畳に置かれたクリスマスツリー
クリスマス前の4週間をキリスト教の暦では待降節(アドヴェント)と言うことはご存知の方も多いことだろう。この待降節が始まった今週の日曜日、我が家では恒例のクリスマスの飾りつけをした。「飾りつけ」といったところで、大したことは無い。お約束のクリスマスツリーを飾り、壁にちょっとした電飾のモールを飾り、玄関にはクリスマスリースをかけるぐらいだ。
それでも何やらウキウキした気分になるのはこの時期ならではのことだろうか。全く、日も短くなり寒さもだんだん迫ってくるこの季節にクリスマスがあるということはありがたいことだ。もともとはヨーロッパの冬至のお祭りがキリストの生誕のお祭りと結びついてクリスマスが12月25日となったのだから、当然といえば当然のことなのだが・・・
さて、我が家のクリスマスツリーだが、それは畳に障子という純和風の部屋に置かれている。というのも、この築ン十年の家にはそもそも洋室というものがないからだ。
畳の上に置かれて、そのバックは障子というクリスマスツリーを見て、私は何だかとても暖かい気分になってきた。さしずめそれは、昭和30年代や40年代の「クリスマスってお祭りがあるんだってー、うちでもやってみるか」っていうお茶の間の雰囲気なのだ。
なんかいいなあ。そのころは「一生懸命頑張って働いて、お金持ちになったら幸せがやってくる」とみんなが疑いなく思っていたことだろう。なんというか、漠然と未来は明るかったのだ。
今は大きな薄型テレビやホームシアターシステムとかあって、夏でも冬でもエアコンで快適に過ごせて、本当はとっても幸せなはずなのだけれど、なんだか何かに追いまくられて、大人も子供もピリピリしている。「お金があって品物があれば幸せだ」って思っていたのは大きな間違いだったのかなあ、なんて考えたりする私たちがいる。
多くの豊かさと引き換えに一体何を私たちは失ってしまったというのだろうか。
実は、この家でクリスマスを祝うのは今年で2回目。
家選びの際、この昭和の家を見て、私はこの家に一目ぼれしてしまった。
狭いし、古いし、表通りから見ると見過ごしてしまいそうな奥まったところにあるこの家。だけど、全て和室だし、庭木などからも前に住んでいた人がこの家を慈しんで手を入れていたという印象のこの家には、失った何かを思い出させるようなそんなものがあると思ったからか・・・
また今年も来月の24日には、このお茶の間で家族で「きよしこのよる」を歌うことだろう。テーブルならぬちゃぶ台の上にはお約束のイチゴのケーキと鶏のモモ肉が並ぶのだ。
こういうのを、「ベタ」っていうのかなあ。
でもそうだとしたら、ベタっていいものじゃないですかねえ・・・