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2006/06/08

若者文化と高齢化社会

 先日、平日の昼日中バスに乗る機会があった。
 乗り合わせたのはほとんどお年寄り。
 こういう場面に出くわす度に、高齢化は進んでいるのだなあと痛感する。

 そしてバスから降りて駅前商店街を歩くと、
 その店々に貼り出されている広告の多くは
 若者をターゲットにしたようなものばかり。
 若者
―即ち全人口に占める割合は明らかにこれから減少していく人々―
 の嗜好に合わせたものなのだ。

 若者がそれほどお金を持っているとも思えないのだが。
 いや、あるなしに関わらず自分の欲望を満たすためには
 金に糸目をつけずに行動をする、
 その性向を見越しての売る側の目論見なのだろうか。
 それに対し、慎ましやかに暮らす多くのお年寄りは
 売る側には残念ながらさして魅力のない購買者なのかもしれない。

 こんなわけなのか、
 世には多くの若者向けの商品・サービス・番組が溢れている。
 そのようなこの国の文化はまさしく若者中心の文化なのかもしれない。
 その中で人々は老いることへの否定的な観念を思い浮かべるようになる。

 身体能力の低下、
 記憶力の減退、
 柔軟性の欠落、
 そして容姿の衰え・・・

 世の中がいかに高齢者で満ちようとも、
 この観念が拭われない限り、この国の若者偏重文化は続くであろう。
 そして、人々はいかに自分を若々しく保つかに関心を注ぎ努力し続ける。
 老人の枠に入るその日を限りなく先送りにしようとするのだ。
 そういう人々の意識がまたも世の中を「若者が主役の世の中」に変えていく。
 自然の摂理、老いを認めたがらない世の中に。

 果たして
 この流れは
 「世代交代のために肉体的には衰えねばならない『生命体』」
 としては、逆らえないものなのだろうか?
 それともあくまでもそれは、
 社会的人為的なものであり私たちが意識を変えさえすれば、
 別の方向を変えられるものなのか?


 「もしも、
 かつてあったとされる
 いにしえの「老人が尊ばれ尊敬された社会」も
 それは当時が長寿の人が極めて稀な時代あったがための
 錯覚であったとしたら?」

 帰路、
 やはりスクールバスならぬシルバーバスのような車内を眺めながら
 そんなシビアなことを考えた。

 そういう私だって、
 若者とお年寄りのどちらかといったら
 やはりお年寄りの方に近く
 そしてそこに日々接近している身、

 ひとごとのような顔を、
 してなどいられないはずなのであるが・・・

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コメント

nofumoさん、こちらこそコメントとTBをありがとうございました。
これから拝読しにお邪魔させていただきます。
感想はそちらにて・・・

投稿: ぞふぃ | 2006/06/12 12:01

ぞふぃさん、こんばんは。
ご主旨とは ずれてしまうのですが、後ほどトラックバックさせていただきます。
きっかけをくださり、ありがとうございました。

投稿: nofumo | 2006/06/11 19:58

ゴトウさんが書かれているようなことをおっしゃる方は多いと、私も思います。
そのようなひとは事実増えてきているのでしょう。
そう思うと「年をとるのが楽しみになる社会」も案外もう来ているのもしれませんね。
悲観的な物言い、失礼致しました(笑)。
また再度の書き込みもありがとうございました。

投稿: ぞふぃ | 2006/06/11 14:05

ぞふぃさん、そんなに悲観的にならなくても!

私だけかもしれないのですが、最近、鏡を見るたびに若い頃よりいいなーと思います。確かにシワはあるし、ヘンなところに肉はついているし、客観的に見れば醜くなっているのかもしれないのですが、若い頃には見えなかった自分の人間らしさが外面に現れていると思うのですよ。
鏡に向かって笑っても何か凄みがあるし、なかなか(笑)。

樹村みのりさんのある漫画の主人公が「若い頃は体は自由だけれど心が不自由、年をとると体は不自由になるけれど心は自由」という意味のことを言っていました。その通り。1億円積まれても、20才の頃の不自由な心の自分には戻りたくありません。

あとは言いたいことを言いながら、若いヒトたちに疎まれる意地悪バアサンを目指しましょうか?

投稿: ゴトウ | 2006/06/10 21:37

ゴトウさん、コメントありがとうございます。

>年齢が上がると目が肥えるので、従来の広告では買ってくれないのです。

そうですね、年を負うごとにやはり人間賢くなるものだから、その賢い人たちに買ってもらうのは売る側も考えないといけないのでしょうね。
ご指摘の韓流ものも、中高年向けのマーケティングの成功例だと私も思うのですが、結局「現在の老いた自分」ではなく「若かりし日の美しい自分」への郷愁がヒットを生んだのですよね。
そう思うと「中高年中心の社会」となっても「年をとるのが楽しみになる社会」なんてのは、現実にはあり得ないのかな、なんてちょっと悲観的な気分になってしまったわけなのです。
なんか暗くてごめんなさい。

投稿: ぞふぃ | 2006/06/10 12:18

ぞふぃさん、おはようございます。
最近の傾向としては、実際の年齢-10歳を自覚年齢としているよう。かくいう私もずっと年齢を気にせず生活してきましたが、ここにきて老眼鏡なしで本は読めなくなるは、風邪はなかなか治らないはで、老化を意識し始めました。
でもマーケティングの対象年齢は確実に上がってますよ。だってどう見ても、現在の状況では若者より年寄りのほうがお金もっている(笑)。
ただねー、難しいんですよ。年齢が上がると目が肥えるので、従来の広告では買ってくれないのです。
韓流ドラマと周辺商品の大ヒットは、マーケティング戦略のヒットだったのでは?

投稿: ゴトウ | 2006/06/10 09:50

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