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2004/09/29

自己満足でいいじゃない?

前回のblogで書いたとおり我が家は18日から26日までの子連れスイス旅行に行ってきた。
とっても楽しかった旅の思い出はまた別の機会にゆずって、
今回はちょっとした私の決意表明のようなものを書いてみよう。

もともとこのblogは、そのスイス旅行記HPのエッセイコーナーを想定して、HP立ち上げ前の見切り発車として始まったもの。
でもすっかりエッセイを書くことのほうに夢中になってしまい、特に旅行前などはHP作成は滞りがちだったのだが、
そうこうしているうちに「どうしてHPを作るのか?」という疑問にもぶち当たるようになった。

子供2人連れの家族4人ヨーロッパ旅行、しかも毎年行っている様な旅馴れた家族の旅行記ではなく四苦八苦して準備したそういう旅行記がネットにないかなあと探していた私は、「じゃあ自分でつくればいいじゃないか」とハタと思いつき、そしてこのネットの世界に入り込んだ。
読むだけではなく読んでもらう側になった今になると、「なんと数多くの情報がこの世界には溢れていることか!」と驚くばかりだ。
私がないと思っていた、家族旅行初心者の複数子連れヨーロッパ旅行記だって、こうして立ち上げに手間取っている間にも公開されて、私が提供しようとしている情報より有益なものを既に提供しているかもしれないのだ。実際私が見つけられなかっただけで、既に何年も前に存在していることだって有得ることだ。

じゃあ私がHPを立ち上げる理由などないではないか?
読者をひきつけるような魅力的なHP作成など土台私には荷が重過ぎる。
自分がつれづれに考えたことはもうこのblogで表現することができるし、それで十分満足もしているじゃあないか。

HP作成をする必要は本当にあるのだろうか・・・?


でも旅行を終えてみて、やっぱりHPは公開することにした。

理由は、至極簡単。
旅行が本当に楽しかっからだ。
我が家のHPは、まず第1の目的を自分たちで楽しむことにしよう。
旅の思い出をHPに整理して残し、後々まで見て楽しめるようにすること、それに主眼をおくこととしよう。
誰かがそれを見て、「ああおもしろいなあ」とか、「おっ、役立つかも・・・」なんて思ってくれることは、その自分たちの楽しみについてくる付録ののようなもの。
そう割り切るところから始めないと、小心者の私には、アクセス数に一喜一憂して自分がぼろぼろになるのは目に見えている。

実はこう考えるようになったのも、このblogサイトの運営を通じてのことだ。
こんなつぶやきblogでも反応がないことは当初非常に孤独を感じたものだった。
その孤独感は今も消えたわけではないけど、
「自分が自分のblogの第1の読者になろう」と私は思うことにした。
だから、思い切り「自己満足」を目指す。

・・・それでいいじゃないか!


なにやら決意表明というより、番宣番組and言い訳のような文章になってしまったが、
次回はもうちょっとちゃんと書くのでご勘弁のほどを・・・


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2004/09/15

日本人がいっぱい!

もしもあなたが外国を旅するとき、そこで多くの同胞の観光客にであったらどうだろうか?
「よかった」とか「うれしい」といういい感情をもつ人は少ないのでは?

残念ながら私も、そうは思えそうもないうちの1人。
せっかく大枚はたいて外国まで来たというのに「ここかしこに日本人がいっぱい」なんて状況には正直残念な気がしてしまう。
やっぱり異国情緒を思う存分味わいたくてはるばるやってきたのだ。
目にするのは慌ただしくグループ行動する日本人団体客、耳に響くのは大声で喋りあう日本語なんてちょっと悲しい。

でもちょっと待って・・・
他の日本人観光客からすると、自分もその「目障りな日本人」に変わりはないことに気がつかないだろうか。
例え、マナーを守っており、郷に入れば郷に従っていて、ぞろぞろ連れだって行動せず、旅なれた人間であることに自信をもっている人も、
ふとした行動で、それ以上に外国に精通している別の日本人から「だから日本人はいやなんだよ」と顰蹙を買ってはないとは言えないのでは?

「そんなことは程度の問題だよ!」
とお叱りを受けるのを覚悟でこんなことを書いているのは、以前私がそういう批判をうけたからだ。
留学中の友人を訪ねて1人でドイツまで旅したとき、私の旅人としての自尊心は見るも無残に打ち破られた。そこで私が得た教訓は、「驕(おご)ることなかれ」。

実はこの週末、私たち家族は兼ねてから計画していたスイス旅行に出発する。
主な滞在先は日本人観光客がうようよしていると評判のグリンデルワルトだ。子連れ家族旅行であるから、厳しい目に晒されるのは必至だ。
本来なら「驕ること」どころか、「顰蹙を買うこと」のほうを心配するべきなのであろう。
そんな境遇にありながら、「海外で出会う同胞同士、忌み嫌いあう状況はいい気がしない」なんて思うのはおこがましいのかもしれないが。

ところで、いつも思うことなのだが、こんなに対外的に同胞を恥ずかしく思うのは日本人特有の現象なのだろうか?
世界中に満ち溢れているアメリカ人や同じアジアの韓国の人々はどうなのだろう。
やはり同じ?
それとも未だ対外的な自信のなさが根強く残っている日本人に特有のものなのだろうか?
そうだとしたら、そろそろ卒業してもいいのでは、と私自身は思うのだが・・・

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2004/09/10

9.11に寄せて

明日は9月11日。
そう、3年前に同時多発テロの起こった日だ。
アメリカなどの強国主導で動く世界とそれに異を唱え無残な殺戮(己への殺戮である自爆テロも含む)を繰り返すテロリストたち。
それについて、生ぬるい生活を送る私が何かを語るのはいかにも気が引ける。
だが、ここではある映画を紹介したい。
以前筑紫哲也の番組('02.9.11深夜放映)でも流されたものだから、ご存知の人も多いかともおもうが・・・
それは、
「11’09”01/セプテンバー11」だ。

これは同時多発テロ事件をテーマにした、オムニバス映画(全11作品)である。
「2001年9月11日のテロをテーマに各国の監督による短編映画集。それぞれの監督の映像感覚の違い、戦争という事についての考えの差異などが浮かび上がり興味深い作品である。静かに皮肉る作品もあれば、直球に主張する作品もあったり。」という批評のとおり見ごたえのある作品だ。
上記の批評を含めてこの作品に対する映画評もリンクしておくので、あわせて読んでいただければ幸いである。
映画評を読んでの私自身の感想は
(好みというものはいろいろあるもので同じ作品に対しての評価もさまざまなものだ。)
というもの。
ある人は「これが1番」といっているものが、別の人には「嫌い」と言われているのだから。

私自身はショーン・ペンの作品にガツンとやられたしまった。
当事者であり被害者であるアメリカの監督がどんなものを撮ったのか、と私はある種意地のわる~い視聴者として観たのだが、これには参った。降参しました。
映画であれ文章であれ、作品を発表する者にはこのショーン・ペンの「さりげなさの中にある静かな主張」が1番必要なのかもしれない。

実はこの作品群全てを私は観てはいない。
というのは主婦の悲しい運命で、台所と居間を行き来している間に見逃してしまったシーンがいくつかあったのだ。
今回この文章を書くにあたってネットで調べてみたのだが、ますますもう1度じっくりと観てみたくなった。観てそしてゆっくりと考えてみたい。

世の中にはさまざまな人がいて、そこで懸命に幸せになろうとしていることを・・・

このblogをお読みになった方でまだ「セプテンバー11」を観てない方、
是非その機会があったら、ご覧になってくださいね。
平和で幸せな生ぬるい生活を送る私たちにまずできること、
それは、考えること。
そこから一緒に始めましょうよ。

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2004/09/09

同性の兄弟姉妹

私には子供が二人いる。小2の女の子と小1の男の子。
俗に言う「一姫二太郎」だ。
まあ確かに育てやすい状況だったと自分でも思う。
娘は4月生まれの女の子だから、入園入学に際しては、そりゃ人並みに心配はしたけれど、プレッシャーは「遅生まれのわりにはしっかりしていない」程度のものだったのだから。
もし1月末生まれの息子が第1子だったら、私の心配はこんなものではなかったろう。

さて、その息子が3歳ぐらいになったころ私は夫に尋ねた。
「ねえ、3人目どうする?」
子供は3人以上。それは私の兼ねてからの夢だった。自分自身が兄と2人兄妹だったため、兄弟の多い他の友達が子供のころから羨ましいと思っていた。
兄弟も3人になるとそこには社会が生まれるらしい。そんなミニ社会が自分の家庭にもあったら楽しいだろうなあ。
しかし夫は乗り気ではない。大体2人の年子の子育てにひぃひぃ言っている私がそんなに3人目を望んでいること自体理解に苦しんでいるようだった。
「もっとお互い若かったらいいけど・・・」ということで、結局3人目は見送りとなり私は仕事に就き、現在に至っている。
私が3児の母になることはもうありえないだろう。それは同時に同性の兄弟(姉妹)の母となることが無くなったことを意味していた。

同性の兄弟。それは3人兄弟のミニ社会と共に私の憧れだったものだ。特に自分に姉妹がいたらどんなだろうという思いは、むしろ大人になるにしたがって強まってきたような気がする。私と兄は決して仲が悪い兄妹ではなかったが、成人してお互い家庭を持つ身となってからはどうしても疎遠になった感は否めない。それに対し姉妹を持つ友人たちを見てみると、年を重ねるに連れて親密になり、互いに相談し合ったりしているようで羨ましい限りなのだ。

が、しかし「うちの子たちも同性の兄弟がいたほうがもっと楽しいかな」とつぶやく私に対し、別の意見を言った人がいた。
実家の母だった。
母はその世代の多くの人たちのようにたくさんの兄弟に囲まれて育った。
当然姉妹も何人かいたのだが、同性であっても気の合う合わないはあるし、むしろ同性ゆえに比べられることが多くて嫌な思いもたくさんしたとのことだ。
・・・なるほど、そんなものなのか。
その言葉によって、私は「少し無理をしてでも3人目を・・・」との思いから解き放たれた気がする。そうだ、2人姉弟・4人家族の今現在を楽しんだらいいのだ。

兄と私がそうなったように、姉弟である我が家の子供たちも思春期のころには必要なことしか話さないようになることだろう。互いに家庭をもてば、他人のように「ですます」調で話をするかもしれない。(事実うちの兄はそうなのだ。)

でもそれもいいではないか。
小さいころ一緒に遊んだ思い出があれば、姉弟なんてそれで十分なのだから。

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2004/09/07

ガツンとやられた一言

いろいろな言葉に触れて送る毎日。
励まされたり、傷つけられたり、涙ぐむほど感動させられたり・・・
でも今回はガツンとやられた一言について書いてみようと思う。
それは・・・

「自信は謙遜によってあらわされる」

この言葉は中学生のときの国語の授業で出てきたものだ。
それに続く先生の言葉。
「『いやあ、大したことないですよ』なんて言っても、それはかえって自信がある証拠だったりするよね」。

この言葉、ことわざってわけでもない。なんでこの言葉が出てきたのかも今となってはまるで覚えていない。でもこれに私はガツンとやられてしまった。そして今もそのガツンを忘れることができないでいる。

元来私は褒められるのが苦手な人間だ。褒められることがあまりないのも原因のひとつだと思われるのだが、たまに賞賛の言葉を受けると、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまう。だから「そんなことないですよ」と恥ずかしげに謙遜することでなんとかその場を過ごしているのだが、そんな私の頭の中を先ほどの言葉がよぎるのだ。

うーん、じゃあどうしたらいいのだろう。
謙遜しないで無反応でいる?
それもまた尊大な態度じゃないか。
褒められてうれしいのだからそれに対し素直にお礼のみを言う?
ちょっと子供じみすぎていないか?それにお世辞だったら恥ずかしいし・・・。
そう思いながら、また「・・・そんなことないですよ」と謙遜の言葉を繰り返す私。

しかしこんなに私が思い悩むのはこの言葉がやはり真実だからなのだろう。
・・・謙遜しながら内心得意に思っている。
それは他人には隠しておきたい、こころの恥部のような事柄だ。
それをあからさまにされたショックが、先ほどのガツンだったのだ。


さて、このblogも始めて3ヵ月以上になろうとしている。
うれしいことに文章に対する2、3のお褒めの言葉などをいただくこともあった。
本当に励まされ勇気づけられ、感謝の気持ちでいっぱいである。

でもそれに対するお礼を書く際、やはり登場する謙遜の言葉たち。
この言葉の陰にはそれとは裏腹の得意げな顔が潜んでやしないか?

そんなことを気にしてしまう、小心者の私がここにいる。

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2004/09/03

自分を「おばさん」と言いますか

30になって間もない頃のこと。
「○○さんはさぁー、甥っ子や姪っ子におばさんって呼ばれるのは抵抗ある?」
と会社の先輩が私にこう聞いてきた。
「うーん、抵抗がないと言えばうそだけど。
でも、もう私も30超えたし、それに結婚もしているし、十分おばさんといわれる要件満たしちゃってますよね。
しいて言えば『まだ子供がいないんだからおばちゃんはやめてよ!』って抵抗することができるかもしれないけど・・・それだけじゃちょっと弱いかなあ。」
これがそのときの私の答え。
いま思い返すと、「私はまだまだ『おばさん』じゃないよ」という若いゆえの傲慢が言葉の端々滲み出ている。

ちなみにうちの甥っ子姪っ子たちは私を「おばさん」とは呼ばない。
義姉が私を呼ぶのに倣って、名前にちゃんづけで呼ぶ。
だから私が本格的に「おばさん」もしくは「おばちゃん」となったのは、
子供を産んでその子と公園デビューしてからのことだ。

もっとも最近の子供はよそのママのことを「おばちゃん」とはあまり呼ばないようだ。
「○○ちゃんのママ」などと呼ぶことが多い。
自分の親がその人を呼ぶのを真似してのことであろう。
昨今のママたちは、お互い「おばちゃん」や「おばさん」という呼び方には抵抗感があるからか、子供に対しても
「○○ちゃんの(「ママ」という言葉の代わりに)おばちゃんに貸してごらん」
などと言うのは、少なくとも私の周囲ではあまりなかった。
では私は誰から「おばちゃん」と言われたのか。
・・・自分自身からである。

子供がひとりのうちは私も、小さなお友達に対して「○○のママ」と自分のことを言っていた。しかし二人目が生まれるとこの言い方がなんだか面倒くさくなってきた。
「○○と××のママ」というのも長ったらしいし、
どちらかひとりの名前を挙げて「・・・のママ」っていうのもなんか気が引ける。
大体うちの子たちは「おかあさん」と私を呼んでいるのに「ママ」ってのも変だ。
そこで、若くてスタイルもいいお母さんがごく自然に自分を「おばちゃん」と言っているに倣い、私も自分を「おばちゃん」としたのだが、この呼称への抵抗感がやはり私には根強く残っている。
小さいお友達に自分をなんと名乗るか、このどーでもいいような問題は、喉に刺さった魚の小さな小さな小骨のように時折私を悩ませた。

「『私』って言えばいいじゃない」
その夫の一言はまさに目から鱗。

そうだよ、相手が小さい子だって構わない。
私は「おばさん」と呼ばれるのは抵抗あるのだから、自分で自分をそう呼ぶのは愚の骨頂!
晴れやかな気分を久しぶりに味わったような瞬間だった。

余談であるが、
「『おばさん』という呼び名が世間では嫌なイメージをつけられて真に悲しい」という内容のエッセイを読んだことがあった。
筆者は多分中年の女性ライターで、彼女は「おばさん」という言葉のもつ温かみがとても好きだったのに・・・と嘆いていた。
このかたのような境地に立ったら、私も自分を「おばさん」と胸を張って言えるのかも。

だが、「いやだわ、こんなおばさん相手に!」
などど自分と「おばさん」を貶めるような使い方をついやってしまい、
そのあとたちまち自己嫌悪に陥るような身では、まだまだである。

「自虐」とは、この世でもっとも不毛なことのひとつだ。
皆さんも、そう思われませんか?

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