孝行息子
7日に夫の実家から帰京した。
今年は
北国にめずらしく雪のほとんどない正月で
過ごし易い日々だったのだが、
我々が発つ日から大荒れの吹雪に急変。
雪深い山村に老母をひとり残して去らねばならぬ
そんな辛さがあったのか、
「一度も雪掃きすらやってやれなかった」と
しきりと後悔する夫。
そんな彼を見るにつけ
心に浮かぶのはこんな言葉だ。
孝行息子―
一緒に暮らしてあげられないという負い目があるとはいえ
彼の親孝行ぶりはなかなかなものである。
老いた両親のため古い家を新しく建て直し
長期の休暇は全て実家に戻って親の手助けに費やす。
週に一度は必ず実家に電話を入れ、
様子を伺いその心配事の相談相手となる。
義父が亡くなり義母ひとりの生活になってからは
一層そのいたわりは増すばかりだ。
優しく思いやりがあり常に親のことを心配している・・・
そんな彼のことを、
世の人は皆
いい息子だと
微笑みをもって見るのであろう。
だが、
その中でただひとりそれを複雑な思いで見つめる者がいる。
それは、私―
その「孝行息子」の妻たるこの私なのだ。
・・・
「家族なんてもんは
結局は愛情の奪い合いなんです」
とは、
ジョージ秋山氏の「浮浪雲」だっただろうか、
母(嫁)と祖母(姑)の仲を
うそをついてまで取り持とうとする子を
その父がいさめるシーンで聞いた言葉。
義母と私は決して不仲というわけではなく
上手くやっているほうだとは思うけれど・・・
ややもすると
愛情をかき集めて
独占しようとしてしまう私には
いやはや
この言葉は、
身につまされますなぁ・・・
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