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2005/02/18

身分違いの恋のゆくえ

 映画「きみに読む物語」が好評とのこと。
 またも純愛映画か・・・と思っていたところ、 昨日、新聞の映画紹介の記事にてこの映画が
 「富豪の令嬢と貧しき青年の恋物語」
 であることを知った。

 うーん、身分違いの恋なのね。
 ちょっとそのありがちな設定に、更に興ざめ気味になる。

 もちろん、この映画の「ウリ」は、
 そのような描き尽くされた感のある「身分違いの恋」ではない。
 痴呆症により80歳の現在、その輝かしく美しい恋の記憶の全てを失った女性。
 そしてその彼女に対するこれまた年老いた恋人の「献身的な至高の愛」がメインテーマなのだ。
 数々の苦難を乗り越えて結ばれた(のかどうか映画自体を観ていないのでわからないが)ふたりが、病魔や老いというまた別の苦難を課せられる。
 それを乗り越えていくさまが、ひとびとの感動を誘うのだろう。
 (実際映画寄せられる感想も、この年老いた恋人たちのシーンへの賞賛の声が多いようだ。)

 さて、
 「富豪の令嬢と貧しき青年の恋」
 という言葉から私が思い出したのは、この美しい愛の物語とは全く違った映画であった。

 それは、「華麗なるギャツビー」
 この映画を観終わったときの後味の悪さは、20年近く経った今でもよく覚えている。

 恋には愛の高みにまで昇るものもあるが、そこには行き着かず、ただの若き日の思い出で終わってしまうものも多い。
 そんな恋でも、双方が同じように「若き日の思い出」として終わっていれば問題はないが、一方にとってそれが永遠の愛であったとき、悲劇はおこる。

 若かった私は、ミア・ファロー演じるヒロイン、デイジーを絶対赦せないと思った。
 そんな彼女を愛したギャツビーが憐れだった。

 砂を咬むような気分。
 そんな気分を味合ったこの映画だが、20年後の今思うのは
 「後味の良い映画だけがいい映画とは限らない」
 ということ。


 我が家では、
 夫は「きみに読む物語」のDVD化されるのを心待ちにしているようだ。
 そんな彼を尻目に私はもう一度「華麗なるギャツビー」を見直してみたい気分になっている。

 やはり男性のほうがロマンチストなのかな・・・

 ギャツビーとデイジーの物語を、とやかく言えたものではない。

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コメント

またまたのコメントありがとうございました。
原典を読破されたとのこと、素晴らしいです。
英語というと残念なことに私の印象は授業の教科書の文章のように無味乾燥なイメージしかないのです。もちろん英米文学に素晴らしい名作が存在するのだからこれは英語力のない人間の勝手な思い込みですよね。
やはり「そんな外国語の表現の豊かさを感じられる」テンツェリンさんの語学能力に羨ましさを感じます。いい宝物をお持ちですね。

投稿: ぞふぃ | 2005/03/11 12:51

「華麗なるギャッツビー」の映画について、ぞふぃさんのサイトに最近トラックバックされた方がいらっしゃるようですね。実は今日原書で読んでいた原作本を読み終わったのです。この絶妙のタイミングに、思わずコメントしたくなり、またお邪魔しました。まず全体を通して流れるやるせなさはさておき、表現の豊かさに驚きました。差し込む日差しや風の表現が詩人のように豊かなのです。でも文章は難解でした。通勤列車の中で揺られながら読むような代物ではないですね。だから理解不能な箇所も沢山あったのですが、ストーリーはなんとか追うことができたようです。Gatzbyの葬式にはそれまで彼を取り巻いていた人は誰も来ず、息子の死を聞いて駆けつけた父親が、几帳面に綴られた息子の子供時代のスケジュール帳を語り手であるNickに見せながら、とつとつと息子を語るシーンは心に響くものがありました。Daisyは事故の原因は自分にあるにもかかわらず、弔電さえよこさなかったのですね。行き場のない暗さが流れる作品でした。また映画を見てみたくなりました。

投稿: テンツェリン (nofumo) | 2005/03/10 13:23

TBありがとうございました。早速拝見しに参ります。詳しくはそちらにて・・・

投稿: ぞふぃ | 2005/02/23 12:58

ご主旨から外れてしまうかもしれませんが、「ギャッツビー」にまつわる思い出を書きたいと思います。テーマのヒントをいただきありがとうございます。原書を読んだことにも触れるつもりです。後ほどまたTBさせていただきますね。

投稿: テンツェリン (nofumo) | 2005/02/22 17:06

こちらこそ、早速の再コメントありがとうございました。
確かにレットフォードじゃない別のひとでもまたいい味が出ていたかもしれませんね。
ああ、やっぱりまた観直したくなりました。
ところで、原作を原文で読むという能力を持ったことない私にはそれがどんなものなのか、ちょっと見当がつきません。今度機会があったらそんなことを書いていただけるとうれしいな、なんて勝手なことを思いました。

投稿: ぞふぃ | 2005/02/22 12:42

早速反応ありがとうございます。原作をまず読み、その後映画を見たのは確かなのですが、両方ともかなり昔なので、記憶があいまいなのです。ただ、映画を見たとき、原作のイメージをあまり壊していないと思ったことは記憶しています。特にミア・ファロー演じるデイジーは合っていると思いました。「アメリカ文学不朽の名作の映画化における失敗作の典型」と言う評価もあるのですね。ロバート・レッドフォードにハングリーな役が合っていなかったのでしょうか。もう一度原作を読みたくなり、先ほど家を探してみましたが、やはり処分してしまったようです。映画の評価はともかく、「ギャツビー」を授業で読んでいた友人との語らいや、初めて自主的読んだ原書に緊張感を覚えたことなど、私にとって懐かしさがよみがえる作品なのです。

投稿: テンツェリン (nofumo) | 2005/02/21 23:03

原書で原作を読まれたというテンツェリンさんと、テレビでの名画劇場でその映画を観たのみの私とでは、多分まるで感想が違うのでは・・・とちょっと怖く感じました。
実際映画評の中には「アメリカ文学不朽の名作の映画化における失敗作の典型」と言い切っていらっしゃるひともいましたから・・・
テンツェリンさんの映画評はどんなものだったのでしょうか。とても興味がありますね。

投稿: ぞふぃ | 2005/02/20 21:28

「華麗なるギャッツビー」の映画は私も昔見ました。この物語は、大学を卒業して初めて自主的に原書で読んだ私にとっての最初の作品でもあります。といっても今となっては、結末さえ思い出せない状況ですが。ディジーへの未練で培った富の象徴として、ギャッツビーが、クローゼットから色とりどりのシャツを次々に引っ張り出し、撒き散らす、という場面があったと思います。映画でも確かこの場面はありました。このシーンに後味の悪い切なさを感じたのを覚えています。私の大学時代の友人は、授業でこれを読まされ、授業が進むたびに、少し興奮気味に私にストーリーを話してくれたことを懐かしく思い出しました。

投稿: テンツェリン (nofumo) | 2005/02/20 19:09

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» 「華麗なるギャッツビー」の思い出 [Encantada]
ぞふぃさんが2月18日に投稿なさったエッセイ「身分違いの恋のゆくえ」で、映画、「華麗なるギャッツビー」ついて触れていらっしゃる。コメント欄にも書かせてもらったが... [続きを読む]

受信: 2005/02/22 22:29

» 「華麗なるギャツビー」 [つれづれなるままに・・・]
私的評価:★★★☆☆ BS2ミッドナイト映画劇場を録画してました。 フィッツジェラルドの原作は読んだことはあったんですが・・・。主演のロバート・レッドフォードが... [続きを読む]

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