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2006/03/16

「愛」より「大切」

 一昨日の朝、ラジオから次のような内容のニュース解説が流れてきた。

 「教育基本法改正について」

 どうも、「今国会にての改正法案の成立を目指す」という首相の発言からこのニュースが取り上げられたらしい。

 さて、その内容に耳を澄ませてみると・・・

 「・・・会期延長しないでの成立を目指す、ということなのですが、
 しかしながらこの法案まだまだ詰めねばならない点も多いらしい。
 そのひとつが、
 「国を愛する心」という言葉を盛り込むことについて、
 与党内にて意見が未だ分かれているという点なのです、云々・・・」

 という話が聞こえてきた。


 ううむ、恥ずかしながら昨年の5月ぐらいにそのようなことが
 与党内で議論されていたことすら私は知らなかった。
 もちろん自民は「国を愛する心を育てる」派であり、
 これに対抗して「国を大切にする心を育てる」としたいのが、
 公明のほうだそうである。

 でも、
 「愛する」と「大切にする」ってどこがどう違うのだろうか?

 これを考えているうちに、
 拙文で申し訳ないが
 去年の初めに「愛しているなんてとても言えない」という記事の中で、
 「愛」という言葉についていろいろ書いたことがあったのを思い出した。

 その中で私は、

 ・・・「愛」という言葉は明治になってからloveの訳語として
 今のような意味合いを持つようになったこと、
 そして現在に至って「書き言葉」として日本に浸透したが、
 「話言葉」としては未だに馴染んでいない・・・

 というようなことを書いた覚えがある。

 そして今あらためて思うのは、

 「愛する」という言葉の意味を、
 感覚として的確に捉えている人は
 日本人にはほとんどいないのではないか

 ということなのだ。

 つまり、
 我々にとって「愛」とは、

 ただの「大切にする」よりももっと特別で真剣で、
 「慈しむ」よりももっと動的で明るい感情って感じかな?

 というあいまいな言葉なのではなかろうか?

 そう考えると
 「国を愛する」と盛り込みたい人たちは、
 「大切にする」よりももっと真剣で特別な感情を国に対して抱くべき
 としているのかもしれない。
 反対に「大切にする」に留めようとするのは
 その「真剣で特別な感情」に
 アレルギーをもつ人々への配慮からのことなのだろう。


 さて、「愛国心」というといつも私には思い出されるセリフがある。

 それは有名な「アンネの日記」の中で
 主人公アンネの次のような問いにその父親に答えた言葉だ。
 (テレビドラマで観たセリフのため原作にあるものかどうかは不明だが)

 「どうしてお父さんはあんな(今や自分達を殺そうとしている)ドイツの軍隊に入って戦っていたの?」
 ―彼女の父親は第一次大戦ではドイツ軍の将校として参戦していたのだった―

 それに対する彼の答え。

 「それは私が故郷のフランクフルトを愛していたからだよ。
 私はその故郷とそこに住む自分の家族を愛していた。
 それを守るために軍隊に入って戦ったのだ」


 「故郷と自分の家族を守る」
 このアンネの父の言葉を聞いて以来、
 私にとっての「愛国心」とはこの言葉のとおりのものとなった。
 それは、
 名誉や誇りといった特別な感情ではなく
 もっと普通の感情、
 ―自分の住んでいる街、家族、友人、隣人
 そういった身近で大切なものを守ろうというごく当たり前の感情―
 そういうものなのではないか?
 その感情が、
 敢えて名づけるならば「愛国心」というものになるのではないだろうか。


 だからできれば、
 「愛」だなんていうとってつけたような、
 持て余してしまうような言葉ではなく
 もっと自然な言葉でこの心を言い表すべきだと私は思うのだ。
 もっとありふれた普通の言葉で・・・


 「愛国心」

 いまもこの国の国民にアレルギーを引き起こしているこの言葉。
 要は私も
 いわゆる「愛国心アレルギー」に罹っている、
 哀れむべき人間の一人に過ぎないのかもしれないが、

 でも、

 この場合、
 やはり「愛」よりは「大切」を選ぶほうがいいのではないか?


 だって

 ごく自然な感情を、心を

 口にすれば歯が浮いてしまうような言葉などで
 飾り立てる必要は、

 どこにもないはずなのだから・・・

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コメント

KiKiさん、コメントありがとうございました。

「自分の祖国を誇らしく思い、愛する。」

こう書くと一体どこが問題なのかな、って不思議な気持ちになりますね。
でも何の疑問も持たないよりはいいのでしょう。
(どうもこうもやっぱり私はアレルギーがひどいようです(笑)。)

それから、すみません私の勝手なリクエストに応えてくださり、ありがとうございます。
これから拝読に伺います。・・・楽しみです。

投稿: ぞふぃ | 2006/03/17 18:37

こんにちは、ぞふぃさん。  「愛国心」。  確かに色々な意味で使われる言葉ですよね。  ぞふぃさんが仰るように、その本質的な部分は「大切」に思う心だと KiKi も思うけれど、時に狂信的な人たちによって「国粋主義」に発展してしまうのがもっとも怖い部分だと感じています。  もっともそんな風に考えること自体がぞふぃさんのおっしゃる「愛国心アレルギー」であり、KiKi もしっかりとそのアレルギーに罹っているのかもしれません(笑)

かつて、KiKi もぞふぃさんと同じように愛国心というのは自分の家族や友人、自分が住んでいる共同体を守りたいという気持ちの延長線上にあるものと思っていたのですが、オリンピックやパラリンピックを見ているうちにもうちょっと違う感情も自分の中にあるような気がして、自分にとっての愛国心とはどんなものなのか、ちょっと戸惑っている今日この頃です。

さて、このエッセイとはまったく関係ないお話で恐縮ですが、例の「許されざる者」の Review をアップしてみました。  あまりに深い映画でちょっと散漫な感想文になってしまいました ^^;。  お時間のあるときにでもご覧頂いてぞふぃさんのご意見など伺えればと思います♪

投稿: KiKi | 2006/03/17 14:22

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