少子化の原因って?
先週末の13日、新聞の紙面をこんなニュースが飾った。
もっとも翌日の14日には安部官房長官に否定され、
この提案はあくまで猪口氏の先走りに過ぎなかったのとの感はあったが・・・
もちろん、これは少子化対策の一環として話題に上ったものである。
そりゃあ、保険のきかない出産費用が全部タダになるっていうのはオイシイ話だ。
しかし、巷の反応はかなり冷たいものであったようである。
つまり「財源の確保もないバラマキ政策に過ぎない」との印象は拭えないという事のようだ。
それにしても今回のニュースもそうだが、
子育て支援策というと即、児童手当だの子供の医療費の補助だのといった、
つまり経済支援策がとりあえずクローズアップされてくるのはどうしてだろう。
保育園の充実とか待機児の解消などの設備面の充実策よりも、
やはり手っ取り早いからなのかもしれない。
お金を渡すというのは何と言っても即効性があるように思われる。
しかし、国民だってそれほど無知なわけではない。
このような「財源という根拠のない経済支援」の先が明るいものではないことぐらいわかっている。
だからそんなお金をちらつかされたことぐらいで
「ハイじゃあ子供を産むことにします!」なんて簡単にはいかないのだ。
じゃあ、どうしたらいいというのだろうか。
まずは当たり前のことだが
「何故子供が産めないのか」という原点に返って考えてみてみよう。
それはやはり子育てはお金がかかるから。
そして、
それは少なくとも出産費用が高いからとか、子供は医療費がかかって大変だからというのではない。
子供にかかるお金で一番辛いのは、やっぱり何といっても教育費なのだ。
21歳まで子供ひとりを育てるのに1300万、
その上オール私立で大学までいくと学費2400万ぐらいが
かかるという試算が、
「じゃあ、子供はひとりが精一杯だ」とか
「うちは子供は産まずにその代わり自力で老後に備えよう」
という気にさせるのである。
「まずは、公教育の建て直しなんじゃないのかな?
オール公立なら600万ぐらいで学費は済むらしいし・・・
『今は中の上ぐらいの学力がある子なら、
公立の学校なんて入れてはダメ!
私立に入れないとその子の人生ダメになっちゃうよ!』
なんて言われている公立学校の信頼を取り戻して
お金が無くともある程度の質のある教育が施されるという
安心がなくちゃ、
みんな子供なんて産む気にならないんじゃないかな」
そんなことを私は夫に言った。
しかし夫は懐疑的である。
「確かに、そんな一面もあるかもしれないけれど、
公教育の質云々だけではないような気もするなあ。
公教育の質が昔と比べて低下したというより、
より良い教育を求めて選択する親が増えてきたってことなんじゃないかな。
そして良いものには当然のことながらお金はかかるものだもの。
皆大変だ大変だと言いながら
『少しでも子供に良いものを』
と考えることは変わらない。
最良のものを子に与えられないのなら親にならないほうがいいとか、
兄弟と共に平均的な教育を施すよりも、
隣の一人っ子に負けないような良質の教育を施してやることの方が
その子の幸せと思う傾向が今の世の中にはある。
その方向に傾いていることが少子化の原因のような気がする。」
うーん、結局
皆が「少なく生んでより良く育てる」ってとこから
頭が離れないとダメなのかもねえ・・・
そこで、
最初の問題に戻るが、
政府ができる子育て支援ってやっぱり
経済援助策ぐらいなものに留まざるを得ないのかもしれない。
政府の出来ることって
お金を出して
「ちょっと多く生んでもやはりより良く育てられる」資金を提供すること、
そうすることで、
産む産まないのボーダー上にいる人を
「産む」ほうに引っ張り込むことぐらいなのかもしれないのだ。
それがやはり現実的?。
もちろん子育てサポートの面(保育所や育児休業の制度など)の充実も
じっくりやっていただきたいことだけれど・・・
結局「まずはお金」ってことに戻ってきてしまうわけなのか?
そんなふうに考えていたら、
なんとなく
うら寂しい気分になってきてしまいました。
ひとや社会の豊かさって
一体なんなのかな?
そんなことを
余り脈絡も無いのですが
ふと、考えてしまいました。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ちゃいさん、コメントとトラックバックありがとうございました。
いただいた記事ざっと拝見致しましたが、印象としては、さすがちゃいさんのところは熱気が違うという感じですね。こういったみんなの熱意が国を動かす原動力になるのだな、ということを思いました。
またゆっくり時間をかけて再読してコメントを差し上げたいと思っております。どうぞよろしく。
投稿: ぞふぃ | 2006/01/25 18:42
私のブログにもこの話題の反響がありまして、過去記事TBしておきました。
同じようなことを考えています。更に、公立は無料or奨学金制度などを設けないと、本当に教育費だけで、産みたくなくなりますよね。
どこかのブログに「入会金無料のスポーツクラブのキャンペーンじゃあるまいし」ってあったように、「途中退会」はできないし、どんどん月会費は高くなるし。。。
投稿: ちゃい | 2006/01/25 12:51
Bachさん、こちらこそお気使い感謝いたします。どうも気にしていただいてしまったようで恐縮です。
また再度の書き込みをどうもありがとうございました。
投稿: ぞふぃ | 2006/01/20 12:16
ぞふぃさん、コメントへのレスに感謝致します。
かえって心配させてしまったようですね。私は大丈夫ですよ!決して非難めいた意見とはとっておりませんから。
何事も、まず自分に原因がないだろうかと考えることが大切かなと思うだけです。事象には必ず表の見方と裏の見方があるものでしょう。どちらにも何らかの真理があると思います。ご安心下さい!
投稿: Bach | 2006/01/19 23:55
>Bachさん、コメントをどうもありがとうございます。また、過分のお褒めの言葉を頂き本当にお恥ずかしい限りです。
Bachさんのように考え結婚や子供を自分の人生から遠ざけた友人が私にもいます。
その友の決断をやはり私がどうこう言うことはできません。それほどまでにこの社会は殺伐としているのかもしれません。
Bachさんのコメントを拝読いたしまして感じましたのは、「この記事が子供を持たない人たちを追い込むような内容ではなかったか」そして「公教育に携わる心ある方々への無責任な批判になってはいなかったか」という自省の念です。ご不快な想いをさせてしまったとしたら、本当に申し訳ありませんでした。
最後に末筆ながら、ご挨拶を。
今年もどうぞ宜しくお願い致します。
>ゴトウさん、コメントありがとうございました。
子供が共同体の共有財産というキブツのような社会は、高度に成熟した社会だと思いますね。そういう社会はとても切迫した状況(例えば生死が隣り合わせだった原始時代の共同体のような)でもない限り、かなり精神的に成熟した人たちでないと運営は難しいのでは、と思われます。イスラエルのキブツが成り立っている理由が精神の成熟によるものなのか、または切迫した状況によるものなのかは、なんとも言えませんが。
ただ、社会全体はゆっくりでもそちらの方へ向かっていかないといけないことは確かだと思います。今の日本の状況はとても程遠いものですが、いつの日かそのような社会が到来しますよう、願わずにはいられません。・・・とりあえず、他所の子も注意できる自分になることからでも始めようか、と思いました。
投稿: ぞふぃ | 2006/01/17 12:52
ぞふぃさん、こんばんは。
やはり現役お母さんだけありますね!私のような子供のいない者にもたいへんな説得力です。
以前、イスラエルのキブツに数日間滞在したことがあります。そこでは、大人すべてが持ちまわりで農作業をしたり、食事の支度をしたり、子供たちの面倒をみたりしていました。私有財産は限りなくゼロ。みな同じ家に住み、キブツの共有財産である衣服の中から気にいった物を選んで着、同じものを食べていました。
そこでは子供たちは共同体の共有財産でした。こういう生活もあるんだ、と本当に驚きましたが、同時にその理念に感動しました。
社会全体で子供を育てられるような環境を作ることができるといいですね。
投稿: ゴトウ | 2006/01/16 23:32
こんにちわ、今年初めてのコメントです。
今年は明るい話題の多い年であってほしいと願いつつ・・・。
私はいつもぞふぃさんの文面に感心しています。実に綺麗な文章だから!無骨な自分の文章を思うとコメントしづらくなるんですよホント。ほとんどぞふぃさんの文章は読んでいますが、そんな理由から、言いたいことがあってもコメントを書かないまま過ぎるんですよ(苦笑)。
少子化については、私自身子供がいないので肩身が狭い思いです。その問題の当事者の私の理由は・・・、実に勝手な理由かも知れません。
私は公立の教員ですので、話題に上っています公教育の責任は自分ながらに痛感します。教組が教育労働者という身分にしてしまったことは大きな損失になっていると思います。また、資質の問題も大きな要因でしょう。それも含め、子供を取り囲む環境(学校だけではなく)が目に見えて悪化していると感じ、それに耐えて健全に育てる自信がなかったのです。自分と同じように、周囲に気を遣い、競争することより他人を心配する人間の方が損をするような現代の社会に、自分の分身を放り出すことをためらってしまったのです。夫婦で随分と話し合いました。妻も教師でしたから時間も割かれます。他人のために情熱を燃やすのに精一杯で、恐らく自分の子供を犠牲にするだろうと。それならば、他人の子供を育てることだけに時間を費やそうと決めたのです。苦渋の選択でもありました。妻は今でも時折、子供が居たらとこぼすこともあります。しかし、今のように、純粋な夢がもてず、何時どこから危険が身に迫るか分からない奇妙な日本社会を見る時、この選択も正しかったのかなあと妙に納得することもあるのですよ。何とも複雑な心境なのです。まとまりませんが、私の本意はそんな所にあったのですよ。
投稿: Bach | 2006/01/16 20:04