「あなたにとって親友とは?」
・・・昔、こんな番組があった。
芸能界などの著名人が
自分の交友関係のあるこれまた著名人をスタジオに呼び
番組司会の女性を含む3人でのトークをするというもの。
呼んだほうはその日でスタジオを去り
呼ばれたほうはその翌日にまた別の友人を呼ぶという
リレー形式で次々とゲストがやってくるわけだ。
他愛のない番組だったのだが、
印象にのこっているのが
番組ラストに友人を呼んだほうの著名人に、
司会が必ず尋ねる
「あなたにとって親友とは?」
という質問とその答え。
いやぁ、皆待ってましたとばかり
練りに練った凝った答えを用意している。
「○○のようなもの」という比喩を使う人、
「いつも傍にいるわけじゃないけど自分をわかってくれている人」
というように理想的に述べる人・・・
総じて、
格好つけていかにも「用意してきた」という言葉を並べるような人よりも
サラリと軽く言ってのける人のほうが
かえってぐっと心に入ってきたりして
なかなか難しいものだななどと思ったものだ。
多くの人がそうするように
私もまた、
誰かに尋ねられることなど永遠にないであろうに
自分の心の中でその質問の答えを
ゆっくりと考え続けていた。
時としてそれは、
「水のように空気のように邪魔にはならずそれでいて大切な存在」になったり、
「人生なくてはならないもの」というふうに変わったり、
「その人の前では自分が恥ずかしい存在になりたくない人」なんてものになったりもした。
そして今また
「親友」・「友人」についてその定義を考えてみる。
これは私だけのことなのかもしれないが
この年になってみると
もはやただの友達というものは存在しない。
かつて友達をいう枠にひとくくりにした人達は、
本当に心を許せる親友ともいうべき人か、
それか上辺だけの付き合いのただの知り合いかに分かれている・・・
そういう観点からすると
現時点での私にとっての親友というのは、
「道で偶然出会ったら
此方から手をふって声をかけたくなるひと」
以外の何者でもないらしい・・・
この定義、
私としては極めて単純で具体的なので気に入っているのだが、
それは自分がどんどん単純化しているようなその変化のためなのか、とも思う。
多分自分自身が
それ(=全ての物事の単純化)を望んでいるからなのだろうか?
それにしても、
現時点での私にとっては
「道で偶然出会ったら
此方から手をふって声をかけたくなるひと」
という存在が意外に少ないのには、
なんとも
うら寂しい気もするのだが・・・
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