意外と、楽しい…

テレビ番組は自分の好みで選べるし、
見損ねていたDVD鑑賞時間にもあてられる。
(誰も見ないような昔の映画とかちょっとマニアックなやつは
一人で見るに限るのだ。)
それに
皆の帰りを待たないので
結構早い時間に食べられるから美容と健康にもいいし……


結局
いろいろと誰かの世話を焼く必要から解放されたっていうのかな、
なんだか
帰り道も足取りが軽い。


家族団らんもいいが、一人の時間も好いよなぁ


などと羽を伸ばしていると
そういうときに限って、夫が意外と早く帰ってきたりする。

……ちっ

あさってまで「ひとりじかん」のお楽しみはお預けだ。


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2011/12/28

「国」って誰?

……たとえば、社会的な問題について
「何かご意見がありましたら、メールやFAXでお寄せください」
と司会の女性アナウンサーが言ったとして……

そういうとき
必ずといっていいほど寄せられる「ご意見」があります。

それは
「国の責任なのになぜ私たちがそれを負担しなくちゃならないのだ!」
というもの。

この「ご意見」に触れるたびに私はこう思うのです。
一体(この人の言う)「国」って何なのか?誰なのか?と。


多分、いわゆる「政府」のことなんでしょうね。
でもじゃあその「政府」とは誰なのですか?
現首相である野田さんですか?
政府をつくっている与党民主党なのでしょうか?
それとも
その政府で具体的に実務を担当している高級官僚たち?

まあ、「国」ってものが上述の人たちの誰かだとして……
次にこんなことも疑問として浮かび上がってきます。
「その人たちが責任を取って負担を担う」というのは一体どういうことなのでしょうか?
やっぱり個人の私財をなげうって補填しろということなのですか?
それとも給料を一部、あるいは全額返還しろということ?
どうなんでしょう?


……


不思議なのは
「国」のことは大声を上げて非難をする人は数多くいても
面と向かって誰かを名指しで非難する人というのは意外といないということ。
「国」という顔の無いのっぺらぼうを叩くのに、勇気はあまり要りません。
極端な話、
事情がよくわかんなくても「国」を叩いとけばいいような気安さがあるから。

それに対し
顔のある首相や特定の官僚、企業のトップを叩くのには
ある程度覚悟を決めて理論武装をする必要が生じます。
わけもわからずに叩くのは
その顔のある敵に「何も分からんくせに」と返り討ちにあう危険性もあるから…


というわけで、
「国が、」
「行政が、」
と二言目には仰る善男善女の皆様には、
安易にそう言いたがる気持ちも分からないではないですが、
「それって
傍で冷静に聞いているとあんまり格好いいモンではないですよ。」
と言いたいのです。

どうも「とりあえず言っている」という感じになってしまいます。

せめて
具体的に
誰にどういうふうに責任を取ってもらいたいかを
述べるべきでしょう。


そうしないと
主権を持っている国民としては
「クニ」=「私たち国民」という図式も少なからずあるわけで、
自分の発した非難が
そのまま自分に降りかかってくるなんてことになりかねません。

そして、
そんな杜撰な糾弾を
「国」の指導者たちは

屁とも思っていない

のは明らかなのですから……

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2011/11/29

「受験生の母」ブログ

実は今年の私は「受験生の母」で、ある。

そういえば、
そういったテーマのブログがかつてはいっぱいあった。
今もあるのかもしれないが、
ブログ自体が下火の傾向にあるので
なんとなく過去形の表現になってしまうが。

考えてみると
受験生の母というテーマだけではない。
他にも
家を建てるとか、資格を取るとか、
そういう経験をした人というものは多かれ少なかれ
そこで得た知識を誰かに伝授したくてたまらなくなるものなのかもしれない。
「その知識が誰かの参考になればこんなうれしいことはない」と。

だが、
本当のところは
こういう体験談というものは
「読んでくれる誰かの参考になる」というよりは、
書き手のストレス発散こそが最大の効用なのであろう。
ちょっと前まで
「なんでこんなプライベートなことまで書き連ねているのだろう」
と疑問に思ったりしたものだが、
要は「ストレス解消が目的なのだ」と
知った今では合点がいく。


さて、
現在のところ
私自身は受験生の母らしいことは特に何もしていない。
提出物の不備や期限について
多少神経を使っているぐらいのところだろうか。

というわけで
「受験生の母」というテーマで何かを書くことは
これから先もないだろうが、

……親って大変だな

と思わない日は、
受験あるなしにかかわらず
親となって以来、一日としてない……


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2011/09/28

初、村上春樹

村上春樹を、初めて読んでみた。
理由は特に無いのだが、
私の好きな文章を書く人に村上春樹ファンがいたので。

図書館で選んだのは「スプートニクの恋人」。
ご多分にもれず、
「スプートニク」という
ソ連の人工衛星の名前に惹かれて選んだものだった。

読み始めてまず、

……失敗した

と思った。


多分村上春樹のファンなら好きで好きでたまらないであろう
その知性的な文体が、鼻についてならない。
知識、薀蓄に溢れ、感受性の豊かさに満ちながら
どこか「斜に構えた」登場人物たちも気に入らなかった。

結果、
まだ前半の1/3ぐらいから
「この本は結局つまらなかった」と確認するためだけに
ページをめくることになる。
だって最後まで読まなければそう公言する権利は失われるから。
そして
それはいかにも癪なことだ。


というわけで
ほとんど速読に近い状態で私はこの本を読了。

最後の最後になって
ようやくこころ惹かれる登場人物(「にんじん」と呼ばれる子供)に出会えたのは
ここまで読んだ御褒美のようなものだったのかもしれない。
だが、それにしても遅すぎた。


読み終わって
アマゾンのレビューに目を通してみる。

……星2つくらいの人の感想に共感。


結論としては

村上作品「読まず嫌い」から
「読んだがやっぱり苦手である」ことを確認した

ということなのだろう。


…………


また、何年か後に
村上春樹を読む日がくるかもしれないが、

(そのときもきっと
また同じように思うのだろうな

でもまた手にしてしまうかもしれない)

そうとも思えるのが
ひょっとしたら村上作品の特徴なのかも。

(あまり認めたくは無いのだが。)

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