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2007/02/08

入籍しない理由

 先日、こんな文章を読んだ。


 書いているのは、
 結婚はしているが入籍してないという女性。

 その事実婚という形は、
 それはそれで十分考えた末の結論であるのに、
 その結論に批判的な意見を受けて今更ながら凹んでしまったこと、
 そして「そんなことで凹む自分」に更に凹まされた―

 そんなことが綴られた文章であった。


 ごく自然に、
 結婚イコール入籍とつながってしまった私には
 想像もつかない悶々たる想い。

 どうして、彼女は、
 いや彼女だけではない多くの人々は
 「入籍しない」というその選択をとったのだろうか。
 さまざまな偏見やこころない批判を受けることも承知の上で。

 彼・彼女たちにとっては、「入籍」は意味の無いことだから?
 いや、
 彼らにとっては
 「敢えて入籍しない」ということにこそ意味があるからなのだろうか?

 無意味な「入籍」と
 「入籍しないこと」への意義。

 表裏一体のようにもみえることだが、微妙にこの2つは違う。
 もちろん2つとも
 どの事実婚選択者にも存在するものなのだろう。
 ただ違うのは、
 どちらにより多くのウェイトをかけているかということだけなのだ。
 そう考えてみて
 前者の姿勢に妙な力が抜けた自然態を感じ、
 後者のほうにより世間に対するアピールのようなものを感じるのは
 私だけだろうか?


 どちらにしても
 入籍に意味を見出し
 それを何の疑問もなく受け入れた私には無縁の話だが、

 もしも
 私が事実婚を選ぶ人間であったとしたなら、

 前者のような自然態の姿勢が、
 自分の中でよりウェイトを占めるひとでありたい、と
 そんなことを考えた。

 「そちらがより正しい」とかいう話ではなく、
 「そのほうがより無理なく生きられるかな」という理由から。

 ・・・

 多くの事実婚選択者もきっとそうなのだろう。

 そうじゃなけりゃ、
 そんなことやっちゃいられない。

 他人と違う道を歩める力は、
 多分、努力とか意義とかから生まれてくるものではなく
 その道しか歩めない自分だからこそ生まれてくるものだから・・・

 願わくば
 前述の彼女もそういう一人でおられるように。

 それならば、

 きっとその道は
 この先も続いていくのだろうから・・・


 <追記:2/6の記事に関連して・・・>

 「ダーウィンの悪夢」に描かれていた
 グローバリゼーションによる生活破壊への抵抗になるかは微妙ですが
 「フェアトレード」という活動があることを今日あらためて知りました。
 いや、以前から知っていたのに
 いまひとつ関心を抱かなかったというのが正直なところです。
 ・・・今回、より耳を済ませて
 その活動の詳細を聞いてみると
 「見えない血で汚れた我々の手」を少しは
 きれいにしてくれるかもしれません・・・
 エコライフを心がけると同時にやってみる価値ありそうですね。

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