「しょうがパン」
はじめて
その言葉に出会ったのは、
夏休みの課題図書の中であった。
それは、白人の幼い少年が家出をする準備のために
リュックに入れたものの中に登場していた。
「しょうがパン」
「しょうが」の「パン」?
・・・なに、それ?
これが私の感想だった。
当時小学校低学年の私の中での「しょうが」というものは、
ソース焼きそばの上にちょこんとのせられている紅しょうがに代表されていた。
だから、
この「しょうがパン」のイメージも
丸パンの上に小さなリボンのように赤い紅しょうががのっているものが
まずは浮かんできたのだった。
うーん、外見的には決して悪くはない。
なんだか女の子のパンみたいで可愛くすらある。
でも味は?
子供が家出する際に持っていこうとするものなのだから、
それは多分子供の味覚にとっても美味しいものなのだろう。
が、とてもしょうがの味のするパンなどというものは美味しいものとは思われない。
むむむ・・・
と、幼い私はここで「しょうがパン」に対する追究をやめてしまったわけなのである。
しかし、
少し前の新聞のコラムで知ったのであるが、
驚いたことに、この「しょうがパン」を幼い日に作ろうとした方がいたらしい。
それによると、
その方もやはりこの「しょうがパン」なるものに途轍もないインパクトと疑問を感じたようである。
そして多分私よりは年長であったそのひとは、紅しょうがではなく普通の生しょうがを使って「しょうがパン」の製作に臨まれた。
細かい作り方は忘れたが、しょうがを細かく砕いてそれをパンにねじ込むとか、そんな感じだったような気がする。もちろん食べたときの感想も述べられていた。
感想は・・・・言わずもがな、であった。
「結局『しょうがパン』は私たちが考えていたものとはまったく別のものだったのだ」
というようなことがその文章の後半にはかかれてあった。
ということは、その方は「しょうがパン」の正体を知ったということなのだ。
私のまだ知らぬ「しょうがパン」の正体を・・・
そしてついこの間、その「しょうがパン」のコラムのことを私はふと思い出してネットで検索してみた。
しかしこれといった手がかりになりそうな記述は見つからない。
そこで今度は視点を変えて英訳して「ジンジャーブレット」で検索してみる。
そうすると・・・
おおぉぉ、ありましたよ(こちらを参照のこと)。
(こんなにも美味しいそうなお菓子が「しょうがパン」だったとは驚きである。)
と思った私だったが、
だがすぐに
(いや、ちがう)と思い返した。
これはやっぱり「ジンジャーブレット」であって「しょうがパン」ではない。
一体誰が訳したのか知らないが、
「ジャンジャーブレット」が「しょうがパン」に訳されたときに、
全く別の食べ物が、
多くの日本人の頭の中には誕生したのである。
「しょうがパン」はあくまでその「全く別の架空の食べ物」を表す言葉なのだ。
どんなに数多くの日本の子供達が胸をふくらませてその「しょうがパン」なるものを想像したことであろうか!
翻訳とは、
別の世界をもうひとつの世界に知らしめること、
そして、
それと同時に良くも悪くも全く別の世界をも作り上げること。
そんな言葉が、
頭の中をふと、よぎった。
さて、うちでも
「しょうがパン」ならぬ「ジンジャーブレット」を
今度はつくってみようか、な・・・