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2007/08/31

真実の愛も現実問題とすると・・・

某国にひとりの王子がいた。
王位継承第1位にあたる彼は
当然年頃になるころには適当な配偶者をえらぶ義務をもっていた
(断っておくと、この「適当」というのは「未来の王妃」に相応しいという意味である)。
しかし悲しいかな、
彼が愛した女性は身分も低く到底王妃として認められないような女性。
かくて

王冠を選ぶか、愛を選ぶか、

と、彼は選択を迫られる。
ここで愛を選んでいれば、
拍手喝采、この愛のドラマもめでたく幕を閉じるのだろう。
が、かつて愛を選んで退位した大伯父に批判的であった王室のためにも
彼には恋人のために王冠を捨てることはできなかった。
それを知る恋人は王子との結婚をあきらめ別の男性と結婚し、
王子のほうも未来の王妃に相応しい身分ある女性を妻にする。
だが、
かつての恋人に心を残しての結婚生活は不毛なものでしかなかった。
恋人も同じだったのだろう、
心を偽って結婚した二組の夫婦は離婚という形でその終止符をうつことになる。
その後、
王子の元妃が不慮の事故に逢い他界するなどショッキングな事件など紆余曲折はあったが、
最終的には、
王子と恋人はその人生半ば過ぎに結ばれる。
・・・
結局、自分の心は偽れず、真実の愛はそういくつもあるものではなかったのだ。


なぁんてこう書くと、
結構な恋愛小説の筋書きみたいではありませんか?
10年前の今日亡くなった元英皇太子妃の不幸な結婚生活も
視点を変えるとこんなふうにも言えそうです。
もちろんこんなふうに綺麗ゴトでは済まない点も
多々あるとは思うのですが・・・
(たとえば、
ちょっと前なら王室に妃以外の愛人なんて
当たり前のことだったとか、
それを受け入れられない妃など実は想定外だったとか、
妃のほうだって純粋な恋愛感情だけで
結婚したわけでもなかったかもしれないとか、
ドロドロしたものも全く無かったとは言い切れないようですし・・・)

いずれにせよ、
他人、特に英国民でもない私がのような者が
いろいろこの件についていろいろ思いをめぐらせるなんて
ただの野次馬以外のなんでもないのです。
だた、
基本的にはダイアナ元妃に好意的な世論を支えている大衆って
裏を返すとチャールズ皇太子とカミラさんの
こうした身分の違いを超えた恋も結構好きだったりするわけで、

そういうのも何だか面白いもんだな

なんて思った次第でして・・・

真実の愛も現実問題とすると
とんだ悲劇や周囲の迷惑を引き起こしてしまうものなのかもしれませんね。
だから
小説や映画なんかで楽しんでいるうちが花なのかも・・・


それから全くの余談なのですが、
それでも私が一貫して
この元夫婦の関係については
夫であった方のほうに好意的な感情を持てない理由は、
案外とても小さな出来事に拠るものだったりするのです。

それは
彼らの婚約時代に行われたあるインタビューでの
「いろいろ彼に教えてもらわないと」というフィアンセの言葉に対する
皇太子の一言。

「えっ?僕が?
僕が教えるの?」

「そうよ、頼りにしているのよ」とフィアンセは笑って続けていたが、
その様子をテレビで見ていた私(当時高校生)には
まったくの余計なお世話ながら
「なんだよ、この二人大丈夫かな?」という不安が感じられずにいられなかったこと。

嫁に行く前の不安でいっぱいのウラ若い未来の妻に
この突き放した言い方はないだろうよ!
たとえこれがユーモアだとしても
こういうのを洒落たユーモアだと思っている人って
なんか大事なとこが欠けてんじゃない?

とまあ、
下賎な言い方をすればそんなことを思ったことが原因なのです。
(まあ相手がカミラさんだったとしたら
 そんなことを言わなかったのかもしれないし、
結局は愛情の薄さがつい外に出ちゃったってもんなのかもしれないですけどね。)

東のはずれの国の
異人種で異教徒(私は英国国教会信徒ではないので)の者のもった印象なんて
プリンス・オブ・ウェールズである高貴な方には
屁でもないのでしょうが(下品ですみません―汗)。

それでも
英国民の少なからずの人々が彼の王位継承には批判的だなんて、
私の感想もあながち的外れでもなかったのかな、
妙なところに
自信を感じたりする
昨今だったりするのです(苦笑)。

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2007/08/29

それでもまだ「書きたいこと」はありますか?

更新がすっかり滞り気味である。
夏バテのせいか、
3年も続けたブログのマンネリのせいか・・・

思うに
ちょっと前までは
「書きたいこと」が後から後から湧いてくるような勢いがあった。
世間を知らない子供のように何のはばかりもなく
例え陳腐で幼稚な考えでも
掲げて世に問えるような
向こう見ずなところもあった。

それが、今やすっかり影を潜めている。

ひとりの人間の考えることなど
そうそう多種多様に亘るわけでなし、
ちょっと思いついた考えや感想は何年か前に既に表明したものとなっている。
そんなことが多くなった今、
私には
「こんなこと書いたところで仕方ないし」
というブレーキがかかることが多くなった。

こういう変化は至極当たり前のこと。
多くのブロガーが
そうしてブログを卒業していく。
きっと皆
「それでもまだ『書きたいこと』はありますか?」
という問いかけを自分自身に投げかけながら、
それぞれの身の処し方を決めていったのであろう。


私もまた
自分自身に問いかける。

それでもまだ「書きたいこと」はありますか?


答えはYESでもNOでもなく
その「書きたいこと」そのものが浮かんで来るうちは
きっと大丈夫・・・


そんなふうに思う

夏の終わり、だ。


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2007/08/21

「あなたにとって親友とは?」

・・・昔、こんな番組があった。

芸能界などの著名人が
自分の交友関係のあるこれまた著名人をスタジオに呼び
番組司会の女性を含む3人でのトークをするというもの。
呼んだほうはその日でスタジオを去り
呼ばれたほうはその翌日にまた別の友人を呼ぶという
リレー形式で次々とゲストがやってくるわけだ。

他愛のない番組だったのだが、
印象にのこっているのが
番組ラストに友人を呼んだほうの著名人に、
司会が必ず尋ねる
「あなたにとって親友とは?」
という質問とその答え。

いやぁ、皆待ってましたとばかり
練りに練った凝った答えを用意している。
「○○のようなもの」という比喩を使う人、
「いつも傍にいるわけじゃないけど自分をわかってくれている人」
というように理想的に述べる人・・・
総じて、
格好つけていかにも「用意してきた」という言葉を並べるような人よりも
サラリと軽く言ってのける人のほうが
かえってぐっと心に入ってきたりして
なかなか難しいものだななどと思ったものだ。

多くの人がそうするように
私もまた、
誰かに尋ねられることなど永遠にないであろうに
自分の心の中でその質問の答えを
ゆっくりと考え続けていた。
時としてそれは、
「水のように空気のように邪魔にはならずそれでいて大切な存在」になったり、
「人生なくてはならないもの」というふうに変わったり、
「その人の前では自分が恥ずかしい存在になりたくない人」なんてものになったりもした。

そして今また
「親友」・「友人」についてその定義を考えてみる。
これは私だけのことなのかもしれないが
この年になってみると
もはやただの友達というものは存在しない。
かつて友達をいう枠にひとくくりにした人達は、
本当に心を許せる親友ともいうべき人か、
それか上辺だけの付き合いのただの知り合いかに分かれている・・・

そういう観点からすると
現時点での私にとっての親友というのは、

「道で偶然出会ったら
此方から手をふって声をかけたくなるひと」

以外の何者でもないらしい・・・


この定義、
私としては極めて単純で具体的なので気に入っているのだが、
それは自分がどんどん単純化しているようなその変化のためなのか、とも思う。

多分自分自身が
それ(=全ての物事の単純化)を望んでいるからなのだろうか?


それにしても、

現時点での私にとっては
「道で偶然出会ったら
此方から手をふって声をかけたくなるひと」
という存在が意外に少ないのには、

なんとも
うら寂しい気もするのだが・・・

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2007/08/10

徹底抗戦宣言!

・・・暑い日々が続いている。

この暑さを思い切り楽しむぐらいであれば、
何のことはないのだろうが、
残念ながら多くの人はそんな余裕もなくイライラを倍増させているようだ。
真夏日が続いた今週だけで
通勤中ささいな諍いに巻き込まれることが2回もあった。
過ごしやすい気候の時期であれば、
考えられないことである。

もちろんこちらが悪かった。
強引な自転車運転をしていたのは否定しない。
それでも
頭ごなしに罵倒されるほどのことであったのか。
忌々しげにツバをはき捨てられるほどのものであったのか。
どうも私にはそうは思えないのである。
多分、
半分は暑さのせい、
そして、
こちらが女で小柄でいかにも言い返しそうにない人間に見えたから
イライラした心を発散させるいい面当てと思い

思いっきり罵倒してやった、
ああ、いい気分
全く今日日の中年の女は図々しいにのもほどがある、
俺様は他のヤツとはちがい我慢なんかしやしない
悪いことは悪いとはっきりモノの言える男なんだよ

とばかり罵ったのではないのか?


じゃあこちらだって遠慮なんかしない。
あんたの発言は
冷静な注意や警告ではなくただの感情に任せた罵倒だ。
その態度はどう見たって失礼以外の何物でもなく、
それに対しこちらが感情を害したことは
きっちり伝えてやってしかるべきだ。


というわけで、
世の「不愉快を露にしてはっきりモノ言う輩」に対し
今日私は昂然と徹底抗戦を宣言をする。

はばかりもなく思ったことを口にして
俺は勇気があるんだなんて
思い上がるのもいい加減にしろ!
あんたのおかげでこうむったこっちの不愉快は、
きっちり落とし前つけて返してやる。
これを逆ギレと言うなら何とでも言ってくれて結構!


でも
願わくば

背中からブスリと刺してくるほど
イッちゃってる輩とは出会いたくないなぁ・・・

とまあ、
そんなことを考えると
どうも気弱ないつもの自分に戻ってしまう私・・・

結局
私の徹底抗戦宣言も
夏の暑さへのイライラに過ぎないのかもしれません。

・・・

ああ
どうか刃傷沙汰が起こらぬうちに
早く涼しい風が吹く秋にならないものでしょうか・・・


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2007/08/08

毒舌家の文章

どうも最近とみに、
毒舌家の文章が魅力的に感じられるようになってきた。

もちろん
むっとさせられることも多い。
「そりゃ、明らかにおかしいよ!」
と抗議をしたくなるような勘違い文章だって少なくない。
だが、その歯に衣着せぬ物言いは
どうにも魅力的で惹きつけられてしまうのだ。


あたかも
自分の抑圧された不満を代弁してもらっているかのようにでも錯覚するからだろうか?
それとも
例え自分の意見とは逆のものであったとしても
自分にはとてもできない断定と強固な主張に痛快さを感じるがゆえなのだろうか?

そのどちらもきっとあるのだろう。
とにかく
傷つけられるかもしれないことを十分知りながらも
その毒舌家たちから全く離れ去ることはなかなかできないでいることは確かだ。
もちろん近づくことも危険、
だから、付かず離れずという距離を保ちながら遠巻きに眺める。
その緊張感がなんとも好ましいのである。


ただ、
誠に残念なことなのだが、
毒舌家の文章と言うのは飽きがくるのも早いものなのだ。

最初は新鮮に映ったその切り口の鮮やかさも、
度重なると
常に不平不満を書き連ねている単なる意地悪な物言いにしか見えてこなくなってくる。
そうなると勝手なもので
潮が引くかのように
さーっと興味も失せてくるから、不思議なもの・・・


これは毒舌家に限ったことではないのかもしれないが、

書き手と読み手の関係って
実は本当に危ういものなのである。


そんな中、最後まで読んでくださったあなたへ
そのことに私は心から感謝を捧げたい、と思います

・・・ありがとうございます。


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2007/08/02

リンクを外す日、外される日

今日のテーマは
サイト運営者の多くが作成しているリンク集について、です。

まあ知人のサイトであるとか、
仕事上関連のあるサイトであるとか、
いろんな性質のものもあるのでしょうが
私の場合は
そのサイトの内容が気に入って

「みんなも読んでみてね、ここ面白いから・・・」

という「お薦めサイト紹介コーナー」的なとらえ方をしていることが多いですね。
実際
今愛読している多くのサイトも
どなたかのリンク集から知りえたものであるのがほとんど。
この存在は結構ありがたいものなのです。


だが、そんなリンク集も運営に当たっては
ちょっと厄介なことがある・・・
それはリンクの整理。

最初は極々少数だった我がリンク集も今や結構な数に上ってきています。
ここらで整理をしてすっきりさせたいものだと思っているのですが
実はこの整理がなかなかできるものではなく、
それが今現在の私のちょっとした憂鬱になっています。

つまりそう、
ありていに言うと

リンクって一度貼るとなかなか外すことができない・・・のです(苦笑)。


だって、
単なる気にしすぎなかもしれないのですが
やっぱりそのサイトの運営者に悪いような気がしますし・・・
わが身に置き換えてみても
自分のサイトへのリンクが削除されることはあまりいい気分ではないですから。
大体
「リンクさせてください」などと申し込んで承諾いただいた方には
「すみません、やっぱりはずしますね」なんて言えない、
そうかといって
黙って外すのだって小心の私には余計勇気がいるのですよ。


そんなこんなで最近は
我がリンク集では新規での追加がとんと無くなってきています。
とりあえず「お気に入り」に入れて楽しむほうが
余計な世話がなくていいから。
他のひとへの紹介が出来ないことは確かに残念ですけど、
確かに気は「楽」ですしね。


ああ、

気に入ったらそのサイトをリンクし、
思ったような魅力を感じなくなったら
さらりとはずす、
お互い変な遠慮はなしに、ね!

だなんて、
なかなか出来ることではありませんね。


顔が見えない
今も繋がっているか、いないかもわからない
そんな微妙な関係・・・ネット。

だからこそ、
そういう気遣いは
ひょっとしたら実社会よりも多いものなのかもしれません。

それらの気遣いの
全てを否定するわけでもないのですが、

我が小心ぶりになんだか情けなさを感じる、
今日この頃なのです・・・


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