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2006/01/12

『戦う女たち』の再会

 自転車を息せき切って走らせる。
 目指すは武蔵野の名刹、やがて古い山門が見えてくるのだ。

 そこに立って待っているのは、旧知の友。
 自転車を降りるなり、
 待たせたことを詫びる私。
 それに対する友の笑顔に安堵し、互いに新年の挨拶を交わす。

 今年の1月7日のことである。

 ここ数年の正月、
 この古寺で彼女とは旧交を温めている。
 付き合い始めてもうかれこれ20年近いだろうか。
 彼女とのこの寺巡りは、
 私の新年の最も楽しみなこととなっているのだ。
 

 知り合った頃は
 互いに未知の未来に対して希望と欲が満ち溢れていた私たち。
 「自分らしく自分のために生きよう」という熱意をもった『戦う女たち』だった。
 私たちの敵は、「女はこういうもんだ」という世間や会社、
 または多くの場合に自分自身の親であったりもした。

 そして
 いつしか時は流れ、
 結婚があったり、子育てがあったりで、
 私はもうすっかり『戦う女』ではなくなった。

 よく言えば丸くなったのかもしれない。
 しかし実のところは、
 日々の雑事に追われて、
 数々の場で怒る余力を失ったというところなのだろう。

 このように変貌していく自分を
 青くつんつん尖がっていた頃の私を知る彼女の前では
 いつも一抹の後ろめたさを私は感じていた。
 「結局落ち着くトコに落ち着くと
 小ぢんまりと纏まっちゃうんだよね」
 そう思われることの恐れもあったのだろう。
 そんなわけで、
 彼女と会うに際しては、
 ちょっとばかり「変わらぬ自分―今も戦う女―」を
 無意識の内に演じている私がいた。


 さて今年の再会である。

 ふと、
 彼女もまた「丸くなった」?

 そんなふうに感じたのだ。

 『戦う女』でいつづけるのは大変なことだし、
 無理してもそうでありつづける必要もない。
 私に訪れた変化が彼女にも訪れていたのかもしれないと
 どうして今まで思わなかったのだろうか?

 では「丸くなる」とは?
 これは成長なのか?
 それとも惰性なのか?

 多分それは成長でもあり惰性でもあるのだろう。
 「丸くなる」だけではなく、
 多くの変貌というものは
 おおよそプラスとマイナスの面を持っているものなのだろうから。


 ・・・いずれにせよ、
  時は等しく全ての人に過ぎており、
  それに伴う変化もまた等しく訪れていた・・・

 そのことをあらためて感じた、

 そんな
 今年の年明け、であった。

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コメント

KiKiさん、丁寧なコメントどうもありがとうございます。
私が上手く表現できなかった部分を補ってくださるような文章で、拝読していてとてもうれしくなってしましました。
特に最後の

「彼女に見劣りしない女でありたい」

とは、本当に私の心を代弁してくださっているようで、以前のクローズアップ現代の原爆に関する記事といい、KiKiさんとは本当に気が合うようです(笑)。
日々変わっていく私たちではありますが、このささやかなライバル心だけは失いたくないものですね。

末筆ながら、今年もよろしくお願い致します。
その昔同じくNHKの新八犬伝に心躍らせた同世代のぞふぃより、KiKiさんの今年のご多幸をお祈り申し上げます。

投稿: ぞふぃ | 2006/01/13 12:55

ぞふぃさん、明けましておめでとうございます。  「落ちこぼれ会計人」の KiKi です。  今年も宜しくお願いいたします。  (ちょっと出遅れた感もありますが・・・ ^^;)

今回のこのエッセイ、す~っと心に浸み込んできました。  私自身も若かりし頃はぞふぃさんの仰る「戦う女」の端くれだったと思うし、そしていつしか「丸くなった」部分があったりもして、ぞふぃさんが今回エッセイにまとめられたことと同じようなことを感じたことがあります。(笑)

多分、私達の世代(多分同世代と言ってもいいような年代だと思うのですが)の女性の半数ぐらいは、若かりし頃は「ギラギラ」だったか「ひっそりと」だったかは別にして皆どこかで「戦う女」でなければいられなかった・・・・そんな世代のような気がします。

ずっと独りで頑張って社会にチャレンジし続けた人と、家庭に入り大切な何かを守ることを覚えた人と、見かけは正反対のことをやってきているようだけど、根っこのところは案外同じで、立場や対象こそ違えど同じように何かを選らび、何かを失い、丸くなっていく。  そんなものなのかもしれません。

大切な女友達と会うとき、下手な男と会うよりもはるかに緊張し、どこかで何かを演出している自分・・・・わかるなぁ(笑)  別に勝ち負けとかそういうことではないんだけど、「彼女に見劣りしない女でありたい」みたいな、ささやかなライバル心・・・・みたいなもの。  むき出しのライバル心ではないあたりがポイントなんですよね♪   

投稿: KiKi | 2006/01/13 10:09

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