音楽を奏でる生活
子供のころ、
ピアノを習ったことがあった。
多分自分から習いたいと言ったのだと思う。
あまり裕福ではなかった我が家であったが、
親はだまってその要望を叶えてくれた。
家での練習用には、
母は少し無理をして電子オルガンを買ってくれた。
だが、
そこまでしてもらいながら
私のピアノのお稽古は長くは続かなかった。
バイエルの上巻、
両手で同じ調べを弾く練習あたりで私は敢無く挫折。
練習嫌いで家ではほとんど練習しないのだから、
さすがにレッスン中も肩身が狭い。
そんな日が続くと教室へ向かう足も重くなるのが当然だ。
教室に行く振りをして家の片隅にこっそり隠れているのが見つかったとき、
母は私にピアノをやめさせることにした。
不思議なことに、
母はこのなりゆきにほとんど非難めいた言葉をもらさなかった。
それどころか、
「やっぱりピアノを買ってやらなかったから、
・・・悪かったわねぇ」
などと自分を責めたりする。
己のことを親に対ししみじみ「情けない」と思ったのは、
人生においてこのときがが初めてだったのかもしれない。
こうした「情けなさ」が私に
ピアノへの未練を残したのだろうか。
矛盾しているようだが、
こんなにもあっさりと辞めてしまったくせに
私の中のピアノをはじめとする楽器への憧れは
その後も消えることはなかった。
・・・
月日は流れ、
今、我が家の居間にはピアノが置いてある。
結婚して娘が生まれたころ衝動買いしたもの。
もちろん自分で弾くつもりで教本なども用意したのだが、
乳飲み子を抱えているとピアノなんて優雅に弾いちゃいられない。
結局成長した娘もピアノを習わなかったから
誰も弾ける人のいない我が家には不似合いなピアノだけが残されているといった感じ。
それでもポツリポツリと子供たちは弾く。
学校の音楽の教科書などをひろげ、
指一本で弾いていたりする。
最近になり、
私もまたピアノを弾き始めた。
家族が出掛けてしまったあと、
自分の出勤前のほんの短い時間、CD付教本で練習する。
不器用な私に
右手と左手が別のメロディーを奏でるなど
絶対できないと思ったものだったが、
不思議と練習すればなんとかなるのだ。
(どうして子供の頃はそれが気付かなかったのだろう・・・?)
「ピアノが弾けるお母さん」
それが長いことの私の夢だった。
だが、
弾けなくとも
(=人様にお聴かせする腕がなくとも)
自分の楽しみで「ピアノを弾くお母さん」になることは簡単だったのだし、
弾けるのに「弾かないお母さん」も多い中
それが出来るのは大変貴重なことなのではないか。
だから、
というわけではないのだが、
私の夢は変わった。
「ピアノが弾けるお母さん」から
「ピアノを弾いてるお母さん」へ、と。
そうして、
音楽を奏でる生活って
案外手近にあるものだった・・・って
遅まきながら
今頃やっと気が付いたというところなのである。
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