「国民」って誰?
「・・・この法案は国民の理解を得てはいない・・・」
「・・・国民の意思を無視したとんでもない悪法だ・・・」
ご存知、郵政民営法案反対の政治家の先生達のお言葉です。
国民・国民・国民・・・
これらの発言の中で指している「国民」って一体誰なのでしょう。
郵政の民営化により地方の郵便局が切り捨てられ、
それにより不自由を強いられる、過疎地のお年寄りたちでしょうか。
それとも、
大した仕事口がない過疎の村で、ようやく苦労して安定した職場に就職した郵便局員の方々とその家族たち?
はたまた、
長年特定郵便局長という国家公務員の地位を世襲によって受け継いでいた地方の旧家のひとびとのことなのでしょうか?
つまり、
赤字国債が乱発行され、
国家の先行きに不安を感じて行財政改革は一刻の猶予もなく断行されねばならないと、
やきもきしているひとたちだけが国民ではないということなのです。
都会に暮らしていると
分からないことっていっぱいあります。
郵政の公共サービスも、
電車を5分も待つことない環境と
自家用車がなければ買い物ひとつできないような環境では
必要とされる度合いもまるで違うはずだし、
必要とされながらも
採算の面で切り捨てられる可能性は極めて高い。
だからこそ
民営ではなく公共サービスの形で残してほしい、
という主張もうなずけます。
でも、
でも、その公共サービスだってなんだって、
日本という国が、
赤字国債の借金まみれで倒れてしまえば
何にもならないのではないのですか?
だから、
行政改革が必要なんだし、
財政改革が必要なんではないのですか?
民営化反対派は言います。
「郵政事業を民営化しても大した行財政改革の効果は期待できない。
それよりも今までの公共サービスの低下や切捨てが問題だ。」と。
それに対し民営推進派はこうです。
「例え民営化しても、サービスの切捨てにはならないし、
この民営化は行財政改革のの中核でありその効果は多大なものがある。」と。
互いに真っ向から相手が間違っていると彼らが言うのなら、
私たち国民は何をもってどちらが正しいと判断すればよいのでしょうか。
こんなとき
つくづく思います。
誰かが魔法の杖をひとふりして、
今までにみたこともないような好景気を日本に永遠にもたらしてくれればいいのに・・・
それこそ、
いまのまんまで、
誰も傷つかず、
郵便局員は失業の心配もなく、
過疎のお年寄りは今までどおりのサービスを受け続け、
今現在郵政事業の恩恵を享受しているひとたち
―下世話な言い方をすればオイシイトコを欲しいままににしているひとたち―
もそのままの状態で
財政赤字がきえてなくなれば、
こんないいことはないのでしょうにねえ。
大きい政府のまま、
いっそ国民すべてが政府に呑み込まれ、
それでも
その国家が立ち行かなくなるのでなければ、
それもありなのかな・・・
なんて
そんなことを。
・・・無責任過ぎますかねえ・・・
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