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2005/09/01

選挙についてあれこれ思う

 9月に入ったといってもまだまだ残暑厳しい折柄である。

 そんな中、先月30日の公示以降、総選挙の宣伝カーの候補者の名を連呼する声には体感温度が一気上がる気分にさせられるのは決して私だけではないだろう。
 言っている方も辛いだろうが、聞いている方も辛くなる。
 でもどちらがより辛いかといったら、やはり迷惑がられているのを百も承知で、だが「これをやらねば落選してしまう、背に腹はかえられぬ」と声をからして叫んでいる方のような気がするのだが、いかがだろうか?

 さて選挙というと思い出すのは、今から15年ぐらい昔のこと。
 それはまだ結婚前で、私は東京近郊の実家から都内の勤め先へと片道1時間半の通勤をしていたころのことだ。
 そのときは市議会議員選挙かなにかが予定されており、その選挙戦がたけなわだったのだと思う。
 通勤のためバスを待っている何人かの人たちに向かって、市会議員候補の何某氏とその支援者たちが、一生懸命その候補者のことをアピールしビラか何かを配っていた。
 それに対し、バスを待つ有権者の反応は冷たい。
 都内に勤めているサラリーマンがほとんどである我々にとっては、正直な話、すんでいる自治体の市議選などはまるで興味がないというところであろう。実際私ももらったビラにはほとんど目を通すことなく、駅のゴミ箱に捨ててしまったような気がする。
 そんな、今思うとけしからぬ程無関心な私であったが、なぜかこの候補者と支援者達の光景、声をからして、白い手袋で手を振る光景が記憶の中に焼きついている。
 何故だろうか。
 それは、そこにいた候補者と支援者達が、
 いかにも

 「その土地の有力者」と「それに群がる取り巻き連中」

 という感じがぷんぷん漂っており、それに言いようのない嫌悪感を感じたからなのかもしれない。
 「でも市議会選挙なんて、そんなもんなんだろうな」
 なんてことを思いながら来たバスに乗りながら、更に私は考えた。
 所詮、街のこと考えるといっても、街を動かすひとりに加わりたいだけなんじゃないか?
 もちろん純粋に我が街を 良くしていこうという意欲には頭の下がる思いはするが、その「良くした」という自分の功績に何の見返りも求めないひとが果たしているであろうか。
 その地域の顔となり、地域行政に太いパイプを持つことは、私達が想像もできないようなメリットがあるような気がしてならない。

 あーあいやだなあ、市議選って利権が絡み合ってるって感じでいやらしいなあ・・・
 正直関わりあいたくない世界だなあ・・・

 そんなふうに若い私は思ったものだった。


 しかし今になって思う。

 その地方選挙よりは少しは興味の持てる国政選挙について考えてみると、
 それには、そうしたウサン臭さが地方選挙に比べると少ないなんてことは言えるのだろうか?
 ・・・
 いや、国政選挙もそうした市議選挙も何もかわりはない。
 やはりひとつの団体のバックアップを基にひとりの人間が議員になり、そして自分を応援してくれた団体の利益を守ろうと働く構図は一緒なのだ。
 当たり前のことかもしれないけれど、つまり市町村議選のような身近な地方選挙は選挙というものの縮図でありその本質を表しているものなのである。

 そういう風に考えると、
 そもそも政治ってもの自体が、
 有権者にとっては「自分の利益を守るための代弁者を立て議会におくる」ことであり、
 政治家にとっては「自分を選んでくれた支持団体の利益を守る」ということなのかもしれない。

 支持母体の利権のみに奔走する政治家を俗に「族議員」などと言うが、
 程度の差こそあれ政治家は支持者の代弁者であり利益を守る点では皆「族議員」なのだ。

 ただ、
 あまりに特定の団体の利益に固執することが、
 国民全体の利益を損わさせていることが問題なのであり、
 嘆かわしいことにそれが蔓延しているのが日本の現状のなのであろう。

 そして、その憂うべき現状を打破できるかどうかは、ひとりの特出した政治家にかかっているのではない。
 広い視野に立って自分達の行くべき道を見極められる「国民ひとりひとり」にかかっているのである。
 だって、そうではないか。
 政治家とは、そういう国民の代弁者であり利益の守護者であるのだから
 国民が変わらずして政治家もまた変わる訳がないのだ!


 ここで立ち止まって考えてみる。

 私自身は自分の利益を守る代弁者を選んでいるのだろうか。
 いやそれ以前に私自身の利益とは一体何なのだろうか。

 もちろん、夫や自分の就労状況の改善(労働時間の時短など)や年金制度の改革、景気対策、税金の無駄遣いの改めである行財政改革、少子化問題への対応、数え上げればきりがない。

 そういった自分の考えを整理したうえで、

 では、今度の選挙は
 私たち生活者の「族議員」になってくれそうな人を選んでみようか・・・

 そんなひとが果たしているのか、
 その辺りがどうも心もとないのが悲しいところだ。

 もっとも、
 各自の生活に精一杯でお世辞にも団結していると言い難く、また資力なども頼りにはならない各「生活者」の利益を代弁してくれるひとが、そうそういるとも思えない。

 それは、ある意味当たり前のことなのかもしれないが・・・


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