「トンビは鷹を産まない」
この言葉、かなり以前にどこかで目にしたものだった。
多分素人の方の投書か何か、でだったか。
・・・
それ以来、
結構気に入っているのである、この言葉。
もちろん、
「トンビが鷹を産んだ」という諺をやや揶揄してものなのだろう。
昨今みられる、
子供への期待が過熱する傾向に対する
ちょっとした物言いだったようだ。
確かにね・・・
確かに今の世の中では
本家の「鷹を産んだ」よりもこちらのほうが
より箴言として価値があるような気がする。
・・・・・・
自分の子が、
自分を上回る優れた能力を持つ存在であること、
それは世の多くの親が、
密かにあるいは公然と望むところである。
(かく言う私もまさにそういう親のひとりなのだと自覚している。)
だが、
それによって生まれる過大な期待や失望の
悲喜こもごもを見るにつけ、感じるにつけ、
「トンビが鷹を産む」ことは本当に喜ばしいことなのか?
という疑問が浮かび上がってくるのである。
というのも、
何やらその「トンビ」であるところの親の姿に
卑屈さや哀しさを見せ付けられる気がしてしまうから。
凡愚なる親の自己否定のようなものが
この言葉には潜んでいる気がしてしまうから・・・
やはり、
トンビは鷹を産まない
トンビが産むのは優れていてもやはりトンビだ、
と
親から子への何かの連続性を見出したい・・・
たとえそれがどんなダメ親と神童のごとき秀麗なる子であったとしても。
そう思うほうが、
より健全な道のような気がする、
より幸せな家庭である気がする、私なのです。
<’07/06/05追記>
本文中にて、
凡庸な親が優秀な子を生む例えの諺として
「トンビが鷹を産んだ」というふうに紹介しましたが、
正確には「鳶が鷹を生む」です。
お詫びして訂正いたします。
きちんと調べずにUPしまして、失礼いたしました。
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