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2005/06/27

ときわ荘(仮名)の夏景色

 我が家のベランダから見える風景。

 一方に古めいた和風の庭。
 いまどき珍しい平屋のたたずまいに品のいい老婦人がひとり住んでおられる。
 他方に、隅は草ぼうぼうのやや荒れ果てた駐車場。
 発泡スチロールの薄汚れた保冷箱がうち捨てられていたり、明らかに乗り捨てられたような自転車が放置してあったりとその惨状はかなりなものだ。

 そしてその荒れた駐車場の先に、ときわ荘(仮名)はある。

 ときわ荘は、古い木造アパートだ。
 その名前からして小奇麗なワンルームとは程遠い集合住宅である。
 住人たちも(こういっては何だが)
 ややくたびれた風の少々妖しげな印象のひとたちが多い。
 「生活保護」とか「外国籍」とかそんなうわさが
 まことしやかに流れてくる。
 

 その彼らだが、
 夏になると、その暑さに多くは玄関を明け放って、生活している。
 日が暮れてから慌てて洗濯物を取り込んでなどいるとき、
 また夜の戸締りにカーテンをひくときなどに、
 見るとはなしにその方向を見てしまうと、
 私の目にその生活の有りのままの姿が、光々と輝く部屋の明かりに照らし出されてしまうのだ。

 ・・・なんか、いいんだよねえ・・・

 蚊取り線香の香りが漂ってくるようである。
 軒先には吊るした風鈴の音。
 団扇をばたばたさせて、やや声高に笑いあう声。
 下着姿かと思わんばかりにむき出しにした二の腕。
 狭い台所にはなんだかいろいろなものがごちゃごちゃ置いてあるようで、
 なんだろう、この気安さは、
 なんなんだろう、この幸福感は。

 この風景に触れると、ある懐かしい思い出が蘇ってくる。

 それは高校生の頃。
 暑くほこりっぽい道をてくてく歩いて学校に通っていたとき、
 ふとその道端の簡素な家の内部が目に入ったことがあった。
 畳の部屋が見る目になんとも涼しげで、
 部屋の中の静かなほの暗さがなんともひんやりしていて、
 「あぁ、うちっていいなあ」
 などと思ったものだった。


 人の家の内部をのぞき見るなんて、
 とっても趣味の悪いことだけれど・・・

 多分それは、
 しっかりと胸元をかき合わせるように戸をきっちりと閉め、
 厚手のカーテンで窓を閉ざす用心深く寒々しい季節には、
 なかなか味わえないものだろう。

 私が、夏が好きな一番の理由は、
 こんな風に、
 誰かの生活をふと垣間見られることなのかもしれない。

 そして
 そのちょっとした風景に

 その家の幸せのおすそ分けをもらったような気になり、

 満たされた気分になったりするのだ。


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2005/06/22

自分の中の黒い部分

 「それ」はぽつりと湧いて生まれてくる。

 最初は小さな棘だったのだが、
 気になり始めると、気になって気になって仕方ならない。
 自分の中の理性は、
 「いいや、気にしなければいい、無視すればいいのだ。」
 そう何度も自身に言い聞かせてくる。
 しかし、押し込めれば押し込めるほど、蓋の脇からはみ出てくるように「それ」は湧き上がってくるのだ。

 一瞬治まるかのようなときもある。
 「ああ、自分は『それ』を克服したのだなあ」などと安堵の吐息を漏らすときもある。
 でもそれはやはり気の迷いで、
 多分「それ」から自分が逃れられた瞬間は、今まで一度たりとも無かったのではあるまいか。
 確かに、忘れたような錯覚に陥るときもあるが、
 「それ」を一度意識してしまうと、その呪縛は執拗にまつわりついて離れないものなのである。


 「それ」とは何か。

 ・・・「嫉妬」
 ― 妬み、嫉み、陰湿なる羨望から沸き起こる悪しき感情 ― のこと、である。


 およそ
 人間社会におけるさまざまな諍いは
 この「嫉妬」が原因になっているときが多い。
 能力・人気・財力または容貌などなどをめぐる競い合い、
 それが表面下深ければ深いほど嫉妬も暗く陰湿になっていく。
 恋愛の「ヤキモチ」など、
 この「嫉妬」のなかでは実に可愛げがあるほうかもしれない。

 そして
 ひとたび「嫉妬」に囚われると、
 私たちは嫌がおうにも自分の黒い部分と直面させられる。

 ドス黒い自分。

 普段は全くの善人のように
 静かに慎ましやかに、決まりを守り正しく生活の出来る私たちなのに、
 相手の失脚を思い描くことで溜飲を下げたり、
 ちょっとした悪の種を蒔く想像に、歓喜にうち震えたりするのだ。


 こんなにも汚らしく不快な自分、
 そして、それもまた自分であるという事実。

 愕然とする事実である。


 「憎悪」、「嫌悪」、「恨み」など
 ひとの中に巣食う黒い部分は数多くあるだろう。

 しかし、ひとが最も逃れたいのは、
 相手の「プラス」を起源としているにもかかわらず自分には「マイナス」にしか作用しない、
 この「嫉妬」からなのではなかろうか。

 だが、解放の日は簡単には来まい。

 なぜなら ひとは誰でも、
 「誰かに認められなければ生きていけない」存在なのだから。

 残念ながらひとはまだまだ
 オンリーワンよりナンバーワンを目指す傾向を捨て切れないでいる。

 つまり
 「嫉妬」とは、

 「認めてもらうこと」
 それをあまりに強く欲するが故の

 悲しい人間の性(サガ)、なのかもしれない。


 そうして、

 その性ゆえに今日も自分の黒い部分に直面させられる

 私がここにいるのである。

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2005/06/17

流れが断ち切られるとき

 映画やテレビの歴史時代劇を観ているとき・・・

 主人公である武将や姫君もさることながら、
 最近、いわゆる一般庶民のシーンが気になるようになりました。

 顔なんかはすすけて真っ黒。
 着ているものはぼろぼろでちょっと目には男か女かもわからないようなひどい様子で描かれていたりしますよね。

 それで何か?って言うと、
 「いやあ、本当に昔の生活というのは大変だったんだなあ」と思うわけです。

 食べ物だって粗末なものだし、しかもそれをお腹いっぱい食べられるわけじゃない。
 戦乱になると田畑は焼かれたり、
 野盗と化した武士団に略奪の限りを尽くされたり、
 疫病とかが流行ってしまえば、ばたばたとただ死んでいくしかない。
 子供が生まれても、その子が成人するまで無事でいられる確率なんて現代に比べれば格段に少なかったのでしょう。

 それがいわゆるその当時の人口の大方を占める庶民の暮らしだったのですよね。
 

 それは言い換えると、
 つまり私たちのご先祖も、
 まかり間違えばいつ死んでもおかしくないそんな状況の中、
 さまざまな要素、
 ―例えば屈強な肉体とか、冴えた頭脳とか、
 (それからこれが一番大きいと思うのですが)全くの幸運―、
 ゆえに命をながらえ、後世にその命を伝えることができたのだということです。

 そう思うと何やら「自分」というものが
 ものすごいもののような気がしてしかせんか?

 そのわずかな確率の中生き残ったご先祖たち、
 ただひとりが欠けたって、今の「自分」ではないのです。
 (まあ、別の「自分」として別のところに生まれてくることは可能性としてありますけれどね。)

 なんと言うか、
 自分の命が自分だけのものではなく脈々と続くひとつの流れのものであると言うか・・・

 そんなふうに考えはじめると、
 この流れを自分で断ち切るのには、かなりの思い切りが必要な気がしてきます。


 例えば今、苦しくて苦しくて、
 生きているのが辛くてたまらないようなひとがいたとする。
 そんなときこんな話は、
 このひとたちの視点を変えるひとつのきっかけにはならないでしょうかね。

 また、
 少子化が叫ばれ始めて久しいですけれど、
 様々な事情によりためらっているひとたちに
 「子供を産んでもいいかな」
 なんて思わせる要因にはならないものでしょうか。


 ・・・ いや、すみません。

 事情も苦渋もわからぬものの無責任な発言、に過ぎませんね。

 それこそ「立ち入りすぎ」というものでした。

 とにかく、

 今このときこの場所で生きていられるその幸福に

 四の五の言わずに
 ただ、感謝することにします。

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2005/06/13

ぎりぎりのところで

 余裕のある人生。
 いや金銭的にどうこうというのではなくて、あくまで世の中に対するものの見方とか姿勢の話なんですが、これってある意味理想的生き方といえますよね。

 どんなことであっても、夢中になればばるほど周りが見えなくなる。
 馬車馬のように前だけを見つめて走ってしまうため、広い視野が保てず、うまくいっているときはそれでもいいけれど、一旦行き詰るとこれがなかなか打開できない。

 でもそんなとき、一呼吸おいてひいて余裕を持って物事を見つめ直すとすんなり解決したりとか。
 意外と簡単な気の持ちようで物事はどうにでもなるような、そんな体験をされたかたも多いことと思います。


 例えば育児・・・

 これほど余裕をもってやることが大切だと言われているものもないかもしれません。

 相手は人間、しかも言葉が通じない赤ん坊だったり、仮に言葉が通じてもまだまだ自分の本能がその生活の唯一無二のルールであるような幼児なわけですから。
 きちんきちんとやろうとすればするほど、挫折感、無力感に襲われることになる。
 すこしハスに構えて、まあ、いいんじゃないのってなくらいで多分丁度いいのでしょう。

 よく描かれている理想的な母親像や父親像って、おっとりのんびりしていてそれでいてきちんと大事なところだけは絞めている。
 いつもちゃんとしていなきゃという強迫観念に支配されていないから、自分にも寛容だし、子供にも寛容になれる。
 簡単なようでいて、これってなかなか難しい。
 つまり自分の子育てに揺るぎない自信があって初めて可能なことではないか、と思うわけです。

 でも・・・
 でも、これ、あくまでいたらない母親である私の考えなのですけれど、
 でも、
 そんなふうに余裕を持って子供を育てられるひとって本当にいるの?
 って気がしてならないのです。

 大方の親というものは、母親にしろ父親にしろ、我が子のことになると一生懸命になりすぎるほどなってしまうものではないかと。
 それこそ、ぎりぎりのところで踏ん張って頑張って、迷いに迷いながら子育てしているのが、
 親ってもんなんじゃないのでしょうか。

 そりゃあ中には、
 「私は己の信念に基づいて○○だけは譲らないけれど、それ以外は子供の自主性に任せている。」
 というような確固たる信念のひともいるだろうし、
 「親が迷ってオタオタしていたら、子供も不安になってしまう」
 っていう意見ももっともだと思います。

 でも、
 できればこの子に合ったベストな育て方をしたい、
 でもそれが何なのかを未だに見つけられず、常に必死になって探し続けるその親の姿にも、子供は何かを感じてくれるのではないかな、

 そんなことを、
 子供と一緒に泣いたり笑ったり怒ったりしている
 みっともないことこの上ないような、
 この母は思ったりするのです。

 結局、
 ひとは皆、ぎりぎりのところで子育てをしていて、
 そんな必死の子育てだからこそ、子供も一人前に育つものなのだ

 そう、自分に都合よく信じたいだけなのかもしれません、が。


 ひょっとしたら

 「余裕のある子育て」という言葉は、
 そのぎりぎりの崖っぷちを踏み外しそうになったときの、
 命綱みたいなものなのではないでしょうか。

 それを呪文のように唱えることによって、
 自分のバランス感覚をとりもどせる、

 そんな
 魔法のような力こそが、
 「余裕ある子育て」の真の効能なのかもしれませんね。

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2005/06/08

「夏服の少女たち」

 ・・・今日、前髪を初めて分けてみた。
 ・・・鏡に映る自分は別の人のようで、少し照れくさかった。
 ・・・初めて髪を分けた、
   今日という日を一生忘れないでいよう・・・


 これはある少女の日記の一節である。
 (残念ながら正確に記憶してはいないので、一字一句確かというわけではないのだが)

 一生忘れない、と言っていたその少女は、
 それからおよそ4ヵ月後の昭和20年8月6日、広島でその一生を終える。
 学徒動員で街の建物の取り壊し作業に従事していた最中のことだった。
 彼女だけではない。
 彼女が所属した広島第一高等女学校一年生220人全てが、
 そのときの被爆により命を失っている。


 それから43年後、
 そして今から17年前の夏、
 とあるドキュメンタリー番組の中、私はこの日記のことを知った。

 ・・・初めて髪を分けた、
   今日という日を一生忘れないでいよう・・・

 その言葉のなんと瑞々しく、初々しいことか。
 おとなになるうれしさ、とまどい、はじらい。

 そして季節は春から初夏へと移りゆく。

 少女たちは自分たちの夏の制服を作り始めるのだ。
 物資不足の折から、母の古着をほどいて染め直して。
 やがて制服は完成し、その喜びに少女たちは皆で歌った。
 

 うのはなの におうかきねに

  ほととぎす はやもきなきて

   しのびね もらす

    なつは きぬ

 
 この『夏は来ぬ』(佐々木信綱作詞)のうたごえとともに、
 あとわずかの日々しか残されていなかった彼女たちの人生のはかなさゆえに、
 それから長く長くこの日記の言葉は、私の心に住みつづけた。


 そして一昨昨日(さきおととい)の日曜深夜、
 このうたごえと彼女の日記に私は再び巡り会うことができたのであった。

 NHKアーカイブスでドキュメンタリー『夏服の少女たち』が再放映されていた。


 ・・・初めて髪を分けた、
   今日という日を一生忘れないでいよう・・・

 ・・・17年前と同じだった

 ・・・涙が溢れ出そうだった

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2005/06/03

「理性による許容」とは

 自分と異なる意見を許容する、
 それは人間が社会生活を送る上で、必要不可欠なことである。

 実は前回、「夫婦別姓」に関する記事を書いたのだが、
 それに対するコメントのやり取りの中で、
 私は意見のくい違いを人間は理性でクリアできるはず、という意味合いも込めて
こんなことを書いている。

 ・・・その気持ち(この場合、改姓に伴う精神的苦痛)
   を自分の中で再現できなくとも
   許容することはできる、
 それは人間に備え付けられた能力であると私も思います。
 それが
 「立場の違う者への理解」
 というものなのかもしれませんね・・・

 しかし、これを書いたその直後から何だか、
 人間には本当に
 「心情的に理解できないことでも理性でその違いをクリアする」能力が備わっているのか、
 という疑いの気持ちがむくむくと生じてきてしまったのだ。
 まさに「その舌の根も渇かぬうちに」というかんじで恐縮なのであるが。

 自分が納得できないような考え、自分の中の正論とは相入れないような考えは、
 世の中にに溢れかえっている。
 でも多くの場合、その考えが自分の生活に実害を与えない場合ならば、ことさらめくじらをたてて非難しないものであろう。
 つまり、
 「その考えには賛同しかねるが、
 それを主張する貴方の権利まで否定することはできない」
 ということだ。

 そこで私がはたと気が付いたのは、
 違う意見を認めるというのは、
 その意見に理解を示すという場合もあるだろうが、
 違うことを主張するそのひとの権利を認めているだけに過ぎないこともまた多々あるのではないか、
 ということなのだ。

 もちろん、それも一種の「認める」ことのなのであろう。
 でも主張者にとってみると、
 それは本来そのひとが目指していたものとは違うような気がしてくる。
 意見を主張する権利を認めてもらったところで、自分としてはちっともうれしくなどない。
 だってそれはもともと当然の権利なのだから。
 主張者があくまで求めているのは、その意見への理解であり、
 もっと欲を言うなら賛同や共感なのだと思うのである。

 そして、そういった賛同や共感はやはり、
 その立場に立ち、その気持ちになって初めて可能なのではないのか、と。
 先ほど私が書いた、
 「その気持ちを自分の中で再現できなくとも許容することはできる」
 という「理性による許容」とは、
 結局、先ほどの「主張する権利は認めるよ」というような、
 冷たい中立のような許容に過ぎないのではなかろうか、と思ったわけだ。

 もちろん、そうした許容でもいいのかもしれない。

 実際、
 多くの論争では、
 「賛同が無理なら、せめてこの立場に理解を。
 それもダメだと言うのなら、
 迷惑をかけるわけではないということで認めて欲しい」
 という主張をみかけることは多い。

 でもなんていうか、それでは
 互いの相互理解とは別の道へ向かっているような、
 一抹の寂しさを感じてしまうのは私だけであろうか。

 結局、自分の身にそういう問題や苦悩がおこってみないと
 所詮わからないなんて、

 ちょっと人間の理性もまだまだなのかなあ、

 いや、
 人間ってもともとそういうもんだったのかなあ、

 なんて
 ちょっと悲しい気分になった次第なのです。

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