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2007/06/28

「親睦会」に思うこと

親睦会ってものがありますね。

仕事や学校など何かの縁で一緒になった人々が
親睦を深めるために行われるもの。
食事会やお茶会、酒宴なんかも企画される、アレです。

先ほども言いましたが、
その目的は、
親睦を深めるために他ならないんでしょうが、
どうなんでしょう、
そういうものに参加して親睦が深まったって方、
どれぐらいの割合でいらっしゃるんでしょうかね。

私が社交的な人間ではないからなのかもしれませんが、
どうもあの手の親睦会ってのは苦手でして・・・
むしろああいう会を催してもらうよりも
何かの仕事を与えられてそれをグループでやり遂げる、
なんてほうがよっぽど
その仲間たちと打ちとけやすい気がしてしまうんですよね・・・
御存知のとおり、
共通の目標や障害は連帯感を生みますし、
何かを成し遂げる達成感を共有するのは
一人で仕事をやり遂げるより遥かに気持ちのよいものですから。

だけど、
そういうものもまだなく、
ただ同じ枠組みに入ったのだから
「さあ仲良くしましょう、まずは一緒にご飯でも・・・」なんて
ちょっとムリある設定じゃないですか。

思うに、
親睦会っていうものは
初めに「見知らぬ同士の親睦を深める」という目的ありきではなくて
何かで親しくなり始めた人同士が
「更なる親睦を深めたい」という意思の元
初めて意義あるものとなるのではないかと思うのです。
だから
「参加しないと仲間に入れない!」なんて危機感に追い詰められて参加したころで、
なかなかつらいものがあるのも仕方がないことなのかもしれません。

そんなことにも気づかず、
義務感や焦燥感から随分この手の会に参加し、
その度に不毛なる結果を招いてきた私ですが、
遅まきながらようやく件の法則に気づいたところなのです。

という訳で、
これからは自分の心に正直に、
「気の進まぬ親睦会には堂々と欠席を申しこみたい」
と思っているのですよ・・・

(といいながら、
 仕事やら予定やらを言い訳に使いまくるその姿勢は
 極めて姑息以外の何物でもないのですけど、ね。)


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2007/06/26

状況の異なる者同士の間で友情は存続するのか?

ちょっと前にこんな文章を読みました。

それは、
子供のいる友人との付き合い方について書かれたもので、
こちらが独身時代のように付き合いたいと思っているにも関わらず、
子育て中の相手はなかなかそれができないという不満に対する意見が
綴られたもの・・・

「子育て中の友人が子供のことばかり話す」とか、
「せっかく会ったのに
相手が子供を連れてきて大人同士の話が出来なかった」
とかいう不満はよく耳にします。
だから、それ自体は別段どうということもない話題なのですが、
でもその文章が異色だったのは、
その不満に対して真っ向から対立姿勢をとっていること。
つまり、

「自分と境遇が変わった友人も受け入れられないなんて
そんな友情ってどうよ!
ホンモノの友情なら
友達の今置かれている状況や夢中になっている話題が
例えどんなものであっても共に楽しめるものでしょう?」

といった不満を持つ側への苦言を呈している点にありました。


なるほど、ね。

なかなかごもっともな意見です。
確かに人一人育てるってそれまでの人生をひっくり返すほど生活が変わるもの。
(実際それぐらいしなけりゃ子供なんて育てられないもんですし・・・)
そのまさに真っ只中にいる人が
そのことばかりに心を占められてしまうのは当たり前のことだし、
その状況は
例え子供のいない友人を前にしたって
はばかる必要なんかないのかもしれない。
そして
その辺のところを理解して受け入れるのが友人として当然のあるべき姿なのであり、
それができないようでは、
もうそれは友情なんてもんじゃないのかも・・・


・・・

ああでも、
確かにそれはそうなのですが、

それでもやはり私には、
境遇の違ってしまった人に対しての「はばかり」は
ある程度は必要なのでは?
と思われるのです。
例え、
それが無二の親友だとしても、
いや無二の親友だからこそ、
相手を慮ることは決しておろそかにしてはならないのだと・・・

わが身を振り返ってみても、
状況が変わっても付き合い続けられる人というのは、
それが互いに出来ている者同士だったからだと思うのですよね。
それが出来ない人とは、
残念ながらどんなに魅力的な人であっても
一時親しかった人にしか過ぎなくなってしまう・・・

結局
子供を連れてきたり、
子供の話ばかりする人が鬱陶しがられがちなのは
そのこと自体に原因があるというよりは、
それに対する相手の反応をまるで気にしていないという
その態度を取るケースが多々あるからなのではないでしょうか。
もちろん子供だけに限らず、
それは仕事でも趣味でも彼氏の話にも当てはまることですが・・・

人間の絆って
どんなに強いようでも
互いに結びついていようという意思がなければ
あっという間に崩れてしまうものだから・・・

だから、
会うたびにその意思を確認しあうこと、
その関係の更新確認をすることが必要なのでしょう。

つまり逆に言えば、
それを怠るということは、

もう更新の意思のないこと


見なされても仕方のないことなのかもしれません・・・

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2007/06/21

オフィーリアの息子

「こんなに優秀な自分が
 これほど凡庸で
 教養のかけらもないこの親の子であるはずがない
 ・・・だから自分はオフィーリアの息子である」

そんなふうに心のバランスを崩してしまった少年がいた。
彼は
大衆食堂を営んでいる善良なる自分の両親を憎み蔑み、
学校で思うように上がらない成績のストレスゆえに
家庭内暴力の限りを尽くす。
そして
その暴力にほとほと手を焼いた父親の苦渋の選択の末
最後には殺されてしまうのであった・・・


そんなドラマを観たことがあった。
随分昔のこと・・・

そのドラマを観たのは中学生ぐらいのときだったろうか。
そのときの私はこの息子がホントに心の底から許せなくて、
涙を流しながらその両親の無念や悲しみを思ったものであった。

だが、
その5年も経たないうちに
私は、その少年の気持ちと同じものを自分の中に感じるようになる。
・・・自分の父に対して、のことだった。


さすがに、
自分を「オフィーリアの娘」とまでは思わなかったが、
ハイティーンになる頃、
私は自分の父の野卑なしぐさ、俗っぽい考え方、貧乏くさい言動が
我慢ならなくなってきていた。
学歴がどうこうとかそんなこと以前に
滲み出るような品性が
この人には欠けているように思えてならず、
その娘であることの情けなさを痛感させられていた。

父がどんなに私たち家族のために身を粉にして働いていたか、
そんなことよりも
彼がパンツ一枚で家の中を歩き回ることしか
そのころの私の目には映らない。
きつい仕事にもかかわらず病気ひとつしなかった父、
それにより雨露を凌げていた我々家族であったのに
その偉大さはまるで問題にされず、
ガツガツと食事を平らげ、
つまらない自慢話をくどくどとすることのほうが
高校生の娘には大きなことであったのだ。

所詮は
この教養も品性もない小心者の娘、
それが私という人間なのか?

自分を省みず、
未来は無限の可能性があると信じていた青臭い私には
それは自分にはいかんともし難い限界に感じ、
そんなことも気付かずに
くだらない職場の同僚の自慢話に明け暮れる父を
密かに恨めしく感じる・・・

苛立ち、不満、
「自分を無条件に愛してくれる親なのに、
 その人に対し何故自分はこんなにも苛立ってしまうのか?」
という罪悪感などなど・・・

かつては
あんなに許せないと思った
あの「オフィーリアの息子」の気持ちが
ぼんやりとだが分かるような気がした、瞬間だった・・・


・・・・


時は流れ、
結婚し家を離れて遠くから見る父は、
相変わらずの俗物だったりする。
小心ですぐくよくよする子供っぽい人であるということも変わりない。

でも、
このひとが屈強で愚直なまでに家庭を支えたから
あの家が成り立っていたのだし、
今の自分があることも
40を越えた私には
すんなり受け入れられるようになった。

そして今は
「オフィーリアの娘」でなくあの人の娘でよかったのだ、
と心の底から無理なく思える・・・
(そう思うのに
ざっと15年程かかってしまった、のだが・・・)

どどのつまりは
身の程を知っただけ
ということなのかもしれないのだけれど、


それは案外、
何よりも大切なことなのかもしれません、ね。

(遅ればせながら6/17の父の日に際し、こんなことを思いました・・・)

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2007/06/19

パイの大きさについて

その昔、
パイの話を聞いたことがあった。

ひとつのパイを皆で分け合う話。
大抵の場合、
多くの切れ端を独り占めするものが存在し、
そのためパイは皆には行き渡らない。

パイにあぶれた者たちには当然不満が募る。
その不満に対し
世のリーダーたちが考えるのは常に
「今のパイを公平に分け合いなおすことではなく
 自分の取り分はそのままにして
 皆に行渡るほどの新しい大きさのパイを生み出すこと」

その新しい大きいパイは一体どうやって生み出されるのだろうか?
純粋なる工夫と人知から生み出されることもあるだろう。
または、
腕力に物を言わせて他のものから奪い去ってくる場合ももちろんあるはずだ。


戦後、
この国はパイを大きくすることに一応は成功した。
飢えて野垂れ死にをする人は今や稀有な存在となった。

だが、
それはどのように大きくしたパイなのだろう。
どこかの誰かが食べるべきパイには
一切手を触れずに成し遂げた業績だと
誰がきっぱりと言い切れるだろうか。


そして、
私がずっと疑問に思っていたのは、

この世界の生み出せるパイは
世界の全ての人のお腹を満たすに十分な大きさなのだろうか

ということ。

はからずも先日観たドキュメンタリー
その答えを語ってくれた。
それによると、
先進国並みの便利で快適な生活を世界中の全ての人60億人が送るにためには、
地球は5つ必要(資源は今現在の5倍必要)なのだとか・・・

つまり、
私たちは
地球が養えるキャパシティーの5倍は贅沢をしている
ということらしい・・・


パイは、
やはり小さかったのだ。


いや、
そんなことはもうずっと前にわかっていたはず、

わかっていながら
目を背けていただけのことだったのだけど・・・


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2007/06/14

音楽を奏でる生活

子供のころ、
ピアノを習ったことがあった。

多分自分から習いたいと言ったのだと思う。
あまり裕福ではなかった我が家であったが、
親はだまってその要望を叶えてくれた。
家での練習用には、
母は少し無理をして電子オルガンを買ってくれた。

だが、
そこまでしてもらいながら
私のピアノのお稽古は長くは続かなかった。
バイエルの上巻、
両手で同じ調べを弾く練習あたりで私は敢無く挫折。
練習嫌いで家ではほとんど練習しないのだから、
さすがにレッスン中も肩身が狭い。
そんな日が続くと教室へ向かう足も重くなるのが当然だ。
教室に行く振りをして家の片隅にこっそり隠れているのが見つかったとき、
母は私にピアノをやめさせることにした。

不思議なことに、
母はこのなりゆきにほとんど非難めいた言葉をもらさなかった。
それどころか、
「やっぱりピアノを買ってやらなかったから、
・・・悪かったわねぇ」
などと自分を責めたりする。
己のことを親に対ししみじみ「情けない」と思ったのは、
人生においてこのときがが初めてだったのかもしれない。

こうした「情けなさ」が私に
ピアノへの未練を残したのだろうか。
矛盾しているようだが、
こんなにもあっさりと辞めてしまったくせに
私の中のピアノをはじめとする楽器への憧れは
その後も消えることはなかった。

・・・


月日は流れ、
今、我が家の居間にはピアノが置いてある。

結婚して娘が生まれたころ衝動買いしたもの。
もちろん自分で弾くつもりで教本なども用意したのだが、
乳飲み子を抱えているとピアノなんて優雅に弾いちゃいられない。
結局成長した娘もピアノを習わなかったから
誰も弾ける人のいない我が家には不似合いなピアノだけが残されているといった感じ。

それでもポツリポツリと子供たちは弾く。
学校の音楽の教科書などをひろげ、
指一本で弾いていたりする。


最近になり、
私もまたピアノを弾き始めた。
家族が出掛けてしまったあと、
自分の出勤前のほんの短い時間、CD付教本で練習する。
不器用な私に
右手と左手が別のメロディーを奏でるなど
絶対できないと思ったものだったが、
不思議と練習すればなんとかなるのだ。
(どうして子供の頃はそれが気付かなかったのだろう・・・?)


「ピアノが弾けるお母さん」
それが長いことの私の夢だった。

だが、
弾けなくとも
(=人様にお聴かせする腕がなくとも)
自分の楽しみで「ピアノを弾くお母さん」になることは簡単だったのだし、
弾けるのに「弾かないお母さん」も多い中
それが出来るのは大変貴重なことなのではないか。

だから、
というわけではないのだが、
私の夢は変わった。


「ピアノが弾けるお母さん」から
「ピアノを弾いてるお母さん」へ、と。

そうして、

音楽を奏でる生活って
案外手近にあるものだった・・・って

遅まきながら
今頃やっと気が付いたというところなのである。


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2007/06/12

しろいごはん

「もしもアナタがこの世を去らねばならぬとして、
その最後の晩に食したい料理はなんですか?」
というよくある質問を受けたとしよう。

思い出深い料理やお袋の味を挙げる人もいることだろう。
もしくは山海の珍味か、
その昔王侯貴族が舌鼓を打った贅沢な宮廷料理を所望する人もいるに違いない。

だが、
私が迷わず選ぶのはきっと

ただの
「しろいごはん」

熱々の炊きたての「しろいごはん」、なのだ。


おかずも何もいらない。
味噌汁すらいらない。
ただお茶碗に一杯、盛った温かい白いご飯があればいい。

そのかすかな甘み、
ふんわりとした食感、
口中でほわほわと湯気をたてるかぐわしさ、
そして、
それらを噛み締めて最後にのみ込む際の
のどから鼻にぬける
あのなんとも言えぬふくよかな味わい・・・


それらを
毎日のように食すたびに思うこと、

おいしさとは
このように、その食べ物がのどに滑り落ちていく瞬間に
命の最後の煌めきのように
それをもりもり噛み砕いている我々に投げかけられるものなのではなかろうか・・・


多分
この国に育った人以外にとっては
何の味もついてない淡白で地味な一皿に過ぎない
しろいごはん。


国民性とか民族性とかいう話は正直好きではない私ではあるが、

あなたの前では

素直に
この国に育った幸せを実感させられてしまう・・・


・・・ありがとう

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2007/06/08

小窓の映像

バラエティーなどにて、

多くの番組が
VTRを流しているとき画面隅に出す
スタジオ出演者の表情を載せた小窓の映像・・・

・・・

すみません、
アレは、
どうしても必要なモノなのでしょうか?

どうも私にはその辺がよくわからないのです。
アレを喜んで観ている人が
アレをうっとうしいと思っている人より多いとはどうしても思えない・・・
それなのに
どうしてあんなふうに出演者たちの表情を映すのでしょうか?
あんなことをされたら
映される側だって真摯な表情も嘘くさく見えて
かえって印象が悪くなるんじゃないですか?

そんなふうに私は思うのですが
その手の番組はちっとも衰退しない。
相変わらず花盛りなわけで、
それは一体何故なのか、いろいろ考えてみたくなったわけなのです。


まず考えられるのは、
一般にはうっとうしくても
熱烈なファンの視聴者には
少しでも自分の好きな出演者の表情が映るのは楽しみだから・・・ということ。
それに、
好きな出演者の露出度が上がることは
その番組への好感度を抱かせるからし・・・
(ここまでくるともはやファンというより身内の感覚ですね)

そして多分、
多く出演者たち自身が
そうやって自分の露出度が上がることを望んでいるんでしょう。
(まあ芸能人なら当然なことですが・・・)

うーん、
ということは結局、
そのVTRの内容よりも
出演する芸能人とその露出のほうを楽しみにしている一部の人のために
あの手の番組は存在しているというわけなのですね。
そしてもちろん、
その一部の人の数でノルマ(視聴率)は果たせるからこそ
可能なのでしょうが。


だから、それが嫌なら観なきゃいいんだよ・・・
アンタみたいな人は最初から勘定に入ってないんだから
どうぞご自由にチャンネルを変えちゃえば?

なるほど、ごもっとも。
そんなに嫌なら観なきゃいい。
わかります。


でも、
なんだかそういう芸能人の力に頼った番組って
どんなもんなんでしょうか?

企画力とか独創性とか地道な取材みたいに
めんどくさいものなんかやってられないよ。
人気のあるタレント連れてくりゃそれで
ある程度の数字が硬いんだからそれでいいんだよ

と、そうおっしゃりたいのかもしれませんが、
なんだか、

作る側としてさ、それでいいの?

なんて、
つまらないこと

ついつい聞いてみたくなっちゃう、私なのです。


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2007/06/05

近況報告にて

一年以上会っていない友人にメールを送った。

「お久しぶりです、お元気ですが?
うんぬんかんぬん・・・
と、まあ私はこんな感じに過ごしています。
そちらは如何・・・?」


彼女は忙しい人だから、
思ったとおり返信はすぐには来ない。


ひょっとしたら
このアドレスはもう確認していないのかも・・・
などと
あきらめかけていた頃、届いたメール。
・・・彼女からだった。

そこには、
返信が遅れたことへの侘びと自分の近況、そして次の一言。

「そちらはいろいろ楽しそうですね。」


・・・いろいろと楽しそう
        楽しそう

この一言を読んで、何故か無性に恥じ入った。

(いいえ、いいえ、
 そんなことなんかないんですよ。
 いかにも楽しそうに書き綴っただけなのです。
 アナタが
 ワタシよりももっと充実した日々を送っているだろうと思ったから、
 だから
 それに張り合いたかったのかもしれません)

そんな言葉がこみ上げて来て、
それをやっとの思いで呑み込む。


結びには
「ときどきメールでもしてください」
との文字。

が、
この恥ずかしさゆえ
それへの返信は、まだ打っていない・・・


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