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2007/12/20

ナザレのヨセフ

今日偶然知ったのですが
こんな映画が公開になっているらしいです。
内容としては
イエス・キリストの母マリヤとその夫ヨセフの愛の物語らしい(?)のですが・・・

実のところ
この映画を劇場で鑑賞するとは思っていませんし、
DVD化されてレンタル開始となったとしても
借りるとも思えないのですが、

だけど、
だけど・・・

実は私はこんな映画が出来てくれて
大変嬉しいのです。

なぜかって?
それは私がナザレのヨハネという人に
昔から好意を抱いていたものだから・・・


父なる神と御子イエス、そしてその聖なる母マリヤ
こんな尋常ではない存在たちの中で
だたひとり、
ただの「善き人、正しき人」に過ぎなかった大工ヨセフ。
その彼が何を思い何を苦しみそしてその結果
全て受け入れるという覚悟をすることができたのか・・・
そのさまざまな葛藤に思いを巡らせるにつれ
本当に辛かったのだろうなと思えてならない・・・

ややもすると
聖母マリヤのみがクローズアップされる降誕の物語。
聖母の夫たるヨセフはちょっとしたお人よしとか
ただの信心深いだけ生真面目な人のように、
マリヤの「夫」というよりは「僕」のようにすら、
描かれてしまいがちでもある。

でも私には
きっと彼は男として夫としてマリヤを愛し守る覚悟を決めたのだと、
そう信じたいのです。

そうでなければ、
下賎な言い方ではあるが
多分歴史上最も有名な「寝取られ男」かのように思われている
彼があまりにも浮かばれない・・・


・・・

今日の記事は
ホントの話、
端くれとはいえキリスト教徒としては全くけしからん内容ですけど、

それほど
私はヨセフという人に少なからぬ好意を抱いているのです。

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2007/12/18

無償の愛

いつも訪問させてもらっているブログの記事とそのコメント欄を見て思ったこと・・・


それは、
子を亡くされた母の想いが綴られた記事と
その想いに触れるにあたり
「『いい子であること』が母に愛される条件だった自分は
母になることもなく今に至っているが
ひょっとしたら『本当の愛』というものを知らずに来てしまったのでは?」
という不安を語ったコメントだった。


このような心情を吐露した文面に遭遇すると
私は内心どきっとする。
そう、私もまた
我子も母である私に対しそのように思う日が来るのではないのか、
彼らに対する「無償の愛」に疑念を抱く日が来るのではないか
という不安をもっているのだから。

正直
母である自分は無償の愛を子供たちには与えてはいない。
確かに子供は可愛い。
可愛くて可愛くてたまらないと思う。
だが、思い通りにならないとき(まあ大体がそういうときなのだが)
そんなときはイライラもするしその存在自体を疎ましく思うことすらある。
そしてお決まりの
「こんなにやってあげてるのに!」という恨み言として爆発するのだ。
結果、
子供が私の顔色を気にするようになり、
あるいはいずれ呆れかえる日が来るのを分かっていながら、
その繰り返しの毎日。


だが、
子供はすごい。
こんなわがままですぐ癇癪を起こす短気な母を
どういうわけだが慕っている(少なくとも今のところは)。

何故?
生んでもらったからか?
おっぱいを与えてもらったからか?
風邪をひいたとき看病してもらったからか?
でもそれは
母にしてみれば
必ずしも慈愛に満ちた行為ばかりだったわけでもないのに・・・
多くの場合
涙とイライラとヒステリーの中で
しょうことなくやった行為だったりもしたのに・・・

私にとって怖いのは、
今は幼く無条件に懐いている子が
ある日私の正体に気が付き
幻滅しこの母を否定すること。

母親ってそんな勝手なもんじゃないんじゃないのか、とか?
もっと大きくて大らかで
子をあるがままに受け入れてくれるものなんじゃないのか?とか
こんな子供っぽい人じゃなく
もっと精神的に成熟した人が母であったらなぁ、とか。


このコメントを残された方が、
ご自分のお母上にどのような思いを抱いておられるのか?
その痛みがじんじんと伝わってくるようだ。


それでも
あなたのお母様への想いは
この文面から溢れていますよ・・・
あなたはとってもお母様に愛されたかったのですね・・・
・・・
その想いを抱いているだけでも
あなたは本当の「愛」を知っているのだと思います。


ああ・・・
やはり親よりも子供のほうがずっと純粋で
そして
すごい存在なんだということ

そのすごい存在ゆえに
ただの人が「親」となりえるのだ、と。

これは

そんな不安を抱えながらも
私が今までの拙い親業経験で実感した
数少ない「真理」のひとつ、

なのです。


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2007/12/14

「禿げ、熊・・・」の法則、破られる?

別に表題は文字化けでもなんでもないので、
ご安心の程を・・・

いや別に大した話でもないのですが、
やや遡る今週初めに
「某国大統領が後継者を指名」なんてニュースが流れたとき、
私がまず思い浮かべたのがこの
「禿げ・熊・・・」という言葉だったのですよ。
特に書くことも無かったので
それじゃ今日はひとつ
それについてでも書いてみようかと思ったものだから・・・

随分前になりますが
この某国の歴代権力者のお歴々を表してどこかの解説者が述べていたのが、
この言葉だったのですよ。
それがあんまり当を得ていたものですから、
いやホント笑っちゃうくらいにね・・・

つまり、
「革命の父」であるは「禿げ」であり
続く独裁者として名高いこの人は「熊」。
(リンクした画像が切り替わらない方へ、
窓は1度綴じてまた開くとスムーズに画像が見られます、
不自由おかけしてすみません。)
さらに超保守的専制的であったこの第一代「熊」氏の後を受けたのが、
比較的改革派とされるこちら
やっぱ、この方は「禿げ」ですよねぇ。
続くこちらは「熊」
そしてその長期政権の後を受けながらあっという間に亡くなってしまったこちらは・・・ほとんど表に出たお写真はひとつだけって感じだけど
この方も「熊」というよりは「禿げ」でしょう。
続いてやはり割と短命だった「熊」の彼、
そして最後の権力者となった「禿げ」氏の登場となるわけです。

ま、
「禿げ」系はおおむね開明的で
「熊」系は保守的閉鎖的って感じがそろっている辺りも
なんだか面白い。
(無責任なことを言うようですが、
あくまでイメージがですよ。
政策云々を論じるほど私も詳しくはないので・・・)
そしてその20世紀の大いなる実験であったその国家は
最後の「禿げ」氏の開放改革も虚しく
その幕を閉じたのでありました。


・・・

が、
驚いたことに
体制は滅びたのだが
そのあともこの
「禿げ・熊の法則」は続いているではありませんか!

最後の大統領をを追い落としたこの方はどう見ても「熊」だし、
つづいてのガミラス帝国デスラー総統に似たこの方は、
正真正銘の「禿げ」系です。

すごいぞ!
体制は滅んでもこの法則は生き延びているのか?
こうなると次は絶対「熊」が来るな!

と思っていたのですが、
うーんこの後継者とされた彼は「熊」ですかね・・・?
公開された写真を見てみる限り
これは「熊」系とは言えないお顔ですねぇ・・・

ああ、ついにこの法則も破られるときが来たのか、

なんてがっかりしていたのですが、
続くニュースを聞いてみると、
・・・
なんだ、
現大統領は首相の座について
引き続き実権を握るということのようではないですか!


なるほどねぇ、
となるとまだまだ「熊」系の出番は来ないというわけですな。

ま、
そんなお隣の国のことを
全くの他人事のように思っている私も不謹慎ですが、

これ、
結構面白いんですよね。


<お断り>
残念ながら歴代権力者の画像を全て見つけてリンクすることができず、
困っておりましたところ、
こんなページを発見いたしました。
ここに、アンドロポフ、チェルネンコ両氏の画像が掲載されていました。
(「ロシアにおけるつるふさの法則」)
結構有名なんですねこの法則。
ほかにも「ハゲフサの法則」としても名が通っているそうです。
お話としてはここで述べているものとかぶるところが多いですが、
よろしければ参考になさってください。

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2007/12/12

ハンナは黒人だったのか

去年の夏だったか、
夏休みの読書にと子供に「若草物語」を買ってやった。
そろそろ「こんなのも読めるだろう」と思ったからなのだが、
もちろん完訳ではなく小学生向きに要約されたもので挿絵もちょこちょこ入っている読みやすいものである。
で、懐かしさにそのページをぺらぺらと捲っていると、
ある挿絵に私はちょっと驚いた。

えー?
ばあやのハンナって黒人だったっけ?


ご存知「若草物語」は
作者オルコットの自伝的な小説であり四人姉妹の一年を描いた名作だ。
舞台となるマーチ家は南北戦争に行って今は不在の父、
その留守を守る気丈な母、そして四人の姉妹たち、そして家族同然のばあやハンナがいる。
このハンナが
この本では黒人の召使として描かれているのである。

確かに、
20年ぐらい前に放映になった「愛の若草物語」というアニメーションでハンナが黒人として描かれていたのは、私も知っている。
でもまあ、このアニメ番組は「若草物語」そのものというよりも
それを下地にいろいろエピソードを入れて1年間に膨らませて作ったものなのだから、
当時の南北戦争という社会背景を描くにも黒人という設定のほうがいいという
制作者側の意図によるアレンジだったのだろう、
という程度の認識しか私にはなかった。
(実際アメリカにおける映画化でも大体ハンナは白人の女優が演じてはいるみたいだし。)
だから、
本の挿絵に公然と「黒人ばあやハンナ」が描かれているのには驚かされた。
今や日本においては
「若草物語」のマーチ家の「ばあやハンナ」はほとんど
黒人であるということになっているのだろうか?
そして、
それは実際のところ、間違いではないのだろうか?

私が完訳の「若草物語」をに読んだのはもう随分昔のことではある。
だから詳細は大分忘れてしまってはいるが、
とはいえ、ハンナが黒人の召使だったなんて記憶は全くない。
私が見落としていただけなのか?
いやいや、
確かに原作よるとマーチ家のばあやハンナという人物は
メグが生まれたときからマーチ家にいる家族同然の存在とされているが、
こちらの記述によると
その外見や人種、国籍については何ら記述は無いということなのである。

つまり、
ハンナは白人でも黒人でも、またはネイティブ・アメリカンである可能性もあるというわけだ。

では、
実際のオルコット家においてはどうだったのだろう。
ハンナに相当するばあやはいたのか?
いたのだとしてその人は黒人だったのだろうか?
果たして
その当時オルコットの住んでいたニュー・イングランドでは
家族同然の黒人の使用人というのは普通の存在だったのだろうか?

調べてみると
作品の舞台となったコンコードの状況は不明であったが、
少なくとも彼女住んでいたこともあるボストンにおいても当時は
黒人はその時代にも既にそれなりの数居住していたのは確かだ。
その大体は貧しい労働者であり使用人であり船乗りであったらしい。
いずれにせよはっきりしているのは
北部においてもその当時黒人は
決して白人と同等の権利を有するものではなかったということ。
事実オルコットの父は
黒人の生徒を入学させたために学校を潰すはめに陥っている。
彼の娘であるオルコット自身も奴隷制反対論者となっているから、
彼女の描く親愛なるハンナも黒人である可能性は
全くあり得ないわけではないのかもしれない。

しかし、
どうも私にはこの家族同然のハンナばあやが黒人だったとは
思えないのである。

もし彼女が黒人だとしたら、
オルコットは何らかの形でそれを明記するのではないだろうか。
奴隷制反対論者としてなら尚のこと
黒人でありながら家族同然の存在として
ハンナが黒人であることをアピールをするのが、
当然なのではなかろうか?

が、彼女はそれをしていないのである。
奴隷制反対論者でありフェミニストという
革新的な女性文化人のオルコットではあるが、
彼女は自分自身の作品には政治的な匂いを微塵も感じさせず、
少女たちの夢と憧れと未来への可能性のみを描き続けた。

そんな彼女が描くやさしいハンナは

黒人である必要も
白人である必要も無い・・・

そんなふうに私は思うのだが、どうだろう?

そして
私としては
そのように政治色を排除した「若草物語」のほうが
好ましい気がしてならないのである。

かえって
そういう余計な要素を盛り込んでしまった誰かさん
―日本のアニメ制作者か出版関係者か知らないが―
その人たちに

「なんて野暮なことをしてくれたのだろう」

という
苛立たしい気分を感じこそ、すれ・・・


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2007/12/07

「ちょっと~してみることに・・・」

気になり始めると
どうにも止まらなくなる言葉がある。

例えば以前書いたこともある
「させて頂きます」とか、
「一応~ですけど」とか、
「~みたいな感じ」とか・・・

さて、最近気になり始めたのは、
「ちょっと~してみることにする」という言葉。
よく旅行番組なんぞで耳にしたり、
ネットの紀行文で目にする言葉だ。
(実は私も自分の旅日記などでよく使うフレーズだったりする)


「ちょっと歩いてみることにする」
「ちょっと入ってみることにする」
「ちょっとお話を聞いてみることにする」

ちょっと、ちょっと、ちょっと・・・

うーん・・・
いや、「自分でも使っているくせに」と言われそうだが、
どうも、あまりいい言葉とは思えない。
なんとなくスカした感じがするではないか。
いかにも「見知らぬ街をドキドキワクワクしながら歩くエトランゼ気分」を盛り上げる姑息なる小手先テクと言った感じだ。

そんなものを使うより、
ズバリ
「歩いた」
「入った」
「話を聞いた」
と表現したほうがずっといい。
勿体ぶっていない分スッキリと心に響くではないか。
そんな風に思うのは
偏屈で天邪鬼の私だけなのかもしれないが・・・


考えてみると
「ちょっと」という言葉は「斜に構えた自分」の姿勢を表しているのだろうし
「してみる」という言葉は英語で言うこところの“try to不定詞”、
つまり「試してみる」ということになるのだろう。
いろいろと好奇心に溢れて首を突っ込もう、
でもあくまでサラリとお洒落にネ・・・
という「旅慣れた好奇心」を如実に表すには最適の言葉なのかもしれない。

だが、
それを頻発させ
やたらと使うのはその新鮮さが失われるのである。
ここぞ、というときに使ってこその「トライ」であるのに
ただ時間があってたまたま目に付いたものにフラリと寄っただけのことに
大仰に
「してみることにした」
だなんて、
結局大袈裟なだけなんだよなぁ・・・
いちいち「ちょっと」だなんて腰掛っぽい姿勢で鼻を突っ込むところも
単なるカッコつけで好感持てないし・・・


思うに、
旅ってものは「日常を離れ夢の世界を歩く」という本当に贅沢な娯楽なのである。
だからこそ、
その辺の道を歩くのも食事をするのも
たまたま隣り合わせた人と会話するのも
ワクワク感や緊張感を伴う“try to”なのだというのもわかる。
だが、
それはあくまで自分の胸の中でのこと。
それを人に対し表現したいのなら、
少し冷静になって感動のメリハリをつけるべきであろう。
「ちょっと」だなんてカッコつけてる暇があるなら
よっぽどこういった冷静さをもつことのほうが
受け手の心にストレートに響く表現につながるはずだ。

だいたい
受け手というものは往々にして、
発信者のテンションには付いてなど来られないものなのだから・・・


もちろん、
これは世の紀行文作家や旅行番組制作者、
果てはリポーターの皆さんへの苦言であると同時に、

―いや同時というよりもほとんどは―

自分自身に対する戒めのようなもの、なのだが・・・

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2007/12/04

「流行」なんて、大嫌い・・・!

「今あなたの周りで流行っているもの、教えてください」とかなんとか・・・

そんな言葉がラジオから流れてくる。
流行語大賞が昨日発表になったからだろうか、
「はやり」だの「流行」だのそういう言葉がやたらと耳に付くのだ。


「流行」か・・・

なんでだろう、
わたしはこの「流行」というものがどうしても好きになれないでいる。
若いころはせいぜい苦手っていう程度だったのが、
今や微かな敵意すら感じるところまで来ているのだ。

なんであんなツマラナイものたちを
「流行」だからという理由だけで
こんなにももてはやすことが出来るだろうか?
それに振り回される自分達の姿が滑稽だなんて
本当に誰も気が付いていないのか?

たとえば
軍隊調のダイエット・ビデオとか
夏のころ流行った穴あきサンダルとか、
行列が今も続いているドーナツ屋とか・・・

結局
そういうモノたちって、
多分2,3年後にはきっと綺麗さっぱり忘れ去られていて、
「あーそんなものあったなぁ」って
たまに失笑とともに思い出されるぐらいのものでしかないのだし、
そのことを知らない人間なんて
この世に一人としていないはずなのに、である。

もちろん
流行が好きで追いかける人というのは、
多分それが廃れることを十分知っていて
それを承知で追いかけているのだろう。
彼らにとって大切なのは、
「流行のスタイルに身を固めている鏡に映る自分
(=流行を取り入れた結果)」
ではなく、
「流行を追い求めて敏感に風を感じる自分
(=流行ととも歩いているという感覚)」。

そういう意味では
彼等は流行に振り回されているのではなく
むしろ流行と共に歩いているのだ。
そして
この「振り回されている」という表現は
その流行の渦から離れた外野からの見解にしか過ぎない・・・


完全に流行の渦から外れている私のことだ。
だから「流行」というモノに対し
こんなにも否定的な見解を持っているのだろうけど、
しかし、
何故こんなにも他人が流行を追い求めている姿に不快感を覚えるのだろう。

彼らは彼らでそれで幸せなのだし、
そうすることで
この私に何の害も及ぼしてなどいないのに・・・


・・・
ひょっとして
疎外感、からなのか?

多くの人が共通に感じている価値観から漏れている
自分の価値観の不安ゆえなのか?


本当に
人間とは不思議なものである。

人と同じでは嫌なくせに、
そのくせ
人と同じでないことに異様なほどの不安をもつ。


結局、
私の「流行嫌い」とは
その「不安な心」の現われということなのかもしれません・・・


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