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2005/09/30

「しょうがパン」

 はじめて
 その言葉に出会ったのは、
 夏休みの課題図書の中であった。

 それは、白人の幼い少年が家出をする準備のために
 リュックに入れたものの中に登場していた。

 「しょうがパン」

 「しょうが」の「パン」?
 ・・・なに、それ?

 これが私の感想だった。

 当時小学校低学年の私の中での「しょうが」というものは、
 ソース焼きそばの上にちょこんとのせられている紅しょうがに代表されていた。
 だから、
 この「しょうがパン」のイメージも
 丸パンの上に小さなリボンのように赤い紅しょうががのっているものが
 まずは浮かんできたのだった。

 うーん、外見的には決して悪くはない。
 なんだか女の子のパンみたいで可愛くすらある。
 でも味は?

 子供が家出する際に持っていこうとするものなのだから、
 それは多分子供の味覚にとっても美味しいものなのだろう。
 が、とてもしょうがの味のするパンなどというものは美味しいものとは思われない。
 むむむ・・・

 と、幼い私はここで「しょうがパン」に対する追究をやめてしまったわけなのである。
 しかし、
 少し前の新聞のコラムで知ったのであるが、
 驚いたことに、この「しょうがパン」を幼い日に作ろうとした方がいたらしい。

 それによると、
 その方もやはりこの「しょうがパン」なるものに途轍もないインパクトと疑問を感じたようである。
 そして多分私よりは年長であったそのひとは、紅しょうがではなく普通の生しょうがを使って「しょうがパン」の製作に臨まれた。
 細かい作り方は忘れたが、しょうがを細かく砕いてそれをパンにねじ込むとか、そんな感じだったような気がする。もちろん食べたときの感想も述べられていた。
 感想は・・・・言わずもがな、であった。

 「結局『しょうがパン』は私たちが考えていたものとはまったく別のものだったのだ」
 というようなことがその文章の後半にはかかれてあった。
 ということは、その方は「しょうがパン」の正体を知ったということなのだ。
 私のまだ知らぬ「しょうがパン」の正体を・・・


 そしてついこの間、その「しょうがパン」のコラムのことを私はふと思い出してネットで検索してみた。
 しかしこれといった手がかりになりそうな記述は見つからない。
 そこで今度は視点を変えて英訳して「ジンジャーブレット」で検索してみる。
 そうすると・・・
 おおぉぉ、ありましたよ(こちらを参照のこと)。


 (こんなにも美味しいそうなお菓子が「しょうがパン」だったとは驚きである。)

 と思った私だったが、
 だがすぐに
 (いや、ちがう)と思い返した。
 これはやっぱり「ジンジャーブレット」であって「しょうがパン」ではない。
 一体誰が訳したのか知らないが、
 「ジャンジャーブレット」が「しょうがパン」に訳されたときに、
 全く別の食べ物が、
 多くの日本人の頭の中には誕生したのである。
 「しょうがパン」はあくまでその「全く別の架空の食べ物」を表す言葉なのだ。
 どんなに数多くの日本の子供達が胸をふくらませてその「しょうがパン」なるものを想像したことであろうか!

 翻訳とは、
 別の世界をもうひとつの世界に知らしめること、
 そして、
 それと同時に良くも悪くも全く別の世界をも作り上げること。

 そんな言葉が、
 頭の中をふと、よぎった。


 さて、うちでも
 「しょうがパン」ならぬ「ジンジャーブレット」を
 今度はつくってみようか、な・・・


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2005/09/22

「おんなVSをんな」って一体?

 我が家でとっている新聞には土曜版とういものがある。
 一般紙ではなく経済紙であるこの新聞には基本的には女性が好んで読むような記事が少ない(特に朝刊)。
 どうもそれを補うかのようにこの土曜版はあるのか、内容は女性向けの記事でいっぱいだ。
 その中でも私が欠かさず読んでいるコーナーがある。
 その名も「おんなVSをんな」。
 ひとつのテーマについて1週ごとに未婚と既婚の30代働く女性がその目線から自分の意見を述べるというものなのだ。

 テーマは「指輪」「ネイル」というごく身近で可愛らしいものから、「防災」「健康」といったやや真面目な問題、それから「子育て支援」などというそれこそ真っ向から対立ムードが漂いそうなものまでさまざま。
 その歯に衣着せぬ意見の対立の図式に、下賤な言い方だが、「おっ、ケンカか、ケンカか?」という野次馬的興味も手伝い、このコーナーが始まったころは毎週楽しみに読んでいた。

 しかし、である。
 しかし、最近はなんだかその内容にも食傷気味である。
 うーん、何故なのだろうか。

 もちろん、「そうそう、そうなのよ!」という共感を感じる記述だって決して少ないわけではない。
 今まで気付かなかったような新鮮な視点を提供してくれたことも何度かあった。
 でもいつの頃からだろうか、
 この意見の交わし合いが、
 どうも互いに一方通行に飛ばしあっているだけという不毛感を伴うようになってきたのは。
 その姿はあたかも同じ土俵ではなく違う土俵で互いに見えない敵を相手に戦っているかのようなのだ。

 結局、
 そのせめぎ合いとは
 互いに相手の持っているものや状況への羨望、
 そして、その羨望を認めるにはあまりに誇り高い自分という
 自分の中のせめぎ合いが表面に出てきただけなのかも・・・
 だからこそ、
 出口は外にあるのではなく内にあるという事実、
 それがこの論争の閉塞感を生み出しているのかもしれない・・・
 これが、私のこのコーナーへの見方だった。

 しかし、
 私が感じた閉塞感や限界感以外のものをこのコーナーから掴んだ方もいらしたようだ。

 今回この記事を書くにあたって、
 拝読させていただいた、この「おんなVSをんな」について書かれた何点かのblog。
 その中で、心に残ったのが「働くペンギン」のちゃいさんの次の記事だった。
 「女の敵は女?その1」
 「女の敵は女?その2」
 これを読んで、女の敵は女=自分、自分も誰かの敵になり得るという視点をもったちゃいさんに敬意を表します。
 そして、
 このようにちゃいさんが考えるきっかけとなった
 「おんなVSをんな」というコーナーの可能性を
 もう少し大きく考えてみたいと思った私。

 曰く、
 「女の敵は女」ではなく、
 「貴女の敵になりうる私」。
 こんな視点で改めて
 今週の新しい記事を読んでみたいものである。

 そんなわけで、
 次回の記事が
 ちょっと楽しみになった。

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2005/09/16

「無量大数」に至るまで

 「いちばん大きい数を教えてよ」と、子供が尋ねた。
 えぇっ?一番大きい数って言ったって・・・と困惑する私。
 畳み掛けるように子供は
 「○○くんがムリョウタイスウがいちばん大きいって言っていたよ。」
 と続ける。
 「ムリョウタイスウ?」
 「ムリョウタイスウ」ってひょっとしてあの「無量大数」のことかしら?
 ・・・「無量大数」
 その言葉を私はずーっと昔に耳にしたことがある。
 それはあるテレビコマーシャルの中でのことだった。


 バックは壮大なる宇宙。
 その雄大な風景にむかってロケットが発射されるシーンなどが描き出される中、
 一、十、百、千、万、億、兆・・・
 淡々と数の単位が読み上げられていく。
 ・・・兆、京(ケイ)、秭(シ)、穣(ジョウ)、溝(コウ)、潤(カン)、正(セイ)、載(サイ)、極(ゴク)・・・
 どんどん見たこともない字、
 読み仮名をふってくれねば分からないような難解な字が続いていく。
 ついに
 ・・・極(ゴク)、恒河沙(コウガシャ)、阿僧祇(アソウギ)、 那由他(ナユタ)・・・
 と、単位は一字を越えて何やら東洋哲学や仏教思想のような様相を見せて来、
 ・・・那由他(ナユタ)、不可思議(フカシギ)、無量大数(ムリョウタイスウ)
 に至る。
 そして最後の〆の一言(うろ覚えなので定かではないが)。
 「・・・はるか古代にも
 既に我々の想像を絶するほどの壮大な数の世界が存在したのだ・・・」


 これはその昔、
 「COSMOS―コスモス」という科学番組の放映時に、提供していたIBMのコマーシャルであったと記憶している。
 昭和50年代半ば、
 コンピューターというものは一般家庭にはまだまだ縁遠い製品であり、
 そのメーカーであるIBMという企業を、私が初めて知ったのもそのときだった。
 当時子供だった私には初め、それはコマーシャルではなく番組の一部のように思われるほど壮大で精巧なものに映ったものである。
 「すごい、すごい!こんなに大きな数を昔のひとは考えていたのか!」

 そして四半世紀を経た今現在。
 「兆」なんて国家予算にしか使われない単位だと思っていたが、
 ギガ(10億)やテラ(1兆)などという大きな数の単位は意外とお金の分野以外でも身近なものになってきている。
 そのうち「穣(ジョウ)」だの「潤(カン)」だのいう単位も、さほど「?」というものではなくなる日がやってくるのかもしれない。

 人間の生きる世界はそれだけ、広く深くなっているのだなぁ、
 しかも急速な速さで。


 さて、
 子供に言われてこのCMを思い出した私。

 無量大数以外のほかの単位を調べたくなったのだが、
 それを調べるのはいとも簡単になことであった。
 そう、例によってこのインターネットの検索を使って。
 最近は、調べものなら何でも検索に限る。
 歴史の詳細、著名人の血縁関係、名文の出典、果ては英語の綴りに至るまで、
 苦もなく瞬時にパソコンは答えを示してくれる。

 ・・・
 しかし、
 そのあまりの便利さに、
 ふと、そら恐ろしくなるときがある。

 こんなに甘やかされ贅沢で脆弱になった我々が
 なんらかの天災などにより、ある日突然文明を失ったら?

 (気の遠くなるほどの膨大な数は、
 やはり頭の中で考えているだけの時代の方が良かったのかなあ・・・)

 そんな気弱は心持に私がなるのは、

 何者かに対しての

 良心の疼きなのだろうか。


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2005/09/13

「不倫純愛至上主義?」

 9月。
 今月の初めはいつになくばたばたしたものになってしまった。

 子供も新学期だし、私の仕事も月末月初は通常忙しい。
 加えて会社の同僚がひとり入院していたせいもあって、
 いや、気が付いたら「9月も中旬になっている」という軽い驚きすら感じられる程であった。

 それでも、
 ようやく一段落がつき、新聞に目を通してみる余裕も出てきた。
 久しぶりに読んでみるか。
 といっても難しい社説などには目もくれず開くのは後ろの紙面。
 つまり、ご無沙汰していたエッセイのコーナーや連載小説などだ。
 ・・・
 驚いたことに連載小説のひとつは急展開をみせていた。

 いつも読んでも甘いシーンを書き連ねているという、
 ベストセラーの前作を髣髴とさせる人気作家の恋愛小説。
 それが終盤に差し迫っているかのように、その愛は終わりを迎えようとしている。
 それはあたかも

 「愛は極めると死に繋がる」

 という作者のいつもの自論に落ち着いたという感じの終わり方のようだ。

 実は私はこの小説には少々食傷気味の感を持っていた。
 ヒロインはいかにも男性が憧れるような楚々とした慎ましやかな人妻、
 そして不遇な結婚生活を強いられている。
 その薄幸な彼女が主人公との純愛を通じて女性としての幸せに目覚める。
 その幸せの只中で、絶頂でこときれたいと、死を望むようになる。
 まさに「純愛至上主義」の逸品といったところだ。

 しかし、この至上主義というのは一歩外から眺めるとどうしたって嘘臭さや身勝手さばかりが鼻につくようになる。
 その世界に酔いしれることの出来る人間には甘美この上ない世界なのだろうが、
 置いていかれた人間には「けっ、何言ってんだか!」という冷ややかな眼差ししか向けられない絵空事になってしまう。

 結果、「不倫純愛」とはおよそ無縁の私はイライラしながらその作品を批判する側に回ることになってしまった。

 そんな野暮な私の石部金吉のごとき生真面目さを、夫は笑ってこう言った。
 この小説は「サラリーマンの願望」が生み出した産物なんだよ、と。
 つまり世の多くの男性というのはこういう「非現実的不倫恋愛小説」が好きだということなのだろうか。
 皆、この世界に酔いしれているということなのか?

 これはあくまで夫の考えだが、
 読者であるサラリーマンはその純愛に酔いしれるというほどではなく、あくまでそういったちょっといい女との非現実的恋愛の世界に遊んでいるという程度のもののようだ。
 そして、作者はそうした読者の非日常的なちょっとした願望を満たすという要求に応じてビジネスとして書いているだけであってことさら純愛至上主義者というわけではないのだろう、ということらしい。

 「なぁーんだ」って感じだ。

 「いくら読者の願望だからって、一応小説なんだからもうちょっと真実味のある内面をえぐるようなものを書こうと思わないのかしら」と私。
 「新聞の連載小説なんて、そんなもんだよ。
 通勤電車のなかでちょっと読む『よみもの』なんだもの。そんなところまで作家も読者も期待していないんだよ」と夫。

 ということは、
 イライラしながらも、何となく読んでしまう私のような読者もこの作品の魅力にとりつかれているうちに入るということなのか。
 つまり何となく反感をもちながらも読ませているという点だけでも、
 この作品はすでに成功しているのかもしれない。

 しかし、なんだか砂を咬むような気分にさせられる。

 やはり私は、
 活字には心になにかしみわたるようなものを求めたい。
 どうせ読むのなら、いい気持ちになるだけではなくズンと響くなにかを求めたい。

 映画や漫画とは違う、文章の世界へのこだわりなのだろうか。

 そのこだわりというものが、
 全く個人的なものであり、
 理性的根拠のないものであることは、誰の目にも明らかではあるのだが・・

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2005/09/09

「いまどきの~」というけれど

 ラジオから流れてきた、とある会話。

 「・・・今の子供とその頃の子供と、変わったところってありますかねえ」
 「いや、変わっていないと思いますよ」

 質問者はその番組の司会者、回答している方は荒井良二氏。
 氏は児童文学のノーベル賞と言われるスウェーデンの児童少年文学賞である「アストリッド・リンドグレーン記念文学賞」を今年受賞されたという注目の絵本作家である。
 そしてこの会話の中の「その頃」とは荒井氏が絵本を書き始めた20年ぐらい前のこと。
 そんなに昔のことではない。
 だから、「変わっていない」という荒井氏の答えは至極当たり前というふうに受け取れてもよさそうなものだ。
 しかし、意外と世間は「子供が変わっていっている」と思いがちである。
 「インターネット、テレビゲーム、携帯電話などなど、子供を取り巻く環境はめまぐるしく変わっているのだ。子供だってその影響をうけて変わっていくのが当たり前ではないか?」
 あたかもそう言いたげだ。

 でも、
 荒井氏と同じように、私が思うところでも子供は何も変わっていない。

 この前の夏休み、
 PTA主催の子供お楽しみ会が開催されたときのこと。
 私はシャボン玉飛ばしコーナーのお手伝いにかりだされたていた。

 ところが、
 主催者側が用意したシャボン玉液には粘りが足りなかったのか、
 コーナーの目玉となる「丸枠を使って作る巨大シャボン玉」はとてもできないような状態であった。
 出来るのはストローを使ってできる小さなシャボン玉ばかり。
 これではとても小学生たちの心は掴めまい。

 しかし、落胆していた私たちの意に反して、
 このシャボン玉コーナーは大盛況となった。
 子供は小さなシャボン玉を作るのにも喜び、
 難しい巨大シャボン玉には粘り強く果敢にチャレンジを繰り返し、
 挙句の果てにはバケツに用意されたシャボン玉液を
 ただただ泡立てることにすら
 楽しさを、遊びを見出しているのだ。
 子供って偉い!

 その様子を見て私は思った。
 「何もなくても、子供は遊びを見出せる・・・
 昔とちっとも変わっていないのだ・・・」
 と。

 子供は何も変わっていない。

 相変わらず、
 子供は、
 親が大好きで、
 親に認められたくて抱きしめてもらいたくてうずうずしている。
 友だちと遊ぶのが何よりも大好きで、
 友だちとじゃれあってさえいれば高価なオモチャやゲームなんかなくたって十分楽しんでいられる。
 そして、
 型にはめられるが嫌で、
 周りが押し付けようとすればするほど反発し抵抗する・・・

 そう、結局子供は何も変わってなどいない。
 変わったと思い込んでいるのは大人だけなのだ。

 子供は変わった、
    変わってきている、
        変わってしまった

        だから親も何とかしなくちゃ、
    情報集めなくちゃ、
 世間に乗り遅れないよう細心の注意を払わなくては!

 なんか「踊らされている」って感じじゃないだろうか。

 子供にしろ大人にしろ、
 ひとなんてものはそんな簡単には、変わらないはず・・・

 「日本の未来だってまだまだ捨てたもんじゃないかも」

 ・・・・
 果たして
 そんなふうに思う私を
 「なんと能天気な!」と皆さんは笑われますか?

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2005/09/05

究極の一対一

 藤原道綱の母、というひとがいます。
 有名な平安時代の女流文学作品のひとつである、「蜻蛉日記」の作者ですよね。
 父は伊勢守正四位下藤原倫寧(ともやす)、夫は有名な藤原道長の父で藤原氏最盛期の基礎固めをした藤原兼家。
 一介の国司の娘の右大臣の御曹司との結婚なわけですから、彼女の結婚は結構な玉の輿だったのでしょう。結構な美女でその才媛ぶりもなかなかのものだったそうです。

 そんな彼女なのですが、
 それにしても、「道綱の母」っていう呼び方しかないのもあんまりな気がしませんか?

 もちろん、彼女にもちゃんとした名前はあったのでしょう。しかし宮仕えをしてその才媛ぶりを世に知らしめることもなかった彼女には清少納言や紫式部のようなニックネームさえ後世に残こすことはありませんでした。
 その結果として、彼女の妹の娘である菅原孝標の娘(「更級日記」の作者)と同様に、公文書に名の残る男性との関わり(「~の母」や「~の娘」のような表現)によってその個人を識別するほかはなくなってしまったのです。


 それは中学生のときでした。

 「じゃあ、どうして『道綱の母』は『兼家の妻』とか『倫寧の娘』というふうに呼ばれなかったのでしょうか」
 と先生が質問したことがありました。
 答えることが出来ず困惑する生徒を前に先生はこう続けます。
 「当時は一夫多妻の時代。『兼家の妻』では当てはまる人物は複数です。そういう意味では『倫寧の娘』もひとりの人間をあらわすのは不適当ですよね。そういう点で『母』というものはどう考えてもひとりしかいないわけで、そんなところからも『道綱の母』という呼び名が適当だったのでしょう」

 今ならば、
 「じゃあ、孝標の娘はどうなの?結婚しなかったの?子供いなかったの?」
 なんて屁理屈をこねるところですけれど(実際孝標の娘も結婚して子も儲けていますが、「橘仲俊(孝標娘の子の名)の母」なんてのは聞いたこともないです、結局名を使ってもらうのにもある程度の知名度も必要なのでしょう)、
 中学生のころは疑うことを知らなかったのでしょうね。
 この先生の説明を聞いて、私は「なぁるほど」と思ったものでした。

 しかし、
 それと同時になにやら子供の悲哀のようなものも感じたわけで・・・

 (ひとりの人間の母というものはこの世にひとりしかいない。
 しかし母親にとっての子供は、産んだ数だけいるのだ)

 そう思うと、
 なんだか子供というものが何やら哀れで、
 どんなに想っても決して完全には報われぬ片想いを見るような気がしたものでした。

 (つまり、親子関係は一対複数のある意味バランスの偏った関係なのだ)
 そう思った私は
 (それじゃあ、絶対的な「一対一の関係」ってどこにあるのかなあ・・・)
 ふと、そんなことを考えたのです。

 結婚による夫婦の関係は今でこそ一対一が原則であり当たり前ではありますが、
 それも人間同士が決めた決まりごとあってのこと。
 重婚こそはないけれど離婚・再婚が珍しくなくなった昨今、
 夫婦が未来永劫につながる絶対的究極の一対一関係だとは、残念ながら言いがたいですよね。

 結局
 (生物学的に完全なる一対一の関係というのは、親とその一人子の関係だけなのだ)
 そんな結論に辿りついたような気がします。

 今、子供はひとりで十分と考える親御さんが多いようですが、
 「子供はお金がかかるから」とか
 「少なく生んで限られた子供をよりよく目をかけてやりたい」とか
 様々な理由の他にもひょっとしたら
 安定した「絶対的一対一の関係」への無意識の憧れのようなものがあるのかもしれませんね。

 実際、自分を振り返ってみると
 ひとりでふたりの子供を「同時に分け隔てなく相手する」というのは、
 これでなかなかのストレスを感じたりするものですし。


 私自身が体験できなかった、
 絶対的究極の一対一。

 それが、一体どんなものなのか、
 なんだかいまとなっては分かりようもないのですが、
 ちょっと覗いてみたいような気もします。

 子供は果たしてその安定した関係をどのようにとらえるのでしょうか?
 より充実した安心をもたらすものとして喜びを持ってとらえるのでしょうか?
 それとも、
 その絶対的過ぎる関係を逃げ場のないものに感じ、辛くなったりすることもあるのでしょうか?
 ・・・・

 もちろん、そんなことはあくまで想像に過ぎませんけど。

 それでも
 いろいろな弊害があったとしても、

 その「絶対的一対一」に憧れる

 そんな気持ちを否定できない私がここにいます。

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2005/09/01

選挙についてあれこれ思う

 9月に入ったといってもまだまだ残暑厳しい折柄である。

 そんな中、先月30日の公示以降、総選挙の宣伝カーの候補者の名を連呼する声には体感温度が一気上がる気分にさせられるのは決して私だけではないだろう。
 言っている方も辛いだろうが、聞いている方も辛くなる。
 でもどちらがより辛いかといったら、やはり迷惑がられているのを百も承知で、だが「これをやらねば落選してしまう、背に腹はかえられぬ」と声をからして叫んでいる方のような気がするのだが、いかがだろうか?

 さて選挙というと思い出すのは、今から15年ぐらい昔のこと。
 それはまだ結婚前で、私は東京近郊の実家から都内の勤め先へと片道1時間半の通勤をしていたころのことだ。
 そのときは市議会議員選挙かなにかが予定されており、その選挙戦がたけなわだったのだと思う。
 通勤のためバスを待っている何人かの人たちに向かって、市会議員候補の何某氏とその支援者たちが、一生懸命その候補者のことをアピールしビラか何かを配っていた。
 それに対し、バスを待つ有権者の反応は冷たい。
 都内に勤めているサラリーマンがほとんどである我々にとっては、正直な話、すんでいる自治体の市議選などはまるで興味がないというところであろう。実際私ももらったビラにはほとんど目を通すことなく、駅のゴミ箱に捨ててしまったような気がする。
 そんな、今思うとけしからぬ程無関心な私であったが、なぜかこの候補者と支援者達の光景、声をからして、白い手袋で手を振る光景が記憶の中に焼きついている。
 何故だろうか。
 それは、そこにいた候補者と支援者達が、
 いかにも

 「その土地の有力者」と「それに群がる取り巻き連中」

 という感じがぷんぷん漂っており、それに言いようのない嫌悪感を感じたからなのかもしれない。
 「でも市議会選挙なんて、そんなもんなんだろうな」
 なんてことを思いながら来たバスに乗りながら、更に私は考えた。
 所詮、街のこと考えるといっても、街を動かすひとりに加わりたいだけなんじゃないか?
 もちろん純粋に我が街を 良くしていこうという意欲には頭の下がる思いはするが、その「良くした」という自分の功績に何の見返りも求めないひとが果たしているであろうか。
 その地域の顔となり、地域行政に太いパイプを持つことは、私達が想像もできないようなメリットがあるような気がしてならない。

 あーあいやだなあ、市議選って利権が絡み合ってるって感じでいやらしいなあ・・・
 正直関わりあいたくない世界だなあ・・・

 そんなふうに若い私は思ったものだった。


 しかし今になって思う。

 その地方選挙よりは少しは興味の持てる国政選挙について考えてみると、
 それには、そうしたウサン臭さが地方選挙に比べると少ないなんてことは言えるのだろうか?
 ・・・
 いや、国政選挙もそうした市議選挙も何もかわりはない。
 やはりひとつの団体のバックアップを基にひとりの人間が議員になり、そして自分を応援してくれた団体の利益を守ろうと働く構図は一緒なのだ。
 当たり前のことかもしれないけれど、つまり市町村議選のような身近な地方選挙は選挙というものの縮図でありその本質を表しているものなのである。

 そういう風に考えると、
 そもそも政治ってもの自体が、
 有権者にとっては「自分の利益を守るための代弁者を立て議会におくる」ことであり、
 政治家にとっては「自分を選んでくれた支持団体の利益を守る」ということなのかもしれない。

 支持母体の利権のみに奔走する政治家を俗に「族議員」などと言うが、
 程度の差こそあれ政治家は支持者の代弁者であり利益を守る点では皆「族議員」なのだ。

 ただ、
 あまりに特定の団体の利益に固執することが、
 国民全体の利益を損わさせていることが問題なのであり、
 嘆かわしいことにそれが蔓延しているのが日本の現状のなのであろう。

 そして、その憂うべき現状を打破できるかどうかは、ひとりの特出した政治家にかかっているのではない。
 広い視野に立って自分達の行くべき道を見極められる「国民ひとりひとり」にかかっているのである。
 だって、そうではないか。
 政治家とは、そういう国民の代弁者であり利益の守護者であるのだから
 国民が変わらずして政治家もまた変わる訳がないのだ!


 ここで立ち止まって考えてみる。

 私自身は自分の利益を守る代弁者を選んでいるのだろうか。
 いやそれ以前に私自身の利益とは一体何なのだろうか。

 もちろん、夫や自分の就労状況の改善(労働時間の時短など)や年金制度の改革、景気対策、税金の無駄遣いの改めである行財政改革、少子化問題への対応、数え上げればきりがない。

 そういった自分の考えを整理したうえで、

 では、今度の選挙は
 私たち生活者の「族議員」になってくれそうな人を選んでみようか・・・

 そんなひとが果たしているのか、
 その辺りがどうも心もとないのが悲しいところだ。

 もっとも、
 各自の生活に精一杯でお世辞にも団結していると言い難く、また資力なども頼りにはならない各「生活者」の利益を代弁してくれるひとが、そうそういるとも思えない。

 それは、ある意味当たり前のことなのかもしれないが・・・


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