帳尻あわせ
冬晴れの土曜の午後、海沿いの公園をひとりで歩いた。
ピカピカの磨き上げられたような青空の下、ひとけのない公園は静けさのなかにある。
聴こえるのは鳥のさえずりぐらいなものだ。
ふと、傍らの木立に目をやる。
すると、下の子供が何年か前にこの木立の中でひどく服を汚したこと、そしてそれを私がこっぴどく叱ったことが思い起こされた。
「あれは『叱った』のではなく感情にまかせて『怒った』のだったな」
服を汚して、もうそれだけで情けなく辛い想いでいっぱいのはずの子供が、母である私に追い討ちを掛けられるようにガミガミ怒られて、なんとも悲しげに泣いていたのが思い出される。
「ひどいことしたなあ」
その「ひどいこと」を皮切りに、
私の頭には過去にしてきた数々の悪事がつるつると浮かんでは消えていった。
子供のころ友達についた嘘、裏切り、つげぐちなどなど。
そのあまりの多さに苦しくなって、
そこから逃れるように今度は自分が過去にした「善いこと」を思い起こそうとした。
しかし、これが意外と少ない。
「人生において、善いことで悪事を埋め合わせるためには、これから何回善い行いをしなければならないだろうか」
そんなことを真剣考えている自分に気がついて、私は苦笑してしまった。
善い行いで過去の悪事が帳消しになるわけでもあるまいに・・・
ここで、私は目的地に到着。
夫と子供が先に行ってるはずの広場も光があふれてかえっていた。
こうして孤独な思索の旅はみじかく終わりを迎える。
さて、
一体だれに対して、私は人生の帳尻を合わせようとしていたのだろうか。
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