去年の夏だったか、
夏休みの読書にと子供に「若草物語」を買ってやった。
そろそろ「こんなのも読めるだろう」と思ったからなのだが、
もちろん完訳ではなく小学生向きに要約されたもので挿絵もちょこちょこ入っている読みやすいものである。
で、懐かしさにそのページをぺらぺらと捲っていると、
ある挿絵に私はちょっと驚いた。
えー?
ばあやのハンナって黒人だったっけ?
ご存知「若草物語」は
作者オルコットの自伝的な小説であり四人姉妹の一年を描いた名作だ。
舞台となるマーチ家は南北戦争に行って今は不在の父、
その留守を守る気丈な母、そして四人の姉妹たち、そして家族同然のばあやハンナがいる。
このハンナが
この本では黒人の召使として描かれているのである。
確かに、
20年ぐらい前に放映になった「愛の若草物語」というアニメーションでハンナが黒人として描かれていたのは、私も知っている。
でもまあ、このアニメ番組は「若草物語」そのものというよりも
それを下地にいろいろエピソードを入れて1年間に膨らませて作ったものなのだから、
当時の南北戦争という社会背景を描くにも黒人という設定のほうがいいという
制作者側の意図によるアレンジだったのだろう、
という程度の認識しか私にはなかった。
(実際アメリカにおける映画化でも大体ハンナは白人の女優が演じてはいるみたいだし。)
だから、
本の挿絵に公然と「黒人ばあやハンナ」が描かれているのには驚かされた。
今や日本においては
「若草物語」のマーチ家の「ばあやハンナ」はほとんど
黒人であるということになっているのだろうか?
そして、
それは実際のところ、間違いではないのだろうか?
私が完訳の「若草物語」をに読んだのはもう随分昔のことではある。
だから詳細は大分忘れてしまってはいるが、
とはいえ、ハンナが黒人の召使だったなんて記憶は全くない。
私が見落としていただけなのか?
いやいや、
確かに原作よるとマーチ家のばあやハンナという人物は
メグが生まれたときからマーチ家にいる家族同然の存在とされているが、
こちらの記述によると
その外見や人種、国籍については何ら記述は無いということなのである。
つまり、
ハンナは白人でも黒人でも、またはネイティブ・アメリカンである可能性もあるというわけだ。
では、
実際のオルコット家においてはどうだったのだろう。
ハンナに相当するばあやはいたのか?
いたのだとしてその人は黒人だったのだろうか?
果たして
その当時オルコットの住んでいたニュー・イングランドでは
家族同然の黒人の使用人というのは普通の存在だったのだろうか?
調べてみると
作品の舞台となったコンコードの状況は不明であったが、
少なくとも彼女住んでいたこともあるボストンにおいても当時は
黒人はその時代にも既にそれなりの数居住していたのは確かだ。
その大体は貧しい労働者であり使用人であり船乗りであったらしい。
いずれにせよはっきりしているのは
北部においてもその当時黒人は
決して白人と同等の権利を有するものではなかったということ。
事実オルコットの父は
黒人の生徒を入学させたために学校を潰すはめに陥っている。
彼の娘であるオルコット自身も奴隷制反対論者となっているから、
彼女の描く親愛なるハンナも黒人である可能性は
全くあり得ないわけではないのかもしれない。
しかし、
どうも私にはこの家族同然のハンナばあやが黒人だったとは
思えないのである。
もし彼女が黒人だとしたら、
オルコットは何らかの形でそれを明記するのではないだろうか。
奴隷制反対論者としてなら尚のこと
黒人でありながら家族同然の存在として
ハンナが黒人であることをアピールをするのが、
当然なのではなかろうか?
が、彼女はそれをしていないのである。
奴隷制反対論者でありフェミニストという
革新的な女性文化人のオルコットではあるが、
彼女は自分自身の作品には政治的な匂いを微塵も感じさせず、
少女たちの夢と憧れと未来への可能性のみを描き続けた。
そんな彼女が描くやさしいハンナは
黒人である必要も
白人である必要も無い・・・
そんなふうに私は思うのだが、どうだろう?
そして
私としては
そのように政治色を排除した「若草物語」のほうが
好ましい気がしてならないのである。
かえって
そういう余計な要素を盛り込んでしまった誰かさん
―日本のアニメ制作者か出版関係者か知らないが―
その人たちに
「なんて野暮なことをしてくれたのだろう」
という
苛立たしい気分を感じこそ、すれ・・・