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2004/12/14

好き嫌い・・・

 好き嫌いって、誰にでもあるもののようだが、皆さんはいかがだろうか?
 実は私の場合、かなり好き嫌いははっきりしている。

 この好き嫌いも対象が、食べ物や洋服などであればそんなにたいした問題でもないのだろうが、人が対象となるとなかなか厄介だ。
 日々のさまざまなお付き合いの中には、正直深入りしたくないような人もいて、そういうひとたちと当たり障りのない会話をした後など、非常に疲れている自分を再認識したりする。
 まあ、これも
 「自分は相手を好ましく思っていないが、それを相手に気付かれるのは困る」
 もっと単刀直入に言うと、
 「自分は相手が嫌いだけど、自分が相手に嫌われるのはまっぴらごめんだ」
 いうまことに自分勝手な願いから無理をしているのだから、仕方のないことなのだろうが・・・

 さて、身近な人だけではなく、テレビやラジオに出てくる人々に対してももちろん好き嫌いはあるわけで、こっちのほうが相手は自分を知らない分、まことに無責任に好き嫌いを出すことが出来る。
 私はテレビをあまり観ないので、もっぱらラジオとお付き合いしているのだが、声だけが流れてくるラジオは、顔が見えない分その喋り方で瞬時に「あ、このひといいな」とか、「やだやだ、つまんないこと話しているな」なんて思ってしまうのだ。

 思えば彼らも大変なのだろう。
 毎日毎日さまざまな話題を取り上げては
 「すっごく、これいいですねえ・・・」
 などというのは仕事柄とはいえ苦痛なことだ。
 そんなに自分が「すっごくいい」と思う物事などごろごろしていているはずもないのに、多くの聴者にかわってそれを体験し伝えるのだから、自分の好き嫌いを露わにするわけのもいかないのだろう。
 でも結局そういった上滑りの言葉などにだまされる人は少ない。そういう言葉ばかりを吐いているひとが「つまらなく」思えるのは当然のことなのかもしれない。

 さらに言いたい放題を言わせてもらうと、だいたい私がつまらないと思う人は気取っている人である。電波を通じて多くの人に自分をさらすのであるから、少しでも良くみせたく思ってしまうのは仕方ないことなのかもしれない。
 しかし、
 「賢くて、ウィットに富んでいて、しかも感動的・・・」という自分の喋りを一生懸命聴かせようとする姿にはしらけさせられてしまう。一生懸命というのはひたむきでこそ価値があるものなのに、自分を飾るのに一生懸命なのでは、聴いているほうは引いてしまうのだ。


 と、ここまで乱暴に書いてきて、自分自身を振り返ってみる。

 自分は気取り屋であったことはないのか?    
 ・・・・・・・・・・・いいや、ある。

 自分は保身のために当たり障りのない感想をのべたことなどないのか?
 ・・・・・・・・・・・いいや、正直な感想を述べたことのほうが少ないくらいだ。

 そして何より、こうして誰か第三者の悪口を言っている者に対して自分の持つ感情はどんなのもなのか?
 ・・・・・・・・・・自分の知らぬ第三者には同情こそすれ、その悪口を言う者に対して抱くのは嫌悪感以外の何物でもない。


 ・・・とどのつまり、好き嫌いは誰にでもあるものだ。
 ・・・だが、そういった理性とは無縁の感情は心の奥にそっととどめておくのがいい。

 このような公共の場所でそれをおおぴっらにするのは、決して褒められたことではないのである。

 (・・・ここまで読んでくださった方、今日は本当にすみませんでした・・・)

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コメント

こんにちは、テンツェリンさん。
いつもコメントありがとうございます。確かに「嫌いでいつづける」のはエネルギーのいることです。ちょっとニュアンスは違うかもしれませんが、「最大の復讐はその恨みを忘れさること」という言葉を思い出しました。

投稿: ぞふぃ | 2004/12/17 17:58

ぞふぃさん、こんばんは。誰もが持ってる好き嫌いの感情を分析してくださってありがとうございます。共感する部分が多いです。私が最近頓に思うのは、「嫌い」の感情を持ち続けるのは疲れるとういことです。身近に嫌いな人がいたら、なおさらたまったものではありません。嫌いな人に無関心になってしまったら、しめたものかもしれませんね。

投稿: テンツェリン (nofumo) | 2004/12/16 22:16

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