占いについて思うこと
ちょっと前だったか・・・
続けざまに占いの思い出についてのエッセイを新聞で見かけたことがあった。
2人とも筆者は女性。
すごく当たるという評判の人に占ってもらい、
そのとおりドンピシャリ当たったというような内容だったか・・・
多分お二人とも
普段の生活ではあまり占いには興味のないといった印象の方々だったが、
「やっぱホンモノの占い師は違う」という感嘆が
その文章には表れている。
そう、当たるとうれしいんだよね。
でも、
この占い師さんたちのことはどうだかわからないけれど
占いというものの真髄とは、
きっと
「当たった」ということではなくて
「当たった」と思わせるワザにある
のではないだろうか、
そしてそのワザとは、
高度に研ぎ澄まされたコミュニケーション能力にあるのだ、
と常々私は思っているのである。
占いとはそもそも
心のエステのようなものだ。
カウンセリングより甘口でエンターテイメントなもの。
占いに駆け込む人も多かれ少なかれ何かを抱えている。
その何かについて
自分の求める方への後押しを望んで
手相やタロットや水晶玉を覗いてもらうのだ。
だから
優れた占い師というものは
その人の表情からその思いをよく汲み取り、
読み取った運勢をからめつつも
的確なるアドバイスを与えられる能力をもつ人なのだ。
運勢を読み取る力に優れているというよりは、
その運勢を人の心にに合わせてうまく伝えることができる、
そんな力・・・
その力が、
ああ、あの人は当たるというカリスマ性をその占い師に与えるのだろう。
基本的に私は占いを信じていない。
が、
占いという暗示にかかるという「人の性(サガ)」は侮れないと思っている。
その暗示によって
人が何事かを成し遂げることも可能だとすら思うほどに。
(そしてそれが占い的には「当たった」という事実になる)
でも、
残念ながら今までの人生で
暗示を与えて欲しいというほどの局面に遭遇したことのない私は
結局
占いとは無縁の生活を送ってきている。
多分、これからも・・・・
でも、
あのような「占いが当たって感動した」という体験記を読むと、
そんな感動をしてみたい、
という率直は願いも
捨てきれない、私だったりもするのであるが。
| 固定リンク