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2006/06/29

おカイコさん

 うちに、おカイコさんがやってきた。
 その数4匹。
 小3の息子が学校から持ち帰って来たのである。

 さあ、それからが大変。
 まず虫カゴを押入れから探し出し、
 エサとなるべき桑の葉の確保に大わらわ。
 なにせうちには、
 桑の木がどんなものかを知っている者は誰もいない。
 幸いにもインターネットで
 桑という植物が「こんなもの」だということを調べ上げることが出来、
 (ありがとう、ネットさん!)
 近所を散策した結果、近くの公園にたくさん茂っているのを発見。
 というわけで、ここから葉を調達すること早一週間、
 おカイコさんはどうにか4匹とも我が家にて無事生息中である。

 さて、そのおカイコさん、
 いやぁ、どんどん大きくなるのだ。
 体長も太さも来たころの1.5倍には成長しただろうか。
 それもそのはず、
 彼らは生活の全てをひたすら桑の葉を食べることに費やしているのだ。

 食べる、食べる、食べつくす・・・

 虫カゴに耳を近づけると
 ムシャムシャと葉をかじる音すら聞こえてくるぐらい。
 これなら大きくなるのも道理である。


 そのたくましい姿を目にしながら
 遠く思いを馳せるのは、
 その昔日本の富国強兵を支えていた繊維産業のこと。

 カイコを「おカイコ様」と呼び大事に育てていた多くの養蚕農家。
 繭から生糸をつむぎだす製糸工場で働いていた女工さんたち。
 その生糸で繊維をつくり安値で売りまくり外貨を稼ぐ。
 近代化を進める当時の常套手段である。

 時は流れて、
 日本では既にそういう軽工業は主流ではなくなった。
 私が子供のころは、
 石油化学などを中心にした重化学工業がメインの位置についていた。
 (そういえば、四大工業地帯なんて覚えたっけ。
 今の子供は社会の授業で一体どんなこと教えられているのかしら?)


 産業の主役は時とともに次々と変わっていく。
 日本の近代化を支えたおカイコさんも
 今や子供の理科(あとほんのちょっとは社会も?)の教材だ。

 で、
 こんな栄枯盛衰に
 私がしみじみしている間も
 おカイコさんたちは桑の葉を食べ続ける。

 そんな
 私のノスタルジーも知らずに

 ただただ
 ひたすらに食べ続ける。

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2006/06/26

同胞の目

 例えば、駅で切符を買おうとしていて。
 もしも、貴方の前の外国のひとが困っていたらどうするか。

 「ああ、困っているこの人、
 きっといくらかわからないんだ。
 ・・・誰か英語わかるひといないかな」
 とまあ、そんなふうに思う人が結構多いのではないだろうか。

 「メイ アイ ヘルプ ユー?」
 なあんてカタカナ英語で話しかけるのも恥ずかしいしなぁ
 だって、うっかり話しかけて向こうにべらべら話しかけられたら?
 こっちが困った事態に陥っちゃうよ。
 (英語できないのに、見栄張って話しかけるからだよ!)
 という周りの冷たい視線感じちゃうじゃないか・・・
 ・・・いいやいいや、
 もっと英語のできるひとが助けてくれるまでの辛抱ですよ、外人さん。
 日本人にだって英語が上手い人は結構いるんだから、
 なにもこんな喋れない自分が助けてあげなくても大丈夫・・・

 とまあ、そんな感じ。
 不思議なことに
 ほとんど多くの英語が不得手な日本人は、
 母国語で「どうかしましたか?」と話しかけるということを
 念頭には置かない。

 だって、日本語がわからないから困っているんだから、
 だから日本語で話しかけたって迷惑なだけじゃないか。

 うーん、確かに。

 しかしわからない日本語で話しかけることって
 本当にそんなに迷惑なのだろうか。
 ここは日本で、その彼(あるいは彼女)はここに来ているというのに?

 で、
 思ったんですけど
 もしも貴方がその外人さんを気になってならないのだとしたら
 まずは日本語で話しかけてみたらどうでしょう。
 「どうかしましたか?」というふうに。

 相手が迷惑そうな顔したら、
 それはそれでいいじゃないですか。
 それに貴方のその一言で
 他の列に並んでいた、英語は出来るが無視しようとしていた人が
 見るに見かねて口を挟んでくるかもしれませんし、ね。


 それに、

 これは私のまったくの根拠のない予想なのですが、

 外人さんの「迷惑そうな顔」は
 同胞の方の「英語も大して出来ないくせに!」という視線よりは
 案外辛くないかもしれませんよ。

 結局、
 私たち英語の出来ない日本人が
 一番恐れている目ってのは、
 同胞のその「冷たい視線」のような気がしてならないんですよ、

 私には、ね・・・。


 この記事をnofumoさんの6/25の記事「シンプルな国旗」にトラックバックさせていただきました。
 英語コンプレックスに日々悩む「私」ではありますが、
 シンプルな国旗を愛しく思う「私」でもありたいと思うのですよね。

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2006/06/22

このあと20年過ぎても

 こうして、
 ネットの世界に足を踏み入れて早2年半になろうとしています。

 数々の
 いわゆる(自分を含める)無名の普通の人々の心の声に
 いまさらながら驚かされることも多いのです。
 特に感じるのは、
 年上の方たちの文章を拝読するとき。

 自分より若い人たちの文章は
 それこそ目を見張るほど巧みな表現であったり、
 感動的な記述であったりしても
 結局はそれは自分も通ってきた道のことが書かれています。
 つまり「懐かしさ」が先にたつのです。

 でも年長の、それもはるかに年上の方たちの文章は?
 未知のなにかがそこにはあるのでしょうか?


 実は、
 こういっては失礼に当るかもしれないのですが、
 私は方々の文章を、ほとんど年の差を感じずに拝読しているのです。
 そうそう、
 私もこんなことを思って生きている、
 私もこんなこと書きたかったんだ、
 と・・・

 それは
 裏返せばこう言えるのかもしれない。

 この後20年が過ぎ、30年が過ぎても
 私は今の私のままで、
 同じようなことを考えて生きていけるのかもしれない・・・

 それは
 うれしい光明が
 微かに差し込んできたようなよろこびを感じた瞬間でした。
 (私はやっぱり私が好きだから、いくつになっても私が好きだから)

 20以上年上の人、
 その人たちと出会ったのが
 たとえば現実の世界でのことだとしたら
 多分こんな思いを抱くなんてことは決してなかったのでは?

 とつくづく思います。
 いろいろ問題もあるのだろうけれど
 この世界を知ってよかったんだ、とも・・・


 すみません、要領を得ない文章で。

 実は
 先日HP上でさる方の昔の日記を拝読する機会があったのです。
 (それは奇しくも私が生まれた年に書かれたもの、でした。)

 その年、その方はご夫君とめぐりあわれたのだそうですよ。
 青春の日の拙さ(スミマセン!)も、
 それを見つめる現代のさらさらとした目も
 とても印象的で
 自分で自分の鏡を覗き込むようで・・・

 ああ、
 あと20年後もこうしてパソコンに向かって
 文章を書いていたいなあと、

 そう思った次第なのです。
 今回書きたかったのは、それだけ、なのです。


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2006/06/20

遊園地哀歌

 週末家族で遊びに出掛けると、
 その海岸のそばの広場には
 移動遊園地なるものが出現していた。

 移動遊園地―
 なんとなくうらぶれた哀しげな呼び名である。

 実際はその名に似合わず
 さびれた遊具などではなく
 そこそこきれいなものが適当な数配置されており、
 決して哀感漂うのものではなかったのだが。
(むしろ、昨今の懐古趣味的に
 敢えて移動遊園地などという看板を掲げていたようである。)

 で、
 子供が大喜びで遊具に乗っている間、
 どうして移動遊園地というものが寂しげなのか、
 それについてぼんやり考えてみた。

 ・・・・
 その昔、
 まだ多くの人が
 その土地を簡単に出ことができなかった時代、
 遊園地は固定されたものではなく、
 移動するのが主流だったようである。
 祭りがあるような土地を次から次へと渡り歩き
 その土地の子供達を喜ばせていく。
 もちろん移動して来たのは遊園地だけではなかった。
 サーカスや旅役者、曲芸師など芸人もしかり。
 彼らもまた
 固定した家などを持たず
 常に旅にあるものであったのだろう。

 多くの一般の人からみれば、その時代、
 彼らのような根無し草の生活はそれこそ特殊なものだったはず。
 人々は彼らに奇異なるものへのまなざしを向け、
 そこには憧れと侮蔑の入り混じった思いがあったのだ。
 そんな彼らの生活や生き方への哀感が
 この「移動遊園地」にも染み付いている。
 それゆえの寂しさなのだろうか。

 時は流れ、
 各家庭にテレビが入り込み、
 交通手段が発達して
 誰もがいとも簡単に大きな都会に出掛けられる世の中になった。
 チャチくてショボい移動娯楽ではなく
 大型でメジャーな娯楽を皆が体感できる時代になったのだ。

 娯楽の移動は終わった。

 それとともにボヘミアンたちもまた姿を消した。
 残ったのは彼らへの哀感だけ・・・

 その哀感が今やちょっとした商品となっているのか。
 なにやら不思議な気持ちになってくる。
 ・・・・


 そうこう思っている間に
 子供達はたちまち全ての遊具を乗りつくし、
 もう飽きてしまった様子である。

 むかしなつかしい移動遊園地。

 そこを後にしたのは
 思っていたよりも早い時間であった。


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2006/06/14

我がお隣さん

 昨日もテレビでサッカーを観てしまった。
 同じクループのブラジルVSクロアチア戦のほうではなく、
 その、韓国VSトーゴのほうを、少し・・・

 結果はご存知のとおり韓国の2-1の逆転勝利。
 で、多くの人が思うように、
 「韓国はいいなあ」といううらやみの念を抑えきれないのである。

 仮にこれがイランやサウジだったとしても
 このような気分にはならないことだろう。
 前大会共同開催した相棒、
 そしてそこでベスト4という快挙を成し遂げた韓国だからこそ
 「またも差をつけられちゃうかもしれない」
 という漠然とした焦りを感じるのだ。


 韓国、不思議なお隣さんである。
 決して「なかよしこよし」の関係ではない。
 それでも
 お互いを意識する度合いは相当高いように思えるのだがどうだろう。
 私にはこの国に関する知識はほとんどなく、
 知人もない。
 だから単なるイメージでものを言っているにすぎないのだが

 きっと日本という国が
 この先どんなふうになっていこうとも、
 (例えば今よりも衰退してしまったとしても)

 最後まで
 良くも悪くも関心を持ち続けてくれるのは
 アメリカでも中国でもなく
 この国の人たちなのではないか

 寂しげなその背中に
 かつての威勢のよく
 あの憎らしいまでにふてぶてしい姿を重ねて
 何かを感じてくれるのではないか

 と、そんなことを考えた。

 
 だって
 このふたつの国を繋いでいるのは、
 利害関係以上のものであることは明白なのだから。
 (たとえそれが恩讐であったとしても、だ)


 いや隣の国同士というものはすべからくこんなものなのかもしれないのだが・・・

 テレビ画面いっぱいの
 歓喜に湧く
 韓国代表選手と韓国サポーターを観ながら

 遠くて近く、近くて遠い
 「我がお隣さん」に対して
 私は
 そんな複雑な思いを
 馳せていたのであります。

―甘ちゃん、なんですかね(汗)

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2006/06/08

若者文化と高齢化社会

 先日、平日の昼日中バスに乗る機会があった。
 乗り合わせたのはほとんどお年寄り。
 こういう場面に出くわす度に、高齢化は進んでいるのだなあと痛感する。

 そしてバスから降りて駅前商店街を歩くと、
 その店々に貼り出されている広告の多くは
 若者をターゲットにしたようなものばかり。
 若者
―即ち全人口に占める割合は明らかにこれから減少していく人々―
 の嗜好に合わせたものなのだ。

 若者がそれほどお金を持っているとも思えないのだが。
 いや、あるなしに関わらず自分の欲望を満たすためには
 金に糸目をつけずに行動をする、
 その性向を見越しての売る側の目論見なのだろうか。
 それに対し、慎ましやかに暮らす多くのお年寄りは
 売る側には残念ながらさして魅力のない購買者なのかもしれない。

 こんなわけなのか、
 世には多くの若者向けの商品・サービス・番組が溢れている。
 そのようなこの国の文化はまさしく若者中心の文化なのかもしれない。
 その中で人々は老いることへの否定的な観念を思い浮かべるようになる。

 身体能力の低下、
 記憶力の減退、
 柔軟性の欠落、
 そして容姿の衰え・・・

 世の中がいかに高齢者で満ちようとも、
 この観念が拭われない限り、この国の若者偏重文化は続くであろう。
 そして、人々はいかに自分を若々しく保つかに関心を注ぎ努力し続ける。
 老人の枠に入るその日を限りなく先送りにしようとするのだ。
 そういう人々の意識がまたも世の中を「若者が主役の世の中」に変えていく。
 自然の摂理、老いを認めたがらない世の中に。

 果たして
 この流れは
 「世代交代のために肉体的には衰えねばならない『生命体』」
 としては、逆らえないものなのだろうか?
 それともあくまでもそれは、
 社会的人為的なものであり私たちが意識を変えさえすれば、
 別の方向を変えられるものなのか?


 「もしも、
 かつてあったとされる
 いにしえの「老人が尊ばれ尊敬された社会」も
 それは当時が長寿の人が極めて稀な時代あったがための
 錯覚であったとしたら?」

 帰路、
 やはりスクールバスならぬシルバーバスのような車内を眺めながら
 そんなシビアなことを考えた。

 そういう私だって、
 若者とお年寄りのどちらかといったら
 やはりお年寄りの方に近く
 そしてそこに日々接近している身、

 ひとごとのような顔を、
 してなどいられないはずなのであるが・・・

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2006/06/06

恐れているのは?

 もしも、
 「本名を明かさねばネットに参加できない」
 という規則が出来たらどうするか?

 Linさんの「ネット社会と『作者の死』」を読んで、
 ふとそんなことを考えました。

 もちろん、私も匿名でサイトを運営しているひとりです。
 何故実名ではなく匿名なのか。
 この記事はそのことについてじっくり考える機会を私に与えてくれました。

 いや、それほどどぎつい内容は書いていないつもりなのです。
 匿名であっても根が小心者ですから
 当然きっぱりと言い切った主張などほとんどしないし。

 「じゃあ、実名で書いてみてもいいじゃないか、
 責任の所在をはっきりさせる姿勢は、
 文章を公表するのには必要最小限の条件なのだから。」

 そうとも思ったのですが、それはやはりできない。
 それは何故なのか。
 私は一体何を恐れてそれができないのでしょうか。

 自分のプライバシーや自分の家族や友人たちのプライバシーが
 暴かれることなのでしょうか。
 いえいえ、
 それらも守ることはもちろん大事ですが、
 テーマの選び方によっては例え実名であっても
 それらを危険に晒さずとも記事を更新することは出来ます。
 実際そういうプライバシーを一切書かないという条件でも
 なんとかなる気がするのです。

 そういうことよりも問題なのは、次のこと。
 それは
 この「私」という人間が
 「どんなことを考えどんなことを思い暮らしているか」
 が、実生活で身近にいる他人に知られること。

 その人たちの前で、
 私は、多分多くのひとと同じように、仮面を被って暮らしています。
 まるで
 「世の人全ての考えの最大公約数のことしか考えていないような仮面」
 それを被って生きているのです。

 でもそれだけでは
 嫌だから、
 物足りないから、
 哀しいから
 だから本当の自分の考えや、
 もしくはこうありたいと願う自分の考え方をここに掲げる。
 誰かが何かを思ってくだされば、と思い掲げるのです。

 それが、私がblogを続ける理由なのかな。
 そして
 仮面を実生活ではずすことが出来るのであるなら
 多分blogは必要ないというジレンマ。
 

 うーん、
 今回あらためて考えてみて、ちょっと自分にびっくりしました。
 匿名でないと続けられないとがはっきりしたことに、です。

 ・・・・

 ちょっと情けない気もしますね。

 残念・・・

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