頼りとするのは・・・
以前、「時を越えて」という文章を書いたことがありました。
自分がサイトの更新が出来ない事態になったら、
そうなったらこれらのサイトはどうなるのだろう・・・
などという取り留めのない内容だったと思います。
どうもそんなことを考えるのは私やコメントをくださった方々ばかりではなかったようで、ちょっと前にこんな記事を新聞で目にしたのです。
それは
「故人の運営していたサイトをどのように保存していくか」
について。
それぞれに思い入れのあったサイトと
残された者はどう向き合っていこうか
ということが書かれてありました。
さる研究家の専門分野のサイトにいたっては、どこかの大学の管理のもと大切に保管してもらうことになったとか。
でもそんな学術的価値のあるものではないにしろ、
「そのひとの思い出に」ということで、サイトを削除するのをためらう家族は多いらしいのです。
うーん、
もしも、もしも私なら、どうなのでしょう。
それでも
やっぱりサイトをそのままの状態で残しておくのは、
気が引けるかな。
遠い未来に私のこのサイトを
ひょんなことから訪れる未知の人との出会いも
捨てがたい魅力ではあるけれど。
やっぱり自分の手で始末をつけましょう。
ネットの海にゆらゆらと漂う管理者のない、更新のないサイトは
虚しさを掻きたてるのみですから・・・
でも、
「削除しますか?」
「削除する」―クリック
で全て書き溜めたものが無になるのも
正直かなり辛い。
だから
ココログ出版サービスでも利用して
本にして
家にこっそり置いておこうかしら。
ひょっとしたら、未来の孫あたりが読んでくれるかもしれないし・・・
いや、案外誰にも気付かれず、
古紙回収に渡されちゃうのが
関の山かもしれませんけれどね・・・
それでも
ネットの片隅に埋もれているよりは
家の本棚の片隅に埋もれている方がなんとなく
安心なような気がするのです。
世はペーパーレスの時代、
などとは言っていても
所詮20世紀生れの私には
紙に頼ってしまう、
そんな染み付いた習慣のようなものがあるのかも。
なんて、すみません。
いつもにも増して
どうでもいいこと
書いてしまいましたね(汗)
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コメント
涼さん、コメントをどうもありがとうございます。
niftyの会員である私の場合、ベーシックのココログを利用しているのでniftyを解約となるとやはりこのブログももうひとつのサイトも消える運命なのでしょうかね。
まあそうやって泡と消えるのもまたいいのかも。
でも涼さんのサイトは徹也さんのためのものでもあるから、消してしまったり本にして個人的なものにするのはちょっとためらわれることと拝察します。
本当に微妙な配慮が必要なのかもしれませんね。
投稿: ぞふぃ | 2006/05/11 12:16
ココログ出版サービスは、娘と息子に残そうかと見積をとったことがあります。
サイトは、どうするかまだ決めていません。チビさんに託すのも一つかなぁという気もしますが、それも負担になってはかわいそうだし。
どうしたもんでしょうねぇ。
∥どうでもいいこと
書いてしまいましたね(汗)
いえ、実際に存在するもの以上に、気を配っておく必要があるのかもしれませんね。
投稿: 涼 | 2006/05/10 21:47