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2007/06/26

状況の異なる者同士の間で友情は存続するのか?

ちょっと前にこんな文章を読みました。

それは、
子供のいる友人との付き合い方について書かれたもので、
こちらが独身時代のように付き合いたいと思っているにも関わらず、
子育て中の相手はなかなかそれができないという不満に対する意見が
綴られたもの・・・

「子育て中の友人が子供のことばかり話す」とか、
「せっかく会ったのに
相手が子供を連れてきて大人同士の話が出来なかった」
とかいう不満はよく耳にします。
だから、それ自体は別段どうということもない話題なのですが、
でもその文章が異色だったのは、
その不満に対して真っ向から対立姿勢をとっていること。
つまり、

「自分と境遇が変わった友人も受け入れられないなんて
そんな友情ってどうよ!
ホンモノの友情なら
友達の今置かれている状況や夢中になっている話題が
例えどんなものであっても共に楽しめるものでしょう?」

といった不満を持つ側への苦言を呈している点にありました。


なるほど、ね。

なかなかごもっともな意見です。
確かに人一人育てるってそれまでの人生をひっくり返すほど生活が変わるもの。
(実際それぐらいしなけりゃ子供なんて育てられないもんですし・・・)
そのまさに真っ只中にいる人が
そのことばかりに心を占められてしまうのは当たり前のことだし、
その状況は
例え子供のいない友人を前にしたって
はばかる必要なんかないのかもしれない。
そして
その辺のところを理解して受け入れるのが友人として当然のあるべき姿なのであり、
それができないようでは、
もうそれは友情なんてもんじゃないのかも・・・


・・・

ああでも、
確かにそれはそうなのですが、

それでもやはり私には、
境遇の違ってしまった人に対しての「はばかり」は
ある程度は必要なのでは?
と思われるのです。
例え、
それが無二の親友だとしても、
いや無二の親友だからこそ、
相手を慮ることは決しておろそかにしてはならないのだと・・・

わが身を振り返ってみても、
状況が変わっても付き合い続けられる人というのは、
それが互いに出来ている者同士だったからだと思うのですよね。
それが出来ない人とは、
残念ながらどんなに魅力的な人であっても
一時親しかった人にしか過ぎなくなってしまう・・・

結局
子供を連れてきたり、
子供の話ばかりする人が鬱陶しがられがちなのは
そのこと自体に原因があるというよりは、
それに対する相手の反応をまるで気にしていないという
その態度を取るケースが多々あるからなのではないでしょうか。
もちろん子供だけに限らず、
それは仕事でも趣味でも彼氏の話にも当てはまることですが・・・

人間の絆って
どんなに強いようでも
互いに結びついていようという意思がなければ
あっという間に崩れてしまうものだから・・・

だから、
会うたびにその意思を確認しあうこと、
その関係の更新確認をすることが必要なのでしょう。

つまり逆に言えば、
それを怠るということは、

もう更新の意思のないこと


見なされても仕方のないことなのかもしれません・・・

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