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2007/01/11

心の過去帳

 ヘッセの小説で「春の嵐」というのがある。

 最初に読んだのはもう20年以上昔のこと。
 足の悪い音楽家の話なのだが、
 ヘッセの中では多分一番好きな作品で、
 今も繰り返し読んだりするほどだ。

 その中で
 美しいテナー歌手である友人がこんなふうに語るところがある。

 「ほんとにうれしいな(中略)
  ぼくは君をひそかにもう過去帳にのせていたんです。」

 
 この「きみ」とは主人公の音楽家のこと。
 どうもこのテナー歌手は
 「この友人関係は終わってしまった」と思っていたのに
 主人公がまた訪ねて来てくれたのを喜んで
 そう語っていたようなのだが、
 それにしても「過去帳」とは・・・!
 また特殊な言葉で訳したものである。

 私は最初、
 読んで字のとおり「過去の人の名簿」という意味もあるのかと
 思っていたのだが、
 実際きちんと調べてみると
 過去帳とは
 「寺で、檀家(だんか)・信徒の死者の
  俗名・法名・死亡年月日・年齢などを
  記入しておく帳簿(YAHOO辞書より)」のことで、
 それ以外のものではないようなのである。
 ・・・
 「春の嵐」はドイツ文学なのに
 思いっきり日本的な言葉というわけだ。

 もっとも
 原語であるドイツ語がどのような言葉で書かれているのかは
 なんとも言えない。
 ひょっとしたら欧米にも
 寺ではなく教会などで管理している過去帳
 (英:the death register)
 のようなものが存在し、
 それをそのまま訳しただけなのかもしれないし・・・

 いずれにせよ
 実際の死者の名簿に例えるあたり
 この「過去帳」という言葉は、
 「過去の友とは、既に自分の心にとっては『終わった人』」と
 とらえているようで、
 なんともシビアな感を受ける。
 そして
 敢えてそのようにシビアに扱わざるを得ない
 過去帳の持ち主の寂しさのようなものが伝わってくるのだ。
 それだけにこのテナー歌手にとっては
 「心の過去帳」からの復活を意味する主人公の来訪が
 ことのほかうれしかったのだろう。


 さて、
 これに近いことが
 私の身近にも年に一度、年の初めにある・・・

 それは疎遠になった友からの年賀状を受け取るとき。

 1年間音沙汰無くとも、
 賀状を出し
 また受け取ることによって
 心の過去帳への本記載がまた先延ばしになる・・・

 そうやって
 先延ばしにしていることもまた、

 つかず離れずのひとつの友情の形、

 なのかもしれない、のだが・・・

 互いにまだ過去帳に載せられていないことが、
 そして
 互いが「載せるには戸惑いのある存在」なのだということが、

 それだけでも
 十分心温まる「年の初め」を私に与えてくれる、のだ。
 
 ・・・ありがとう
 

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コメント

ふふふ・・・
涼さん、きっと過去帳という言葉に反応しているということは、
未練はまだまだあると見ましたがいかがですか?
でも、「いさぎよい判断」をされたのですね。

そういう心の葛藤って
なんとなく人の心の深淵のような気がします。
そんな涼さんの深いところを見せていただいたようで、
不謹慎ながらちょっとうれしくなりました。
・・・すみません(汗)

投稿: ぞふぃ | 2007/01/12 18:10

ぞふぃさん

∥実は本文とは矛盾するようですが、私は過去帳への記名をすぐ考えるタイプなのです。

これは賀状のやりとりをしていた頃は、よくありました。発受記録を元に、前年出した人に出さなかったり、今度は頂いてしまって慌てて出したり。

でもそういう間柄は、割合心の表層部分なのかも知れませんね。
今回潔くと書きましたが、まだ未練があったりして……

いけません。自分で書いたように、キッパリとしましょう!

投稿: | 2007/01/12 15:33

涼さん、
こちらこそ今年もよろしくお願いいたします。

>いざぎよい判断が必要なときになったのかも知れません

そうですか・・・
実は本文とは矛盾するようですが、私は過去帳への記名をすぐ考えるタイプなのです。
もっとも私の場合は「いさぎよい判断」というよりは、「寂しがりやのやせ我慢」ゆえのことなのですが・・・
よって我が「心の過去帳」は記名・除名の連続で、誠に見苦しいもののようです(苦笑)。

TBもありがとうございました。
そちらにも足跡を付けさせてもらいますね。

投稿: ぞふぃ | 2007/01/12 12:39

遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。

ここで書かれたことに触発されて、心の過去帳に一人の名前を書き込んだことを記事にしてしまいました。

「載せるには戸惑いのある存在」ではあったのですが、いざぎよい判断が必要なときになったのかも知れません。

トラックバックさせていただきました。

投稿: | 2007/01/11 21:23

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» 心の過去帳 [徹也]
過去帳というのは、書く方が辛い思いをする。 [続きを読む]

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