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2004/11/30

畳に置かれたクリスマスツリー

 クリスマス前の4週間をキリスト教の暦では待降節(アドヴェント)と言うことはご存知の方も多いことだろう。この待降節が始まった今週の日曜日、我が家では恒例のクリスマスの飾りつけをした。「飾りつけ」といったところで、大したことは無い。お約束のクリスマスツリーを飾り、壁にちょっとした電飾のモールを飾り、玄関にはクリスマスリースをかけるぐらいだ。

 それでも何やらウキウキした気分になるのはこの時期ならではのことだろうか。全く、日も短くなり寒さもだんだん迫ってくるこの季節にクリスマスがあるということはありがたいことだ。もともとはヨーロッパの冬至のお祭りがキリストの生誕のお祭りと結びついてクリスマスが12月25日となったのだから、当然といえば当然のことなのだが・・・

 さて、我が家のクリスマスツリーだが、それは畳に障子という純和風の部屋に置かれている。というのも、この築ン十年の家にはそもそも洋室というものがないからだ。
 畳の上に置かれて、そのバックは障子というクリスマスツリーを見て、私は何だかとても暖かい気分になってきた。さしずめそれは、昭和30年代や40年代の「クリスマスってお祭りがあるんだってー、うちでもやってみるか」っていうお茶の間の雰囲気なのだ。
 なんかいいなあ。そのころは「一生懸命頑張って働いて、お金持ちになったら幸せがやってくる」とみんなが疑いなく思っていたことだろう。なんというか、漠然と未来は明るかったのだ。

 今は大きな薄型テレビやホームシアターシステムとかあって、夏でも冬でもエアコンで快適に過ごせて、本当はとっても幸せなはずなのだけれど、なんだか何かに追いまくられて、大人も子供もピリピリしている。「お金があって品物があれば幸せだ」って思っていたのは大きな間違いだったのかなあ、なんて考えたりする私たちがいる。
 多くの豊かさと引き換えに一体何を私たちは失ってしまったというのだろうか。

 実は、この家でクリスマスを祝うのは今年で2回目。
 
 家選びの際、この昭和の家を見て、私はこの家に一目ぼれしてしまった。
 狭いし、古いし、表通りから見ると見過ごしてしまいそうな奥まったところにあるこの家。だけど、全て和室だし、庭木などからも前に住んでいた人がこの家を慈しんで手を入れていたという印象のこの家には、失った何かを思い出させるようなそんなものがあると思ったからか・・・

 また今年も来月の24日には、このお茶の間で家族で「きよしこのよる」を歌うことだろう。テーブルならぬちゃぶ台の上にはお約束のイチゴのケーキと鶏のモモ肉が並ぶのだ。

 こういうのを、「ベタ」っていうのかなあ。

 でもそうだとしたら、ベタっていいものじゃないですかねえ・・・

 

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2004/11/27

余計なお世話の話

 以前から私がよく覗かせてもらっている、エッセイ総本山というblogがある。
 ちょっと前になるが、その中に「他人のことは放っておく」というエッセイがあった。
 私はその考えにとても共感し、コメントまで加えさせていただいたのだが、つい最近その「他人のことは放っておく」ということが自分にとっていかに難しいことかを思い知らされる出来事があった。

 それは、ある悩み事を打ち明けられたのがことの発端だった。
 いや、このblogに書いている今では、「悩み事を打ち明けられた」という表現はご大層に感じられる。実際のところ「ちょっとした愚痴を聞いて欲しかった」というのがその相手の思うところだったのだろう。

 しかし、私はその愚痴に真剣に対峙してしまったわけである。
 そして私がやろうとしたことは、問題の根底にある当人の希望や不満を明らかにすることだった。
 「でもその希望や不満は、別に私に対し明らかにしなくてもいい。私からの問いかけでそのひとの中で問題の焦点がはっきりすれば、その問題を解決する糸口につながるかもしれない。」
 そんな気持ちで私はいろいろ問いかけたつもりだったのだが、相手にしてみるとちょっとした愚痴のつもりが根掘り葉掘りの質問攻めとなり、とんだことになってしまったわけだ。
 会話の微妙なズレから、私がこのテンションの違いに気づいたときは既に遅し!
 向こうは完全にこのテーマでの討議から腰を引いていたのだった。

 あー、やっちゃった・・・

 こうして冷静になってみると、いろいろな問題が浮かび上がってくる。
 まず第1に、本当に私は誠実な気持ちでそのひとの問題を受け止めていたのか?ということだ。意外とひとは他人の不幸を興味本位に取り上げがちなものだ。そんなこころが微塵もなかったと神懸けて誓えるのか?
 それから第2に、問題の焦点を明らかにすることで解決の糸口を相手に「見つけさせてやる」という考え方自体、奢ったものではないか?ということだ。見つける機会を与えたのはこの私だ、という自己満足に浸りたい気持ちがなかったといえるのだろうか?そのような上からものを指し示すような態度では、相手に不快感こそ与えるものの、そのアドバイスに耳を傾ける気にさせることは到底不可能であろう。

 うーん、的確なアドバイスをするとは、本当に難しいことだ。
 やはりその当人の物事を解決する力を信じて応援すること、見守っているから元気を出してと励ますこと、それが最も相応しいアドバイスなのかもしれない・・・
 部外者より何より、その当事者こそが、真剣にそのものと対峙しているのだから・・・

 でももし、その当事者があまりの悩みの深さに広い視野を失っていたら?
 そのときはやはり誰かが、冷静は視線でものを語るべきなのだろう。
 だが、それを語るものは、興味本位や「教えてやろう」などという優越感をもって語るものであってはならない。真摯な心、それのみが悩めるひとの心に届くものなのだから・・・

 よこしまな心から生まれた言葉や行いは、決してよいものに行き着かない。
 しかし、反対に純粋な心から生まれたものはどんな経路を辿ろうとも必ずよいものへと行き着くことだろう。

 私の発したその助言も、己の純粋さによってはじめてその相手の心に届くことに違いない。

 さて、それで今回の件なのだが・・・
 果たしてどれほど相手に届いたものだが・・・

 これは最早、相手というよりも私の内面の問題であることは間違いないようである。

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2004/11/24

ツタンカーメンの種

 「おかあさん、ツタンカーメンの種、学校でもらっちゃった!」
 子供が帰ってくるなり、そう言って白い紙袋を差し出した。

 「ツタンカーメンの種?」
 なんだ、それ?
 ツタンカーメンと言ったら、あの黄金マスクで有名な古代エジプトの少年王のことだろう。
 でもその種子って一体・・・?
 そう思いながら包みの中を覗いてみると、薄茶色でしわしわの丸い種が8つ入っていた。

 子供はやる気満々で「植木鉢は?」とか「どこにおく?」とか言っているが、実は私はあまり乗り気にはなれない。
今はやる気満々の子供たちだが、なんだかんだいって結局私が何から何まで用意し、世話をする羽目になるのだ。
でもめんどうくさがりやの私には、生き物を育てるのはこの2人の子供たちだけで正直手一杯。ツタンカーメンだか何だか知らないが、植物とは言え、他まで手が回らない。
 鉢植えって切花と違い、枯れたら「はいさようなら」ってわけにはいかないし、それが枯れてしまった場合、うちのものの非難も結局私に集中するであろう。小心者のわたしだから、枯らしてしまったっていう罪悪感もつきまとうし・・・

 つまり、これ以上世話するものを増やすのはごめんである、というのが私の見解だった。


 そんな私の心を知る由も無く、子供はこの種についての学校からのお知らせプリントを私に見せた。

 お知らせによると、この種は例の古代エジプトの少年王ツタンカーメンの墓のなかから見つかったえんどう豆の子孫なのだそうだ。
 少年王が生き返った後、食するものとして、彼と一緒に葬られたらしい。
 それがあの1923年の大発見と発掘により、イギリスに持ち帰られ、栽培され、日本に伝わったということである。
 そしてこの種は1923年から数えて81代目の種ということになるらしい・・・

 「・・・赤紫の花が咲き、赤紫の実(豆)がなります。もちろん食べられます。ご家庭で是非育ててみてください・・・」そんなことが、お知らせには書いてあった。


 うーん、そんな3000年以上も昔の種が20世紀に蘇り、そして81代も経て我が家に来たとなっては、これはいかにめんどうくさがりやの私でも、栽培してみたくなる。
 それにツタンカーメンが食べるはずだったエンドウ豆だなんて、食べたいではないか!

 俄然その気になると私の行動は早い。
 ホームセンターの園芸コーナーでプランターと培養土、それに豆のツタのための支柱を購入。我が家で1番日当たりのいいベランダにそれを置き、8つの種を子供達と一緒に大切に蒔いた。

 ・・・・
 あとはもう、映画「となりのトトロ」のめいちゃんのように、芽が出るのをひたすら待つのみだ。
 待つこと10日近く、それが、ひょっこりを地面から顔を出したときのその喜びと言ったら!
 子供より私のほうが大喜びしたぐらいである。

 生き物、特に植物を育てるってこんなに楽しいものなのかなあ、なんて今更ながら感じた次第だ。

 こうして我が家のツタンカーメンのエンドウ豆は8つとも今、順調にすくすくと育っている。もうすぐツルも出てきて支柱にからみつくことだろう。

 またまた余談であるが、将来火星やその他の天体へ長い長い探査の旅に人類がでるとき、そのときその宇宙船では植物を栽培するのが必須であるとのことを誰かから聞いたような気がする。食糧うんぬんではなく、植物を育てるというその行為が長期にわたる孤独を癒してくれるというわけだそうだ。

 なるほど、私もツタンカーメンに癒されている、ということになるのであろうか・・・

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2004/11/19

小さな恋人

 このblogを読んでくださっていらっしゃる方々は、もちろん私に子供が2人いることをご存知であろうが・・・それにしても、上の娘の話がほとんどで、下の息子のことはほとんど出てこないなあ、なんて思われている方もいらっしゃるのでは?(そんなこと気にも留めていない方がほとんどとは思うけれども・・・)実は拙HPの中の「こどものページ」においても公開当時は娘の作品しか載せておらず、更新後の現在も息子の作品は全体の3割に満たない。
というわけで、姉弟差別無く接することが育児において最も大切という原則に従い、今日はネット上で冷遇されている、我が家の息子について書いてみようと思う。

 そう、うちには小2の娘の下に年子で小1の息子がいる。
 年子でありながらうちの姉弟は、ぱっと見、3歳ぐらい離れているように見られがちだ。
 上は4月生まれでおまけに身長も大きいほうだし、下は1月末の早生まれ、小柄とくるから無理もないのだが、それにしてもこの息子の幼さときたら・・・
 男の子をもつお母さんなら多分皆さん実感されているのことだろうが、男の子というのは女の子と比べると、実に他愛の無いものである。が、うちのボクちゃんを見ていると単純の一言。姉である娘からすると、この弟は「チョロい」と通り越して、「チョロすぎる」といったところだろうか。

 実は、この息子に母である私はメロメロなのだ。
 ものすごく可愛い!
「歯軋りしたくなる可愛らしさ」という表現を何かの本で読んだことがあるが、まさにそのとおり、奥歯をかみ締めて「う~ん、なんて可愛いんだ!」とうなってしまう程の溺愛ぶりである。
 もちろん、娘がいるときはこのことを彼女に気づかれまいと常に神経を使っているのだが、娘も薄々気づいているようだ。夫にも「もっと(娘にも)気をかけてやったほうがいいよ」と注意されることもあり、私も常にその罪悪感にさいなやまされている。息子と比べて娘が可愛くないわけはないし、済まない気持ちでいっぱいになる。

 でも、この息子への気持ちと全く同じ思いは残念ながら娘には持てないなあ。
 言わば、息子は私の「小さな恋人」なのだ。
 女が女に恋心を感じないのと同じように、娘に対してこの心と同じものを向けるのはちょっと無理かも・・・

 まだ、娘を産んだばかりのころ、漫画家石坂啓さんの「赤ちゃんが来た」というエッセイを読んだことがあった。その中に「・・・生まれたのが男の子でよかった、女の子とキスなんてレズみたいで・・・」というくだりがあって、かなりびっくりしたのを思い出す。
 生まれたての子供に対して異性を感じるなんて、これはフェミニスト的作品の多い石坂啓さんだからなのか?と思ったものだ。

 だがそれは違った。自分も男の子の母になってみて、それをつくづく痛感した。
母親にとって息子は「小さな恋人」なのだ。
 この「小さい恋人」は残念なことに思春期にもなると、母親にはろくに口もきかなくなる薄情ものへと変貌する。
 それは昔の蜜月を忘れられない母親にはかなりショックなことなのだろうが、 それでも、いつまでも母親との蜜月を楽しまれるより、ずっといいのかも・・・マザコンの男なんて、我が子であってもゾっとしないもの。
 そのときが来たら、息子にはこの母親を思い切り振ってもらいたい。
 それが健全に成長していることの表れなのだろうから、涙を呑んでその苦痛にも耐えよう。

 などと我が身のはかなさに酔いしれているうちに、我が家にはもう1組、はかない蜜月を楽しんでいるカップルがいることに、急に気がついた。
 もちろん我々夫婦のことではない。
 夫と娘のことだ。

 夫は私より1年9ヶ月(=我が家の子供が娘1人の期間)も早くこの恋人に巡り会っていたんだなあ・・・


 ・・・こんなことを考える私ってちょっとアブノーマルかしら・・・ね。

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2004/11/12

「家庭」は邪魔か?

 「・・・妻のいるものは妻のことを思い、妻のいないものはパンのことを思う・・・」
 ある小説のなかに出てきた一節である。

 舞台は19世紀のロシアのとある上流家庭のサロン。
 その中で、「こんな自堕落な生活を送っていてはいけない、何とかこの不公平で理不尽な社会を変えていねば、そしてその変革のために自分が率先して行動を起こさねば!」という話題に人々は盛り上がる。だが、現実の行動を起こすためには、家庭をはじめとして、さまざまな障害があり、それを乗り越えるのはたやすいことではない。

 そういった行動を起こしたとして、妻や子供はどうするのか?
 そして自分自身の食い扶持は?
 ・・・結局彼らは、妻やパンを理由に行動を起こすことができないのだ。

 そう、そういう世間のしがらみに取り付かれている間はなかなか思うように行動できないのが、悲しいかな、世の常である。特に家庭というものは、そういった足かせの中でもかなり重たいものであろう。
 その昔、聖職者たちは自分の家庭を持つことを許されてないのが、一般的であった。性欲をコントロールする必要性もさることながら、自分の家庭を持つと、どうしても自分の家族たちに心を奪われ、神仏への奉仕がおろそかになるとされたのも、その理由だと思われる。

 じゃあ「家庭」って、そういった「自分の信念に基づく生き方」をするためには邪魔なものなのか?
 それによくある、「自分と自分の家族さえ良ければ・・・」という考え方だって、家庭そのものがなければ、もう少し緩和されるかもしれないのではないか!

 いやいや、家庭の有る無しに関わらず、自分さえ良ければ、と考える人はいるのだから、それは関係ないのだろう。
問題は「家庭」を、「自分に属する自己の1部」ととらえるか、「自分が属するひとつの社会」ととらえるか、ということなのだ。

 ある人が誰かと暮らし始めるとする。
 それまでは自分ひとりの事だけを考えていればよかったのに、そのパートナーを自分のように大切に考えるようになる。
 子供が生まれれば、その子もまた大切に思う。

 そこで留まらないで、大切に思う「枠」をどんどん広げていければよいのだ。

 家族が自分にとって大切なのは、「自分に属するもの」だからではない。
 「自分に幸せをもたらすもの」だからなのだ。
 家族に限らず、友達、同僚、隣人、同胞(同国人)というふうに、そうやって世界中にまでその枠を広げるのは全く不可能なことと言い切れるだろうか!?


 大層な話になってしまったが、これはもちろん私の理想であって、現実にそれが実現できているかと問われると、・・・とんでもない話である。
 人の子より自分の子のほうが可愛い、極々俗人の母親、それが私の姿だ。

 でも、せめて家庭を「自分に属するもの」とは思わずに、
「無条件に愛することが出来る最小単位の社会」ととらえられるようにしたい。
「社会全体を無条件に愛するために用意されたステップ」として・・・


 俗物の私だが、
 「心意気だけはこうありたいなあ、」
 と、そんなことを考えた、今日の夕方である。

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2004/11/09

男がいて、女がいる・・・

 週末、テレビでフィギアスケート大会の様子をちょこっと観た。
 日本人選手が期待の女子シングルもさることながら、実は私が1番好きな競技はアイスダンス。男女が銀板の上を流れるように滑り、踊るさまは、いつもながらうっとり見とれてしまう。

 その優雅なダンスを観ながらつくづく思ったのは、この世の中というものは「男と女がいるからこそいいもんだ」ということだ。

 実は私は子供のころから男の子というものが大の苦手だった。この苦手というのは「嫌い」なのではない。むしろ「怖い」というのが近いようだ。身近に兄がいて、その兄といつも遊んでいたのにもかかわらず、兄以外の他の男の子を私はひどく恐れていた。うすのろだった私に、元気いっぱい腕白に遊ぶ男の子たちの声が向けられるとき、それは決まって非難を含んでいたから・・・

 「私は絶対女子高にいってやる」
いつのころからかそんなことを考えるようになった私だったが、残念ながら進学したのは男子生徒がは2/3を占める旧男子校の学校。第1希望の女子高には偏差値がたりなかったせいであったが、ここで私はものすごいカルチャーショックを受けた。

 男の子が皆優しい!
 あたかも女の子に優しくするのは男の義務だというように・・・

 それまでだっていわゆる可愛い女の子には皆優しかったりちやほやしたりしていたけれど、まあ私のようにどーでもいいノロマにはあれほど風当たりが強かったのに、これは何とした事か!

 その後さらに進学して社会人になってもこのように優遇される状況に変わりはないのだが、この状況の変化に慣れるまで私は10年ぐらいかかった気がする。つまり男の人と普通に緊張せずにしゃべれるようになったのは20歳もとうに過ぎてからだ。

 そして今現在。
「世の中から男の子なんていなくなっちゃえー!」そんなふうに思ったのは遠い昔のこと。周囲に男の人がいるからこそ、何となく華やいだ気分になる。結婚して子供が2人できた今であってもそれは同じだ。

 余談であるが、先日乗った飛行機はフライトアテンダントが男女ほぼ同数の割合で乗務していた。男女で機内食のワゴンなど運んでくる姿は、なにやら同性同士でやっているよりも楽しげに見える。
 夫は「やっぱり男より女の人のほうにサーブされるほうがいいなあ」なんて言っていたけれど、「女の私から言わせると、男の人にサーブされるのっていい気分よ」との私の発言に、妙に納得していたようだった。


 「男がいて、女がいる。」

 ・・・そんな世の中で良かったねえ。

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2004/11/03

HP公開しました!

 スイス子連れ旅行から早1ヵ月以上が過ぎていますが・・・
 ようやく、HP公開に漕ぎ着けることができました。
  

 ここでHPをご覧になった方々へ

 HPには掲示板がないので、もしよろしかったらこちらのほうにコメントを入れてくださるとうれしいです。
 HPに戻るにはページ右上のリンク集内「ぞふぃのHP」のバナーボタンをクリックしてください。
 
 それではさまざまなコメント、お待ちしています。

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