「第3の脚」を換えるとき
昔「第3の脚」というエッセイを読んだことがありました。
仕事と私生活という2本の脚の他に、
人が第3の脚を求めるのは自分の生活に精神的安定を求めるがゆえなのでは・・・
という内容だったと覚えています。
>三脚には足が3本。
>1本や2本では立つことができないし、
>4本脚の場合は長さが少しでも不揃いだとかえって不安定になります。
>そういうガタガタの机が教室にありませんでしたか?
>やっぱりどうしても3本でなくてはならないんですね。
で、
あるひとは幸せな家庭を持っているのに他のひとに浮気をしてみたり、
真っ直ぐ帰るべき家の前に内緒の通い先を見つけたりする。
もちろん、
家庭にも仕事にもそれなりの満足はしていたとしても、
というわけなのです。
さてそこで、筆者である彼にとっての第3の脚となるのですが、
それはまさにそのサイトなのだとのことなのでした。
仕事でもなく私生活とも隔絶されたサラの自分、
その自分を不特定多数の人に晒す場である、サイト。
多分それを第3の脚とするのは、
彼だけではなく多くのサイト運営者、ブロガーも同じなのではないでしょうか。
そして
いつの日かそのサイトが終わるときが来るのだとすれば、
>失職したりして2本脚になってしまうときか、
>または4本目の脚になる厄介な問題を抱え込んで1本切らなければならないとき、
>そのどちらかではないかと考えています。
という言葉でこの文章を締めくられていたのでした。
さて春3月、
様々な物事が移り行く季節。
この春よく遊びに行っていたblogサイトがいくつか終了したり休止したりしています。
それらを見聞きするたびに
この「第3の脚」が思い起こされるのです。
この人たちもやはり
3本目の脚が重くなったり、
他の2本とのバランスが取れなくなったのかな・・・
というように。
もちろん、
それがいいとか悪いとか、
そんな問題ではないのですが、
私もいつか、
「3本目の脚を換えるとき」が
来るのかな、
そのときは一体どんな
気分なのかな
なんて
ぼんやりと考えたりする昨日今日なのです。
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コメント
ぶんぶんさん、はじめまして。
TBとコメントをどうもありがとうございます。
他の方のエッセイの二番煎じにもかかわらず、目を留めていただいて光栄です。
これから貴記事のほうにお邪魔致したいと思いますので、よろしくお願い致します。
投稿: ぞふぃ | 2006/04/03 12:49
ぞふぃさん、はじめまして。ぶんぶんと申します。
涼さん経由でこちらにおじゃましました。
3本目の脚という言葉が心に響いて記事をリンク、
トラックバックさせていただきましたm(__)m
投稿: ぶんぶん | 2006/04/03 11:29
涼さん、TBと再度の書き込みをありがとうございます。
TBしていただいた記事を拝読して、いろいろと思うところがありました。
それにつきまして貴記事にコメントさせていただきたいと思います。
うまく表現できるかどうかは、わからないのですが・・・
投稿: ぞふぃ | 2006/03/27 18:06
ゴメンナサイ、そのまま何も書いていませんね。
ブログを始めて もうすぐ丸二年経ちます。いつまで続けられるだろう。止めたらこれはどうなるのだろうなどと考えることもあります。
トラックバックさせていただきました。
投稿: 涼 | 2006/03/27 15:45
涼さん、こんにちは。
>頭から離れないのです。
ああ、そう思っていただけただけで大変うれしいです。
ありがとうございます。
投稿: ぞふぃ | 2006/03/23 17:15
こんにちは、
昨日から
∥「3本目の脚を換えるとき」が
という言葉が頭から離れないのです。
又あらためて、コメントをしますね。
投稿: 涼 | 2006/03/23 15:28