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2005/04/29

語学教育で必要なもの

 >とある会議上、とても見事な英語を話すフランス人と知り合った。
 >『どこでそれ程の英語力を?』と尋ねると、
 >その人は留学したわけでもなく英語は全て
 >小学校からの学校教育の中で習得されたものだという。
 >日本でも小学校からの英語教育を早期に導入し、
 >ネイティブスピーカーの教師を各校に配置の上、
 >英語教育の徹底を望みたいものだ。

 これは先日新聞のコラム欄で目にした記事の概要である。
 書かれたのは、前・軍縮会議日本政府代表部特命全権大使の猪口邦子さん
 国際社会の舞台で英語力を持つことの大切さを、多分誰よりも身をもって感じられている猪口さんから見て、日本の学校の英語教育は全くもって物足りないものなのだろう。
 その現状を憂う気持ちからの文章であることは間違いない。

 今、ゆとり教育の見直しや学力の低下が社会問題になっている中、この英語教育の小学校からの導入もひとつの論点になっていることは、私もぼんやりとではあるが知っていた。
 多分、中・高・大の約10年間、ごく普通に英語を勉強した人間には英語を駆使して仕事をする能力はつかないであろう。
 「そのような英語教育を果たして有効なものといえるのであろうか?」
 という各方面からのいらだたしい声が聞こえるようだ。

 しかし、である。
 猪口さんのご意見に異を唱えるようで何だが、
 「だから小学校から徹底した英語教育を」という話にすぐ結びつくのはいかがなものであろうか。
 その影にはひとつの大きな幻想、私たち日本人が常に惑わされてきた幻想が潜んでいる気がしてならないのである。
 その幻想とは、
 「英語のような語学はスタートが早ければ早いほどその習得は容易である」
 というものだ。

 >アメリカ人は赤ん坊のころから英語を
 >ごく自然に話せるようになります。
 >私たち日本人も日本語を覚える時期に
 >一緒に英語も覚えてしまえば、いいのです。
 >幼児期には語学を習得する能力が
 >もともと備えられているのですから。
 >英語が勉強になる前に、
 >お子さんに英語に触れさせてみませんか?

 幼児向け英語教材の決まり文句である。

 そしてその内容をみるとGood morningやThank youなどの英語の挨拶や簡単な会話、物の名前など単語を覚えることやネイティブな発音の習得が主だったところのようである。
 もちろん、幼児相手に仮定法などを教えたところで、そんなことは無意味なことだ。子供に遊びながら英語に親しんでもらうという狙い自体も決して悪いことではない。
 でも、それをやったからといって英語がぺらぺらになり、英語を駆使して仕事をこなすほどの語学力がその子につくかということは、また別であろう。
 幼児期における英語教育は、せいぜい英語への親しみを持たせ、苦手意識を回避するぐらいの効果しかないのだから。
 つまりその子を英語好きにして、その後の人生で「英語を一生懸命勉強させる」動機づけをさせること、それが幼児期の英語教育の真髄なのだと私は思うのだ。

 小学校からの英語教育が導入されるとして、それがどのようなものになるのかは、まだわからない。
 しかし今のままのかたちで単純に学習期間が6年追加されるのだとしたら、過大な期待はしないほうがいいのではなかろうか。
 今の10年の学習期間でも、英語習得に喜びを感じこつこつ努力して自由に使いこなせるようになったひともいる。学習期間が16年に延びたからといってそのひとたちの数が6割増しになるとも思えない。日本人の英語能力の平均が多少アップするという程度であろう。
 (それでも底辺を増やすという意味ではもちろん意味のあることであるけれど。)

 では、どのような学習が望ましいのか。

 英語に限らず、外国語を習得するのに楽な道はない。
 まずはその現実をしっかり見据えた上で、英語習得に何が一番必要かを見極めることである。
 何が一番必要なのか?
 それは、その楽でない道をくじけず学び続けるモチベーションを維持していくことなのだ。
 音楽でもいい、スポーツでもいい、インターネット上の情報取得のためでもいい、
 「英語ができなきゃあ、お話にならない」ことを自分で自分自身で実感すること。
 それがなければ、基本的にはツールである語学は、それを学ぶ意味を見失うことになりかねない。

 「そんなことを考慮に入れた工夫ある学習」、
 せっかくの英語学習の見直しの機会なのだから、
 こんなことを考えていただけるといいのではないかと、
 小学生を持つ母親である私は考えた。

 かつて10年間も英語を学習して、
 貧弱な旅行会話程度のものしか残らなかったものとして。

 それ以上の世界を
 これからの子供たちが
 英語を通じて得られることを願いつつ・・・


 


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2005/04/25

孤独な民族の孤独な言葉?

 ラジオからNENA(ネーナ)の「ロックバルーンは99」が流れてきた。

 「ロックバルーンは99」という日本語タイトルを聞いてもあまりぴんとこないひとも多いかもしれない。私とて、英語タイトルは”99 Red Balloons”や原題(独語)の”99 Luftballons”のほうが、その歌詞の中にあるとおりのタイトルとして心に焼きついている。
 (邦題が「ロックバルーンは99」なんてことも実は今日知ったぐらいだ)

 ご存知の通りこの歌はドイツ語で歌われているものと英語版と2種類ある。その日流れてきたのは“99 Red Balloons” と英語で歌いながら、主な歌詞はドイツ語であった。
 「あー、英語版ってこんな程度のものだったのか?」
 「いや、こういうバージョンが他にもあったのかな」
 なんてことを考えながら、「どちらにしろ、英語もドイツ語も似ているのだからたいした問題ではないのだな」などと無責任なところに落ち着いてしまった。
 この歌が流行ったころは、まさに、私はドイツ語に青春をかけていた頃だったので、英語版の存在などほとんど無視していたから、今となっては思い出しようもないわけだ。

 さて、その懐かしいNENAの歌を聴きながらそのとき私が考えたのは、我が青春のドイツ語のことではなかった。

 似ている言語、
 例えばここで言う英語とドイツ語のように、
 そんな言語が我が母国語、日本語にも存在しないものだろうか・・・


 日本語はウラル・アルタイ語族に属している、と昔習ったものだった。ウラル語族はともかく、日本語が属するのはどうやらアルタイ語族らしい。
 この語族は、同じように膠着語としての性格をもち、文章の最後に動詞がくる点などがその特徴だという。
 だが、同じアルタイ語族で地理的に最も近い朝鮮のハングルですら、私には、日本語とはまるでちがうという印象がある。ハングルが文字として漢字を使わなくなってからは特にそれは強くなった。
 よくハングルと日本語は語順が一緒だから言葉を覚えて発音と文字をマスターすれば、もう置き換えていくだけでOK、と言われるが本当にそんなに単純なのものなのだろうか。
 英語で10年、ドイツ語にまた10年。これだけの時間をかけて結局ものにならなかった私には、なかなか納得できないのである。似ている言語といっても所詮は外国語、そんなに簡単にいくものか!なんて可愛くないことを思ってしまう。

 聖徳太子のいた飛鳥時代などは日本の技術革新は大陸から即ち朝鮮半島からの渡来人たちに頼っていたようであるが、そのころは2つの民族の言葉はもっともっと近く似通っていたことであろう。
 しかし時代が下るにつれて日本はこの国との関係を希薄にし、その他の国(例えば中国、特に明治以降は欧米列強各国)との結びつきを重要視するように変わっていった。
 19世紀のアジアの闇の時代に、その闇に飲み込まれないように「脱亜入欧」そして「世界の一等国」を目指していた日本。その日本にとってもはやハングルは近くて遠い国の見知らぬ言葉と変わっていったのも無理はないのかもしれない。
 そして、
 「黄色い顔をして白人の仲間入りを果たす」ことで、
 生き残ろうとした日本はある意味とても孤独な国になってしまったような気にすらなってくる。
 欧米の仲間には入りきれず、かといってアジアの国々からは冷たい目を向けられる・・・

 「日本語の孤立はまるで、日本という国の孤立をあらわしているかのようだ・・・」

 こんなことを考える私は悲観的すぎるであろうか?


 さて、私がよく遊びに行くブログ”Encantada“のnofumoさんはこの春からハングルを勉強されているとのことである。最新記事はその報告の第2弾といったところのようだ。

 彼女のこの1年のハングルへの取り組みが、私にとってとても興味津々なのは、

 日本語と日本が、
 この世界で孤立無援ではないことを
 証明してもらいたい

 そんな気持ちがあるからなのかもしれない。

 もちろん、nofumoさんにとっては
 こんな勝手な思い入れと期待は
 迷惑この上ないものなのであろうが。


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2005/04/20

尊厳をもつ「ひと」として

 ひとは、一体どのようなときまで「ひと」で有り続けられるのだろうか。

 その命の終わるときまで、どのような状況に陥ろうとも、
 ひとは「ひと」としての尊厳を維持していくことが果たして可能なのであろうか。


 こんな疑問がふとわいてきた。
 「誰がためにかりんは鳴る」の最新の記事『残渣』という文章を読んでのことである。
 それは、
 「生まれる自由も死ぬ自由もなく、ただその間を『どのように生きるか』という点にわずかな自由があるだけの私たち、
 だがその中にあってもさらに身体の麻痺などによって自由が制約されているひとびとを前にしての思い」
 を綴られた文章であった。

 私たちを不自由にするのは、四肢の障害だけではない。
 痴呆などの老いの症状も、かつて社会や家庭を支えてきた正直で尊敬すべきひとびとを耐えがたい状況に追いやる。
 一家の大黒柱、尊敬される家長・主婦から、手のかかる幼子のような存在へ、
 もうそれだけでその心境は、立派に真面目に生きてきたひとたちであればあるほど、屈辱と情けなさにあまりあるものであろう。

 もしそんな状況になったとき、
 果たして自分は
 醜く老いたその身体、無様な身のこなしを受け入れることができるであろうか。
 それ以降
 心から笑ったり幸せを感じたりすることができるのだろうか。

 こんなことを考えたとき、
 私にはある文章の一節が浮かんできた。
 原民喜の「夏の花」の一節である。

 >すると、今湯気の立昇つてゐる台の処で、茶碗を抱へて、
 >黒焦の大頭がゆつくりと、お湯を呑んでゐるのであつた。 
 >その尨大な、奇妙な顔は全体が黒豆の粒々で 
 >出来上つてゐるやうであつた。
 >それに頭髪は耳のあたりで一直線に刈上げられてゐた。
 >(その後、一直線に頭髪の刈上げられてゐる火傷者を
 >見るにつけ、これは帽子を境に髪が焼きとられてゐるのだ
 >といふことを気付くやうになつた。)

 「夏の花」は、広島原爆投下後の惨状を、美しい文体で知られる詩人原民喜がありのままに綴った作品である。
 私はこの作品に高校生のとき国語の授業の中で触れたのみだったが、
 そのときのこの「黒焦の大頭」のくだりを読んだショックを今も覚えている。

 火傷で黒豆の粒々が顔中にびっしりと出来、頭は異様に大きく腫れあがっている、
 そんなもはやひとではない異形のもののようになった男が、
 ゆっくりとお湯を飲んでいるそのようす・・・

 他人からみれば化け物であるが、
 彼の中身は人間で、
 原爆投下前とまるで変わりのない人間で、
 のどの渇きをいやすお湯にまさにありつこうとしている。

 その姿に、
 もうなんであろう、
 悲哀とか世の不条理とか、だがそれを物ともしない頼もしさとか、
 それらをすべてひっくるめてなおかつそれを超えた強いなにか、
 そんなものを感じたのだ。

 敢えて言うなら、
 「生きているのだから、生きつづける、ただそれだけ」
 とでもいうか。


 「生きているのだから、生きつづける、ただそれだけ」

 この先、どんな絶望的な状況に陥ってもそんな気持ちなら生きていけるかも・・・
  
 「甘い!」とお叱りを受けることを承知で、そんなことを考えた。

 私たちが思っているよりも
 ひとは
 弱くもあり
 強くもあるのかもしれない。


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2005/04/15

生き方ランキング

 先日、新聞でこんな記事を読んだ。
 「・・・近年女性の生き方は多くの選択肢を持つようになった。
 その結果、自分の生き方に不安を持つ女性が増え、そういった女性達は常に各種の生き方をランクづけし、自分がどの程度の位置のいるかを確認することで不安を解消しようとしている・・・」

 なるほど、と思った。

 結婚する、しない
 仕事をする、しない
 そして、
 こどもを持つ、持たない

 その他にも働き方(フルタイム、パートタイム)や子供の数というふうに、さまざまな女性の生き方の選択肢が世の中には溢れている。

 そういう生き方の多様化は一見すると、多くの女性を自由へと解放しているかのようだ。
 だがその反面、「かつての自分の選択が本当に正しかったのか?」という不安が女性達を襲う。他の生き方が目の当たりにされるにつけ、それは何度となく襲い掛かってくるのだ。
 その不安を振り払うがために、彼女達は自分の生き方を肯定しようとする。
 ここで
 「自分の生き方は客観的に見て成功であったのか」
 ということをを確かめるためのものさし、ランクづけが登場してくるというわけである。

 では一般的に見て、一体どんな生き方がそのランクの上位を占めているというのだろうか。

 やりがいのある仕事で世界を飛び回るシングル・ウーマン、夫やこどもはないけれど、だからこそ思い切りチャンスを活かすことができたのだし、家庭に代わる親友・恋人の存在が自分に安らぎを与えてくれるのだから悔いはない、という「仕事も恋も思いのままタイプ」だろうか?

 それとも
 仕事も家庭も諦めない、もちろん子供もひとりくらいなら周りの協力(母親やベビーシッター)で育てていける、夫とはいい戦友のようなもの、例えニューヨークとパリに別居になっても理解しあえる信頼関係がある「スーパー夫婦」タイプ?

 はたまた
 やっぱり家庭を築くなら誰かが家政を取り仕切ったほうがいい、それも合理的かつおしゃれに楽しんで・・・といった料理から子育てに至るまでその無理のないライフスタイル自体がみんなの憧れの的となる「カリスマ主婦タイプ」もある。

 これらのタイプに共通するのは「他のひとが真似できない優れた能力」と「その能力が生み出す経済力」を兼ね備えている点であろう。能力や経済力があることは、女性の永遠のあこがれである「美」すらその手中に収めることも可能とする。
 まさに「文句なしの人生」だ。

 もちろん大方のひとはそんなすごい能力を持つわけもなく、自分の持つちょっとした「いいところ」を大事に育てながら、日々暮らしている。
 それは、
 あるひとにはそれは玄人はだしの趣味だったり、
 あるひとにはやりがいのある仕事、
 またあるひとには、おしゃれな自分自身かもしれない。

 とどのつまり、そうしたちょっとした自信や満足感が
 日々の暮らしを、そして自分の「生き方」を支えているのだ。


 ところで、
 まだまだずっと若かった頃、私はこんなことを考えたことがあった。

 「ひとより優れたものがあるのなら、周囲にしあわせと思われて当たり前。
 でも私はそんなものがなくても、しあわせになってやろう
 極々取るに足らない普通の生活をしながら、
 『どうしていつもあなたはそんなに楽しそうなの?』
 と尋ねられるような人生を送ってやろう。
 そして
 特殊な能力なんてなくたって
 誰よりも幸福になれるということを
 身をもってみんなに証明してやるんだ」

 「・・・私はねえ、そういう人生を送りたいと思っているんだ」
 と先日、我が夫にこのことを打ち明ける機会があった。
 きっと彼が「そりゃあ、いい」と言ってくれるのを期待しながらのことだったが、だがこれに対する彼の反応は思いのほか冷たいものだった。

 「誰よりもしあわせになるってどれほどのしあわせなの?」

 ・・・やられた!と思った。

 先程の「生き方ランキング」からは解放されているかのように得意気にしていた私だったが、
 実のところ同じ土俵の上に相も変わらず立っていたというわけだ。

 ・・・・・・・
 
 「ひとと自分を比べるのは意味の無いこと」

 このことは理屈ではわかっていても、実行することは本当に難しい。

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2005/04/11

散りざまの美学

 あたりいちめん、桜の花びらが息苦しいほどに舞い散る只中、私は思う。

 「まるでゆきのようだ・・・!」

 そういえば桜がその枝に満開に咲いているさまは、どことなく雪が降り積もっているのにも似ている。しおれたり、色があせたり、そんなふうにして多くの花々がその命を終えていくのに対し、こんなにも美しく散っていく花を桜以外に私は知らない。

 一般的に、花がその盛りを過ぎて枯れたり落ちたりするさまは、美よりの衰退を意味する。その様子をことさら愛でたり描いたりすることもあまりなかろう。
 だが、桜はちがう。
 まさに花散るさまを観んがために植えられている木だ、といっても過言ではなかろう。
 散りざまの美学を絵にかいたような花、それが桜だ。

 その引き際の見事さ・潔さに、自分の姿を重ね、思い通りにならぬわが身にため息をつくひとも多いのではなかろうか?

 最後までかくも美しく惜しまれて去ることができればどんなによいことか・・・

 だが、
 そうしたひとびとの思いをからかうかのように、
 花びらはただ舞い散る。


 >ひとは花ではない
 >桜のようにいいとこだけで終わるひとなど、
 >きっと私は好きにはなれないような気がする


 そんな

 あまのじゃくな私のこころなど吹き飛ばしてしまうほど

 昨日の桜吹雪は見事なものであった。

|

2005/04/06

全ての傷つきやすいひとたちへ

 いちねんせいになったぁら、
 いちねんせいになったぁら、
 ともだちひゃくにんできるかな
      (以下、 略)

 ご存知この歌は、まどみちお作詩による童謡「1年生になったら」である。
 この歌を聴くと私は、どういうわけだか何となく落ち着かなく不安な気分に陥るのだ。
 「理想の小学1年生というものは活発で元気もよく、クラス全員と友達になれるような子供なのだ。」
 多分、そういう理想像から著しくかけはなれてた、内向的でおとなしかった自分を情けなく思った幼い日のトラウマのようなものなのだろう。

 こんなことがあった。

 小学3年生の進級に伴うクラス替えがあってすぐのこと。
 「ともだち、できたよ!」とうれしそうに私は語っていた。
 相手は以前同じクラスで友達だった少女。
 今はクラスもかわり、彼女とは久しぶりに廊下で出会ったときのことであった。
 しかし、その私の報告に彼女は
 「私はもうクラスの全員とともだちだよ。」
 と悪気はないのだが、素っ気無く言い放つ。
 そして、極め付けに
 「○○ちゃんももっと自分からともだち作らないとダメだよ!」
 という言葉を残して彼女は自分のクラスへと帰って行ったのであった。

 幼い日の取るに足りない会話である。
 今更このときの彼女の態度を「冷たい」だのなんだのとなじるつもりは毛頭ない。
 ただ、
 このときはじめて意識させられた、
 「友達というものは自分から努力して作らないとダメなものだ」
 という決まり事に、その後の私はがんじがらめに縛られ、多くの「しなくてもよい苦労」をしてきてしまった気がするのだ。

 そもそも、「ともだち」とは努力して、敢えて言い換えるなら無理してでも作るものではないはずだ。
 「無理をしてでも誰かの友達になりたい」という願いは、
 「ひとりぼっちでいることの孤独」に耐え切れないため、やむにやまれず湧き出てくる願望なのだろう。
 でも、そうして作った友達が、本当の気の合う、一緒にいるだけで楽しい友人となりえようか。
 本当の友というものは、
 自分が自分らしく満ち足りて楽しげに過ごしていれば、いつの間にかその自分に惹かれてやってくる、また反対にそのように自分の目に魅力的に映るひとには自然と惹かれ近寄っていきたくなる、そんなふうにして出来ていくものではないのか?

 このことに気が付くまで、私は10年以上かかってしまった。
 小中高の児童期からハイティーンまで本当の自分ではない「明るい活発で元気な子」をヘタクソに演じては失敗ばかりして来たような気がする。


 街は昨日今日あたり、新学期を迎えるこどもたちであふれかえっている。

 「ともだちひゃくにんできるかな」という歌詩に、密かに心を痛めているようなナイーブな子もその中にはいっぱいいることだろう。
 その子たちに、いいえこどもたちだけじゃない、
 こどものように優しく繊細なおとなたちも含め、全ての傷つきやすいひとたちへ、
 失敗ばかりして来た私だが、
 こんな言葉を贈りたい。

 “無理はしなくても良いのです
  自分らしくしさえていれば、
  そんなあなたを誰かがきっと見つめている
  その誰かときっといずれは
  いいともだちになれるはず・・・

  だから、
  何の心配もいらないのです

  そのときを
  ただ待っていればいいのです“


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2005/04/01

「自分を知って欲しい」という熱意

 「えぇーっと、それでは、お名前だけってのも何なので、何か一言いっていただけますか?」

 春4月、いろいろなものがスタートするとき。そんなときツキモノなのが自己紹介だ。

 この日は子供の学童保育室の保護者会。
 しかしまだお互い打ち解けぬ中にあって、饒舌に自分を語るひとは少ない。
 「何か一言」と言われても、結局それは
 「わからないことばかりですので宜しくお願い致します」
 のような当たり障りのない言葉に終わってしまう。

 そのせいか最近ではその「何か一言」にテーマを決められることが多くなったようだ。何とか己を出してもらおうという主催者側の工夫なのだろう。
 前回のテーマは「子供のチャームポイントについて」だった。
 自分の子供のいい点について、やや遠慮がちにお母さんたちは語る。
 「元気なところ」「やさしいところ」。
 正直だがありがちで月並みな言葉が並んでいった。

 さて今回のテーマだが、
 それは「子供の名前の由来について」。
 なるほど、と思った。これは一席語りたくなるようなテーマである。

 いやいや、皆さんしゃべることしゃべること。
 私のお隣のお母さんなど、
 「このテーマじゃ時間がかかりすぎちゃうんじゃない」と小声でささやいていたほどだ。
 かく言う私も、頭の中で言いたいことを整理しながら、
 自分の順番が回ってくるのを少しばかり心待ちにしている。
 長々と語るお母さんの話をじれったくさえ感じる。

 しかし、皆さんの語る顔のなんと輝いていたことか。

 正直な話、よその子供の名前の由来など、自分にはどうでもいいようなことなのだろう。
 だから聞き手のほうにはさほどの真剣さはない。
 だが語る側は、自分達の子供への思い入れ、こだわり、願いについてかなり熱くなっている。それを聞き手に伝えることに大きな情熱を注いでいる。
 普段から活発で目立つひとも、いつもは目立たずおとなしそうなひとも、皆同様だ。

 ひととおりの紹介が終わったとき、
 なんだか私は気持ちのいい爽快感に満たされた。
 誰がどんな思いで我が子に名前をつけたのか、そのことはあっという間に忘れてしまったが、あの場の皆の顔の輝きはきっとずっとずっと心に残ることだろう。
 どのひとのものも「自分(の思い入れ)を知って欲しい」という熱意に満ちた見事な自己紹介であったのだから。
 
 この素敵な自己紹介から、早1年が過ぎた。

 今年の保護者会ではどんなテーマが挙げられるのだろうか。
 ちょっと気になる今日この頃、なのである。

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