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2004/10/28

92時間の奇跡

 奇跡が起こった。
 92時間もの間、小さな2歳の男の子が土砂崩れに埋まった車のなかでたった1人生き抜いていたのである。車に同乗していたお母さんとおねえちゃんは土砂による窒息死、つまりほぼ即死に近い状態だった。

 車にあったポットのミルクで餓えをしのいでいたそうだが、「さあ、飲みなさい」と優しく語り掛けるひとはいない。
「もうすぐ誰か助けに来るよ」
「寒くない?ママのほうに寄りなさい」
そういう温かい言葉は全くない沈黙の暗闇の中である。
ぼうやが何か語りかけても、ママもおねえちゃんもしゃべらないし動かない。
そんな状況でこのぼうやは、何を思って孤独に耐えていたのだろうか。


 この2歳のぼうやの生還を知ってつくづく思う。
 命というものはかくも逞しいものなのか、と・・・。


 ところで、私は今までこうした災害に触れる度に、
「はたして自分に幼い我が子を守りきることができるのだろうか?」
という問いかけを自身にし続けてきた。

 「親」だからといって何か特別の能力が備わっているわけではない。
 子供からの「ママ(パパ)といれば大丈夫」という根拠がないようだが全面的な信頼と、「絶対守ってあげる」という自分の思い以外、何もないのだ。

 ・・・でも、それが1番大きな支えであり力なのかもしれない・・・

 そんなことを、今回の奇跡からしみじみ考えた私だった。

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2004/10/20

特別のひと・普通のひと

 「『・・・もういい加減、自分を人とは違うって思うのはやめませんか?○○さんは良くも悪くも人に特別だって思われたいんですよ。』・・・そうその男性言われた女性は真っ赤になって黙ってしまった。」
 これは以前ある雑誌の中で目にした光景だ。
これを読んで私はこの男の人に対して、「それは無理だよ、自分を特別だって思ってもらいたくない人なんかいないもの」と心の中で思ったものだ。
 
 例えばここに2人のひとがいるとする。AさんとBさん。
 Aさんはちょっと変わった視点から物事を捉えるのが好きだ。様々は文章を読んでいてなかなかの博学でもある。多くの人たちがキャーキャー騒ぐような流行廃りには無頓着で、自分は本物を欲求し続けていると自負している。

 一方Bさん。流行には敏感で、自分の生活にすぐ取り入れる。マスコミなどでいいといわれる物は一通り試すが、忘れるのも早い。常に人と一緒に行動し、格好も友達と似通っていて、言わば先程のAさんのようなひとからすると「一般的な他の人たち」の代表のような存在だ。

 でもちょっと、待って欲しい。
 このBさんとて、「自分は他の人とは違う」と思っていて、その存在が特別であることに変わりはないはずだ。Aさんからすると十羽ひとからげのようなの存在であったとしてもひとつひとつには顔と個性があることを忘れてはならないのである。

 実はAさん程のこだわり派ではないにしろ、私自身、ややもするとそんな気分になって多くのほかの人を大雑把に捕らえたりしてしまいがちなのだが、それはとんだ傲慢というものであろう。

 さて、こうなってくるともう1つの疑問がわきあがってくる。
「一般的な他の人たち」、いわゆる「普通のひと」とは、一体どこにいるのだろうか。
そして「皆と同じ」という「皆」とは誰のことなのか。
 ・・・・・
 それがどこにも存在していないことは誰の目にも明白だろう。

 どこにも実在していないのに、いつの間にか肥大して個性豊かなはずの個人をのみこんでしまった「普通のひと」。
驚くことに私たちにはこの普通という言葉に全く違った感情を同時に思っていることに気づく。

 それは憧れと侮蔑。
 皆と一緒でありたいと願い、その反面皆とは違った存在でありたいと願う。

 全く、人とはなんと複雑な心をもつものなのだろうか!
 自分の弱さを埋没させるために雑踏に逃げ込みながら、その雑踏を卑しむことも忘れない。

 ・・・もちろん、私もその1人であることはまぎれもない事実である。

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2004/10/13

雨が降り続くと・・・

私が住んでいる東京地方は今日も雨。これで先週金曜から連続6日である。昨日の午前中に久しぶりにお日様の顔を拝んだときは、「あぁ、いいなあ」としみじみ思った。もっとも午後にはあっという間に曇ってきてまた雨模様の空になってしまったのだが・・・
さていったいいつになったら晴天に恵まれるのだろうか?「金曜日には晴天が望めるでしょう」といった予報もだんだん怪しくなってきたようだ。「金曜は曇りベースで晴天は土曜日まで持ち越しになりそう」というふうに予報は変わり、今聞いた予報では「次の台風が発生したのでその状況で大きく変わります」だそうだ。
乾かない洗濯物が長々と部屋干しされている状態はまだまだ続きそうである。まあ、そんなふうにぼやいていても、この長雨で土砂災害や浸水被害に遭わないだけでも幸せと思わねば罰があたりそうだ。そういった被害に遭われた方々のことを思うと洗濯物の悩みなど取るに足りないものだもの。

とはいうものの、こう雨が続くとうちには洗濯物以外にも支障が発生する。それは足の問題。というのも我が家には車がないからなのだ。
今でこそ、子供は小学生になり、勝手に自分たちで行って帰ってくるが、幼稚園時代はお迎えの毎日で雨降りの日には大変な思いをしたものだった。
子供たちが通っていた幼稚園というのは一風変わった幼稚園で、保育園のように延長保育をやってくれるところだった。だから私は仕事を始めることができたわけだが、行きは園バスに乗せてもらえても、帰りはどうしても私が迎えにいかねばならない。小さい子連れで徒歩では30分はかかる距離なので車のない我が家では自転車で行くより他はなかった。
雨合羽を着せた子供を前と後ろに乗せてしかも傘を差して自転車に乗るなどと、まるでサーカスの芸当のごとき真似をして、今思うとよく事故に遭わなかったものだと背筋が寒くなる。夫は傘を差すのだけはやめてくれと言ったが、傘を差すと差さないとでは濡れ方がまるで異なる。なのでついついその禁を犯したものだった。学校時代の友人が「子供を自転車に乗せるなんて子供を殺すようなものだから絶対自分は2人乗りはしない」と昔言っていたけど、その友達がこれを知ったら卒倒してしまうかもしれない。まあ、とにかく事無きを得て現在に至っているわけだが、この幸運には全く感謝しなければならないようだ。

さて、他の子たちがほとんど皆車でお迎えの中、うちばかりが子供を前後ろに乗せて自転車で帰るのは、さすがに侘びしい。だから軽でもいいから車が欲しいと真剣に考えるときもあった。雨が降らなくとも冬の夜道は風を切って走る自転車には辛い。ペダルをこいでいる大人はまだ温まるけど、吹き晒されている子供たちはさぞかし寒かったことだろう。でもこれはわずか2年間ばかりのこと。幼稚園通いが終わればこの辛さからも解放されるのだ。そのために普段は乗りもしない自動車を購入するのはやはり躊躇された。
結局我が家が車を持つことはなく現在に至っているわけだが、あそこで車を買っていたら金銭的にもスイス旅行は無かったかなあ。

今も毎日ではないにしろ、お稽古事の送り迎えに雨が降るといきなり大変になる生活は相変わらずだ。でもそれもいずれ終わる日がくることだろう。
車を持たないことで制約のある生活だけど、でも反面それがないことでうちはいろいろ楽しむ余力をもつことができるのだから、まっいっか、としようか。

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2004/10/06

ご近所とのかかわり

・・・突然だが先月末、うちがゴミを出していた集積所が閉鎖となってしまった。

近隣5世帯のゴミを出していいことになっていた集積所が、である。そこはこの5月から始まった集積所で、それまでうちを含めこのあたりの家庭は皆近所の公園の片隅を集積所としてそこにゴミ出しをしていたのだ。実はそこへのゴミ出しがあまりに行儀が悪いので、細かく分けてきちんと管理しようという主旨でその集積所はつくられたのであった。

どうも先月初めあたりからその5世帯以外のだれかが勝手にゴミを置いて行きはじめたのが事の発端のようだ。まあ勝手に置いていったとしてもきちんと分別されていて、ちゃんと収集前に置いていってくれるのなら殊更問題ではなかった。だが、あれよあれよという間に出されるゴミは増え始め、終いにはゴミ収集が終わったというのに出していく輩も出始めた。
そうなると大変である。放置されたゴミはカラスの餌食となり、そのあたりは食い散らかされた生ゴミが散乱する。そのゴミを自動車が踏みつけ、道路にへばり付いたゴミはもはや箒では掃き集めることもできなくなるのだ。
カラスを寄せ付けない為にはずっとカラス避けのネットを掛けて置けばよいのだが、そうすると今度はこの集積所が不法投棄者たちの格好の餌食となってしまう。つまり「この集積所ならいつでも安心してゴミを捨てられます」と看板を掛けてしまうようなものなのだ。

我が集積所はまさにその道を辿ってしまった。
カラスの被害に耐え切れずネットをずっと掛けておいた結果、そこは常にゴミの置いてあるゴミ置き場と化してしまった。不法投棄者はどんどん増えていっているようである。こうなるともうこの集積所を閉鎖するより他に解決策はない。

しかし、この近辺には他にもいっぱい集積所はあるというのに何故うちの集積所だけがこうなってしまったのだろうか。

以前ゴミ出しされていた汚ない公園から極めて近くにあったことや、場所を提供してくれたご家庭が共稼ぎで昼間留守のお宅だったことなどが思い当たるのだが、それ以前に、この集積所の5世帯がお互い顔も良くわからない同士だったことが1番の原因のように私には思われてならない。

例え知らない人がゴミ出ししているところを見かけても、それがメンバーかそうでないのかわからないのでは注意することもできない。そして、このように問題が発生してもついぞ皆でどうするべきか話し合うこともなかったところも問題なのかも。もし最初の不法投棄が出たときにもっと徹底してどうするかを話し合っていたらここまで急速に悪化しなかっただろう。
知らない同士では話し合うのにも音頭をとる人が必要になり、昨今そんな役目を引き受けたがる人はあまりいない。だが顔見知り同士で構成された集積所ならば、「1度会って話し合い」なんて堅苦しいことではなく、顔を合わせたついでに「どうしましょうか・・・」という具合に対策がとれたのではと思ってしまう。


かく言う私もこのゴミ集積所ができたときには「あーぁ、どうしよう、掃除が当番制になったりしたら出勤時間に間に合わなくなるかも・・・」などと思ったのだからえらそうなことは言えないが、都会におけるご近所との付き合いについて深く考えさせられた一件だったなあとつくづく思った次第だ。ご近所づきあいの煩わしさがないのが都会のいい点であると同時に悪い点でもあるといことを、まさに身をもって知ったといったところだろうか。


さて後日談だが、新しい集積所は旧メンバー5軒がさらに細分化して設定された。我が家が出すのはお隣と共同で場所は両家共有の敷地内である。

・・・「お隣さんとぐらいならちゃんと密に付き合えるでしょ」という天からの声が聞こえてきそうな決定に、気を引き締めると同時になにやら気恥ずかしいような気がした私なのでありました・・・。

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