このギルバートというのは、
ご存知L.M.モンゴメリの代表作「赤毛のアン」シリーズに出てくる青年のこと。
多くのアンシリーズファンのご多分に漏れず、
彼は少女時代の私にとっての夢の男性像であった。
そもそも私にとって
「赤毛のアン」シリーズを読んでみようと思ったきっかけというのが、
「どうも、この主人公のアンという子はどんどん成長していって、
幼馴染のギルバートとかいう青年と結婚するらしい」
ということを知ったことだったのだし・・・
実は
それ以前にも赤毛でソバカスの空想好きの少女アンのことを
私だって知っていた。
男の子と間違えられて孤児院からマシュウとマリラの兄妹の元へやって来たこと、
リンドのおばさんを怒らせた癇癪の話、
またはダイアナとの友情―その幼い妹を看病して救った話などは
学習雑誌で読んでいた。
だが、
それらは残念ながら
さほど夢中になるような話とは思えなかったのである。
だが、
ギルバートなる人物に興味を持ち
改めて学校の図書室にあるアンシリーズ10冊を次々と読んでいくと、
これが夢中になるほど面白い。
特にアンがギルバートと絡むシーンは本当にドキドキさせられた。
(アンの乗った小船が沈没しかけて彼に助けられるところや、
マシュウからもらったふくらんだ袖の服を着て舞台に立ったとき
ギルバートがアンの落とした花を密かに拾った話とか)
というわけで、
私のとっての「アンシリーズ」はギルバートの存在なくしてはありえないものだったのである。
そしてその極めつけがこの「ギルバート、口を開く」の章。
赤毛のアンシリーズ第3巻「アンの愛情」の中ほどのストーリーで、
ここでギルバートはアンに最初のプロポーズをするのだが、
手痛い拒絶にあうという筋書き。
で、
このプロポーズのシーンを
自分の部屋で一人コタツに当たりながら読んでいた垢抜けぬ中1の小娘(=私)は
自分がプロポーズされたかのごとく耳まで真っ赤になって
(その暑さで汗までかいて)
心臓をバクバクさせていたのだった。
当時の私といえば、少女マンガなどもそれなりに読んでいたし、
そんな告白のシーンはそこで目にしたこともあったはずだ。
もちろんアンシリーズなわけだから
ハーレクインロマンスみたいな
ものすごいロマンティックな文章が連なっていたわけでもない。
(ハーレクインは読んだことないのであくまでイメージだが)
だから今になって思うと
何故アレほどドキドキさせられたのか本当にわからないのだが、
それは即ち私という娘がギルバートという青年にそれほど夢中になっていたということの証拠なのかもしれない。
・・・だから、
だから
少し前のことだが
赤毛のアンシリーズについてのこんなレビューをアマゾンで目にしたとき
私は愕然としてしまった。
それは「アンは何故ギルバートを好きになったのか?」題された次のようなもの。
(以下引用文です)
「・・・最近読み返したところ、アンがギルバードを好きになった背景が全く見えないのにびっくり。
どきどきするような感情のたかぶりが感じられません。
隣の席に座ったこと、ギルバードが成績優秀であること、顔立ちが綺麗であること、礼儀正しいこと、はわかりますが、個性的な魅力には欠けた男性かも。
3高を求める現在女性と同じようです。
モンゴメリは家庭の事情もあって、若い頃を遊んでクラス余裕はなかったそうですから、経験不足が筆の走りを鈍らせるのかも。・・・ 」
・・・
大抵のレビュワーが、
口を揃えてこの作品を誉めそやしているのとは対照的なかなり辛口の評価。
でも、
いや、だからこそこの方の視点にはとても鋭いものが感じられる。
ううーん、
確かにこの方の書くとおり
ギルバートという人物像は
少女マンガの描く「理想の彼」のような存在であり、
または韓流を代表とする恋愛ドラマの相手役というにぴったりの
つまり
「ちょっと冷静に眺めてみると
表面的なところ以外『どこがいいの?』という役どころ」
なのかもしれない。
(ちなみに「アンの愛情」では
さらに王子様としての性格が色濃く現れているロイ・ガードナーなる人物が現れるが、
「住む世界の違うちょっと退屈な王子様より
身近でくつろげて気の合う幼馴染(=でもあくまでルックスは良い)
のほうが本当の運命の人だった」
という話は実は少女マンガの定番中の定番である。)
その後、
アンと結婚後のギルバートは果たせるかな
ますます退屈な男性振りを露呈していくように見える。
アンの夫としてまさに「たまに登場しては花を添える」程度の役回り。
どんどん自信をつけ美しく理想に近づくアンの忠実なる崇拝者であり続けるギルバート。
その扱いは
ギルバートあってのアンシリーズだと思っていた思春期の私にとっても
誠に歯がゆいものがあった。
そんなこんなを総合して考えてみると
やはり、
私にとってのアンシリーズとは
文学という枠の少女マンガに過ぎなかったのか・・・
そうなのかもしれない。
だが、
それはそれでいいのだろう。
笑っちゃうような幼い恋愛ごっこ。
下駄箱前片思いの彼に偶然会ってドキドキするような
そんな淡い思い。
そういうものを
やさしく育んだり
そんな昔を懐かしく思い出すのは
多分人間にとって、大切な心の糧になるものなのだろうから・・・
そういう意味でも
やはりこの物語は文学史上にとっても
決して子供だましなだけのものではない・・・
それだけは確かなこと、のようである。