なぜ中国名は原音表記しないのか?
昨日の夕刊のコラムで興味深い文章を読んだ。
書かれたのはで比較文学者の張競氏。
テーマは中国語の固有名詞の読み方についてというものである。
日本においてハングル(朝鮮語)の人名・地名が漢字の日本語読みではなく原音表記になったのは、記憶に新しいことだ。
多分30年前ぐらいまでは日本では韓国の人の名前や地名をその漢字を日本語読みすることで音に表していたように記憶している。例えば全斗煥大統領を「チョンドファン」ではなく「ぜんとかん」大統領と呼んでいたように。
それが「ハングルでの読みである原音の表記にするように」との要望が韓国側から出されたのをきっかけに、いまではすっかりハングルは日本ではカタカナによる原音表記が定着した。
一方、中国語に関しては相変わらず漢字の日本語読みが続いている。
これは一体どういうことなのであろうか。
ハングルを原音表記にしたのだから中国語も同じように合わせなくてもいいのか?
実はこんな疑問を常々私は持っていた。
結局、「ちゃんと正しく読んでよ!」というクレームが出れば対応するが、そうでなければこちらから変えるなんてことはしないのだろうな、
それに戦前の創氏改名や日本語教育の強制などがあった朝鮮半島と違い中国はそれほどこの問題に神経質ではないのかもしれない・・・
それがこの件についての私の勝手且ついい加減な見解であったのだが、
今回の張競氏のコラムはこの疑問に見事に答えてくれたのである。
氏のご意見によると中国名を原音表記しない(すべきではない)理由は次の3点らしい。
1.中国の文字である漢字が表意文字
(読み方よりも意味に重きを置いた文字であること)である点。
2.中国名を原音表記するには日本語の音は少なすぎて表現しきれない点
3.方言の多い中国には標準的な原音そのものが存在しない点
まず1の理由についてだが、読み方が時代によって変遷すらしてきた漢字は、音にこだわるよりもその文字の表す意味の永続性にこそこだわりをもつものらしい。
つまり一時の読み方にこだわるあまり、日本が中国名の表記にカタカナを使用し漢字を捨てるようなことは、中国側も決して望まないということのようだ。
その辺りは、漢字が結局外来文字にしか過ぎない朝鮮半島とは事情が違うのであろう。
原音主義と漢字表記との両立は、悲しいかな、かなり困難なのものだ。
例えば映画監督のチャンイーモウ氏の名前を漢字で書けと言われて、サラリと「張藝謀」と書ける日本人は一体何人いることだろう。有名な「毛沢東」とて「マオツォートン」ではなく「もうたくとう」という読み方があってこそ漢字で彼の名を書けるひとが日本でも大勢いるのである。
次に第2の理由だが、
「蒋」も「張」も「占」もカタカナによる原音表記によると全て「チャン」になってしまうという点からも納得である。
中国語を習う際日本人がまず苦労するのは発音だと言われる。
日本語にある音で表すには中国語の音はカバーしきれない部分が多すぎるのかもしれない。
最後に第3の理由で方言の問題。
もちろん標準語とされる北京語のようなものが中国にも存在するが、そこは広い中国のことである。
書き言葉である文字はともかく、音までも標準化させるのはなかなか困難なことであろう。
しかも地名に関しては標準語よりもその土地の読みの音こそ優先されるべきなどと考えると、これはもう混沌とした状態になってしまう。
中国語における原音というものはかくも多様で複雑であるため原音による表記よりも、
漢字表記にしてそれを日本語読みするほうが、理にかなっているというわけだ。
加えて張氏は、中国では日本名の漢字は中国読みされており、原音表記はされていないことも述べられ、
原音表記が決してワールドスタンダードというわけではないことに触れられている。
一方韓国が原音表記を求めるのは、
「韓国内では日本名をハングル読みではなく原音に忠実に読んでいるのだから、日本においてもそうしてくれ」
ということらしいのだ。
というわけで張氏の言われるとおり、
今までもこれから先も、
古くからの漢字文化圏という音ではなく文字で結ばれたこの二つの国(日本と中国)が
原音主義に傾く理由はないように思われる。
しかし、
しかしである。
昨今は先ほど挙げたチャンイーモウ監督のように中国人名の原音表記化が
ひたひたと広まりつつあるようなのだ。
それはなぜなのか?
・・・・
もうお気付きであろう。
その原音表記の中国人名は、
アメリカをはじめとする欧米を通して入ってくる人名だからなのである。
欧米人は決してチャンイーモウをそれ以外の音で読むことはない。
漢字を読まぬ彼らは中国人たちが発する音からのみその名前を表記しようとする。
そしてそのアルファベットに置き換えられた読み方が日本へと入ってくるのだ。
この変化が、
歓迎すべきことなのか憂うべきことなのか、
それともそのどちらでもないことなのか・・・
うーん、それは
私にはわからないのだが、
ただ
「東アジアの漢字文化圏というものが、
少しずつではあるのだが
希薄になっていっている現象が
ここにも現れているのか」
という
なにやら
うら寂しい気分を
私はとめられないのである。
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コメント
ゴトウさん、コメントありがとうございました。
韓国の方々には
「中国人からされても平気なことも日本人にされると我慢がならない」
っていうことが残念ながら存在するようですね。
これもそれも、全ては過去に日本がした様々な行為によるものであると同時に、
ずっと盟主であった中国とそれに近い朝鮮半島、それに比べてずっと野蛮な国だと思っていた日本ごときにやられてしまったという口惜しさが朝鮮半島の方々にはあるのでしょうね。
でもそんな気分も大分変わってきているような気がします。
もちろん、戦争が全て清算されたなどとは思いませんが、その呪縛をこえた世代の時代になりつつあるのは、ちょっとうれしいようなホッとするような気にさせられます。
投稿: ぞふぃ | 2005/10/08 17:46
ぞふぃさん、おとといコメントを書いたつもりだったのですが、送信されなかったみたいです。中国語表記の話、おもしろかったです。中国の人は日本語読みを教えてあげるとけっこう喜んで使っていますよ。韓国の人も、中国では韓国流ではなく、中国の発音で呼ばれています。それに対して特に反発している様子もないので、韓国の人が日本語名で呼ばれることを嫌う(もしくはマスコミが配慮している)のは、日本占領下で創氏改名を強制された歴史からではないのでしょうか。反対に、日本の占領統治に比較的反発が少なかった台湾では、「私の日本名は~です」と嬉しそうに教えてくれる方々が、いまでもいらっしゃいます。
投稿: ゴトウ | 2005/10/08 09:28
コメントとTBをありがとうございます。
私も、偶然張氏のこのコラムを読むことができて、すっきりしたという感じです。
ご依頼のとおりもうひとつのコメントの方は削除しておきましたので、ご安心ください。
投稿: ぞふぃ | 2005/10/07 10:02
ごめんなさい、コメントをつけるところを間違えました。お手数ですが、先程のコメントを削除いただけませんでしょうか。以下、あらためて書き直します。
こんばんは、大変興味深く読ませていただきました。私もかねがね疑問に思っていたことが解消されました。
トラックバックさせていただきました。
投稿: 涼 | 2005/10/06 20:57