毒舌家の文章
どうも最近とみに、
毒舌家の文章が魅力的に感じられるようになってきた。
もちろん
むっとさせられることも多い。
「そりゃ、明らかにおかしいよ!」
と抗議をしたくなるような勘違い文章だって少なくない。
だが、その歯に衣着せぬ物言いは
どうにも魅力的で惹きつけられてしまうのだ。
あたかも
自分の抑圧された不満を代弁してもらっているかのようにでも錯覚するからだろうか?
それとも
例え自分の意見とは逆のものであったとしても
自分にはとてもできない断定と強固な主張に痛快さを感じるがゆえなのだろうか?
そのどちらもきっとあるのだろう。
とにかく
傷つけられるかもしれないことを十分知りながらも
その毒舌家たちから全く離れ去ることはなかなかできないでいることは確かだ。
もちろん近づくことも危険、
だから、付かず離れずという距離を保ちながら遠巻きに眺める。
その緊張感がなんとも好ましいのである。
ただ、
誠に残念なことなのだが、
毒舌家の文章と言うのは飽きがくるのも早いものなのだ。
最初は新鮮に映ったその切り口の鮮やかさも、
度重なると
常に不平不満を書き連ねている単なる意地悪な物言いにしか見えてこなくなってくる。
そうなると勝手なもので
潮が引くかのように
さーっと興味も失せてくるから、不思議なもの・・・
これは毒舌家に限ったことではないのかもしれないが、
書き手と読み手の関係って
実は本当に危ういものなのである。
そんな中、最後まで読んでくださったあなたへ
そのことに私は心から感謝を捧げたい、と思います
・・・ありがとうございます。
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