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2005/09/13

「不倫純愛至上主義?」

 9月。
 今月の初めはいつになくばたばたしたものになってしまった。

 子供も新学期だし、私の仕事も月末月初は通常忙しい。
 加えて会社の同僚がひとり入院していたせいもあって、
 いや、気が付いたら「9月も中旬になっている」という軽い驚きすら感じられる程であった。

 それでも、
 ようやく一段落がつき、新聞に目を通してみる余裕も出てきた。
 久しぶりに読んでみるか。
 といっても難しい社説などには目もくれず開くのは後ろの紙面。
 つまり、ご無沙汰していたエッセイのコーナーや連載小説などだ。
 ・・・
 驚いたことに連載小説のひとつは急展開をみせていた。

 いつも読んでも甘いシーンを書き連ねているという、
 ベストセラーの前作を髣髴とさせる人気作家の恋愛小説。
 それが終盤に差し迫っているかのように、その愛は終わりを迎えようとしている。
 それはあたかも

 「愛は極めると死に繋がる」

 という作者のいつもの自論に落ち着いたという感じの終わり方のようだ。

 実は私はこの小説には少々食傷気味の感を持っていた。
 ヒロインはいかにも男性が憧れるような楚々とした慎ましやかな人妻、
 そして不遇な結婚生活を強いられている。
 その薄幸な彼女が主人公との純愛を通じて女性としての幸せに目覚める。
 その幸せの只中で、絶頂でこときれたいと、死を望むようになる。
 まさに「純愛至上主義」の逸品といったところだ。

 しかし、この至上主義というのは一歩外から眺めるとどうしたって嘘臭さや身勝手さばかりが鼻につくようになる。
 その世界に酔いしれることの出来る人間には甘美この上ない世界なのだろうが、
 置いていかれた人間には「けっ、何言ってんだか!」という冷ややかな眼差ししか向けられない絵空事になってしまう。

 結果、「不倫純愛」とはおよそ無縁の私はイライラしながらその作品を批判する側に回ることになってしまった。

 そんな野暮な私の石部金吉のごとき生真面目さを、夫は笑ってこう言った。
 この小説は「サラリーマンの願望」が生み出した産物なんだよ、と。
 つまり世の多くの男性というのはこういう「非現実的不倫恋愛小説」が好きだということなのだろうか。
 皆、この世界に酔いしれているということなのか?

 これはあくまで夫の考えだが、
 読者であるサラリーマンはその純愛に酔いしれるというほどではなく、あくまでそういったちょっといい女との非現実的恋愛の世界に遊んでいるという程度のもののようだ。
 そして、作者はそうした読者の非日常的なちょっとした願望を満たすという要求に応じてビジネスとして書いているだけであってことさら純愛至上主義者というわけではないのだろう、ということらしい。

 「なぁーんだ」って感じだ。

 「いくら読者の願望だからって、一応小説なんだからもうちょっと真実味のある内面をえぐるようなものを書こうと思わないのかしら」と私。
 「新聞の連載小説なんて、そんなもんだよ。
 通勤電車のなかでちょっと読む『よみもの』なんだもの。そんなところまで作家も読者も期待していないんだよ」と夫。

 ということは、
 イライラしながらも、何となく読んでしまう私のような読者もこの作品の魅力にとりつかれているうちに入るということなのか。
 つまり何となく反感をもちながらも読ませているという点だけでも、
 この作品はすでに成功しているのかもしれない。

 しかし、なんだか砂を咬むような気分にさせられる。

 やはり私は、
 活字には心になにかしみわたるようなものを求めたい。
 どうせ読むのなら、いい気持ちになるだけではなくズンと響くなにかを求めたい。

 映画や漫画とは違う、文章の世界へのこだわりなのだろうか。

 そのこだわりというものが、
 全く個人的なものであり、
 理性的根拠のないものであることは、誰の目にも明らかではあるのだが・・

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コメント

グリンデルさん、
「麗筆」だなんてもったいないことを言っていただいて申し訳ありません。つまりは堅いことばかり書いているから気軽なコメントを寄せにくいということ、ですよね(笑)。
さて、渡○○○氏の著作のご紹介、ありがとうございました。この前にコメントくださったKakoさんも触れていらっしゃった、医療ものの作品のようですね。

>(ご存じでなければ)ぞふぃさんにも是非読んでいただきたい一冊です。

そうですね。そんなふうに言っていただけるなんて何だかとても嬉しいです。同じ作品を読んでその感動を味わって欲しい、というグリンデルさんの熱意が伝わってきます。
渡○○○氏の著作は実は真面目に読んだことがなく、どうも「失○園」のイメージしかもっておりませんでした。是非とも読んでそのイメージを払拭(?)したいものです!

丁寧な熱意に満ちたコメント、本当にありがとうございました。

投稿: ぞふぃ | 2005/11/07 17:15

ぞふぃさん、すっかりご無沙汰しています。
先日は拙ブログへコメントをお寄せ下さりありがとうございました。こちらの方はすっかりROMばかりになりスミマセン。
実は何度かコメントを書こうと思ったときがあるのですが、あれこれ考えているうちに書けず仕舞いになっていました。ぞふぃさんの仰る「文章へのこだわり」からでしょうか。麗筆に見合うコメントを書かねば・・・・と。

さて、コメントはこちらの記事からと前々から思っていました。不倫小説の感想というわけではなく(^^;;、この作者の著書についてです。って○○○一という人ですよね。(その新聞小説が何なのか正確にはわからないもので・・・間違っていたらゴメンなさい)

私は就職したての頃だったか、この人の本を読んでとても感動したことがあります。その本が最初に読んだ作者の本だったのです。タイトルは・・・・
『長く暑い夏の一日』
臓器移植の問題を取り上げた小説でした。私の記憶が正しければ、その後、ドラマでも放映されたと思います。何故この本を手に取ったかは今となっては忘れてしまいましたが、ハラハラドキドキ。医学に通じた作者ならではの臨場感たっぷりの作品でした。(ご存じでなければ)ぞふぃさんにも是非読んでいただきたい一冊です。

と、今回はコメントが出来そうです。でも、最初に伝えた「麗筆に見合ったコメント」になったかは????です。

投稿: グリンデル | 2005/11/07 07:06

Kakoさん、そうそう、「こんな女はいない!」っていうのが、この方の作品への一言につきますね!
拝読して、思わず笑ってしまいました。

コメントありがとうございました。

投稿: ぞふぃ | 2005/09/14 12:31

ぞふぃさん、こんばんは。
このお医者さんの小説は、大御所ながら女性の共感はあまり得られないのではないかなあと思っています。もう、20年以上前から「こんな女はいない!」というタイプが描かれてますから。まあ、それだけに男性の願望なのかなあとも思いますけど。

初期の頃は医療ものなんかも書かれていたんですけどね・・。

投稿: Kako | 2005/09/13 22:57

>nofumoさんへ
コメントありがとうございます。

恋愛小説って難しいですよね。
前作は結構な話題作でしたけれど、やはり新聞で連載されていたのを読んでいて、今回の作品と同じような感想を持っておりました。どうしてあんなに評判になったのかもいまだ不明です。
結局「赤裸々な描写が衝撃的だったってことかなあ」なんて下種なことを思ったりもしましたね。

>涼さんへ
コメントありがとうございました。

はい、そのお医者さんのことです(笑)。
どうも私は「純愛」って言葉自体に抵抗あるっていうか・・・大抵の恋愛って真剣そのもののまさに純愛なのにことさら言い立てるのも変じゃないか、なんて屁理屈をこねてしまいます。

それはそうと、小説をいつも読み込んでいらっしゃる涼さんにそういっていただけるなんて、ウチの夫もなかなかやるな、なんて思ってしまいました。
新聞小説ってきっとすごく書きにくいし難しいんじゃないかななんて素人考えに思ったりします。でもいい作品もいっぱいありますよね。個人的には、展開がよく知られているような歴史小説なんて新聞の連載には向いているのではないかな、と。これなら幅広い層の読者も楽しんで読めそうですし、ね。

投稿: ぞふぃ | 2005/09/13 17:42

うーん、なるほど! おつれあいの分析にうなってしまいました。なるほどねぇ。

年甲斐もなくすぐ小説にのめり込む涼には、とても納得のいく解説?でした。
新聞小説と書き下ろしの違いというのはあるのでしょうか。

もしかしたら勘違いしているかもしれませんが、この作家の純愛は苦手です。(ちょっと検索したのですが、一時ブームになった作品を書いたお医者さんですか?)

投稿: | 2005/09/13 15:34

面白く読ませていただきました。今回も小説の結末は死のようですね。以前作者の前作を読みましたが、別に死ななくても、というのが率直な感想でした。当時、正統派の恋愛小説を読みたくて図書館で借りて読んだのですが、読後の充実感もあまりなく、「いかにも」という人物設定にしばらくこの類の小説は読みたくない、と思った記憶があります。なんていうと、世のサラリーマンのひんしゅくを買ってしまいそうですね。

投稿: nofumo | 2005/09/13 13:51

この記事へのコメントは終了しました。

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