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2006/06/20

遊園地哀歌

 週末家族で遊びに出掛けると、
 その海岸のそばの広場には
 移動遊園地なるものが出現していた。

 移動遊園地―
 なんとなくうらぶれた哀しげな呼び名である。

 実際はその名に似合わず
 さびれた遊具などではなく
 そこそこきれいなものが適当な数配置されており、
 決して哀感漂うのものではなかったのだが。
(むしろ、昨今の懐古趣味的に
 敢えて移動遊園地などという看板を掲げていたようである。)

 で、
 子供が大喜びで遊具に乗っている間、
 どうして移動遊園地というものが寂しげなのか、
 それについてぼんやり考えてみた。

 ・・・・
 その昔、
 まだ多くの人が
 その土地を簡単に出ことができなかった時代、
 遊園地は固定されたものではなく、
 移動するのが主流だったようである。
 祭りがあるような土地を次から次へと渡り歩き
 その土地の子供達を喜ばせていく。
 もちろん移動して来たのは遊園地だけではなかった。
 サーカスや旅役者、曲芸師など芸人もしかり。
 彼らもまた
 固定した家などを持たず
 常に旅にあるものであったのだろう。

 多くの一般の人からみれば、その時代、
 彼らのような根無し草の生活はそれこそ特殊なものだったはず。
 人々は彼らに奇異なるものへのまなざしを向け、
 そこには憧れと侮蔑の入り混じった思いがあったのだ。
 そんな彼らの生活や生き方への哀感が
 この「移動遊園地」にも染み付いている。
 それゆえの寂しさなのだろうか。

 時は流れ、
 各家庭にテレビが入り込み、
 交通手段が発達して
 誰もがいとも簡単に大きな都会に出掛けられる世の中になった。
 チャチくてショボい移動娯楽ではなく
 大型でメジャーな娯楽を皆が体感できる時代になったのだ。

 娯楽の移動は終わった。

 それとともにボヘミアンたちもまた姿を消した。
 残ったのは彼らへの哀感だけ・・・

 その哀感が今やちょっとした商品となっているのか。
 なにやら不思議な気持ちになってくる。
 ・・・・


 そうこう思っている間に
 子供達はたちまち全ての遊具を乗りつくし、
 もう飽きてしまった様子である。

 むかしなつかしい移動遊園地。

 そこを後にしたのは
 思っていたよりも早い時間であった。


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コメント

ゴトウさん、コメントありがとうございます。

>そんな人生に哀愁を感じると同時に、何だか羨ましくもあります。

そうなんですよね、その2つの気持ちが複雑に絡み合っているのが、いわゆるカタギの人間が持つ「彼ら・ボヘミアン」への思いなのでしょうね。

日本ではすっかりいなくなったボヘミアンたちですが、欧州ではまだまだ健在なのでしょうか。余談ですが、20年ほど前にアムステルダムで移動遊園地を見かけびっくりしたことも、今回のことで思い出しました。

投稿: ぞふぃ | 2006/06/21 12:39

ぞふぃさん、こんばんは。
そういえば昔は縁日にもときどき小規模な遊園地がありましたよね。ノスタルジア。
あまり関係ないのですが、6年前にフィンランドに行ったとき、バス停でジプシーのおばさんを見ました。同行の友人に教えてもらったのですが、派手な赤い水玉の服を着ていて(寒かったのでその上に革ジャンも着ていましたが)一目でわかる。彼らもまた、旅から旅の人々ですよね。そんな人生に哀愁を感じると同時に、何だか羨ましくもあります。

投稿: ゴトウ | 2006/06/20 20:40

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