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2007/05/29

生物と非生物

昔から、
よく考えることなんですが
この世に存在する2種類のもの、
生物と非生物を区別するものって一体何なのでしょうね。

―生物は生きていて、
 非生物は生きていない―

確かに・・・
じゃ、「生きる」って?

ま、学のない私の考えなのですからいい加減なものなんですけど、
つまりは「生きる」ってのは

「自分」と同じものを生み出していく
         (つまり増やしていく)

ってことなんじゃないかと思うわけです。

そう考えると、
生物の持っているとされる最も特徴あるもの、
それは、
「意思」だの「感覚」だの「感情」だのといったような「精神」という言葉で表わされると思うのですが、
そういうのも突き詰めるとこの「自分を増やす」という性格に根ざしているんですよね。
例えば
わが身を生き続けさせようとする「意思」も
痛かったり苦しかったりという「感覚」も生き抜くために編み出した方法で、
悲しかったり嬉しかったり愛しかったりという感情も、他者との良好な関係の下生き抜く可能性を高めるというやはり同じ目的のために作り出されたものと位置づけられる―
(かなり唯物的な考えによると、の話ですよ。
 そうでない考え方も存在することも確かですが
 ここではそれは置いておきましょう。)


では、
非生物のほうは?
そうやってひたすら増え続けようとする私たち生物に対して
どこがどう違うのでしょうね?

・・・

うーん、
そう考えてみると
私にはどういうわけか
「そんな大した違いはないんじゃないか」って気がしてならなくなる。

つまり
彼らは増えないだけなんです。
言い換えると、
増えようとしないだけなんじゃないかなと思うわけなんですよね。

確かに非生物には
「意思」や「心」がないというのが一般的な考えではあります。
が、
「増えようとする」ことだけが意思なんでしょうか?
「増えようとせずそのままの自分であり続ける」っていうのも意思として有りうるのでは?
そして生物に感覚や感情があるように、
その意思を貫こうとする手段として非生物にも
やはり「感覚」や「感情」のような手段・方法が備わっているのかもしれない。
それがどんなものであるのかは、
残念ながら私には想像も付かないですけれど・・・

いずれにせよ、

―何かを為そうとするだけではなく
 その状態を保つという意思もある―

なんてそう思うと
なんだか非生物もまた、
他の生物同様我らの同胞っぽい気がしてきて
親しみが湧いてくるような・・・

または、
がむしゃらに何かを為そうと頑張って行き詰っているような人に
ほっと力を抜かせるいいきっかけにならないかな、なんて・・・

ま、そんなこと考える人は
普通あまりいないのかもしれませんが、

ちょっと考えたりしちゃったんです・・・

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