無償の愛
いつも訪問させてもらっているブログの記事とそのコメント欄を見て思ったこと・・・
それは、
子を亡くされた母の想いが綴られた記事と
その想いに触れるにあたり
「『いい子であること』が母に愛される条件だった自分は
母になることもなく今に至っているが
ひょっとしたら『本当の愛』というものを知らずに来てしまったのでは?」
という不安を語ったコメントだった。
このような心情を吐露した文面に遭遇すると
私は内心どきっとする。
そう、私もまた
我子も母である私に対しそのように思う日が来るのではないのか、
彼らに対する「無償の愛」に疑念を抱く日が来るのではないか
という不安をもっているのだから。
正直
母である自分は無償の愛を子供たちには与えてはいない。
確かに子供は可愛い。
可愛くて可愛くてたまらないと思う。
だが、思い通りにならないとき(まあ大体がそういうときなのだが)
そんなときはイライラもするしその存在自体を疎ましく思うことすらある。
そしてお決まりの
「こんなにやってあげてるのに!」という恨み言として爆発するのだ。
結果、
子供が私の顔色を気にするようになり、
あるいはいずれ呆れかえる日が来るのを分かっていながら、
その繰り返しの毎日。
だが、
子供はすごい。
こんなわがままですぐ癇癪を起こす短気な母を
どういうわけだが慕っている(少なくとも今のところは)。
何故?
生んでもらったからか?
おっぱいを与えてもらったからか?
風邪をひいたとき看病してもらったからか?
でもそれは
母にしてみれば
必ずしも慈愛に満ちた行為ばかりだったわけでもないのに・・・
多くの場合
涙とイライラとヒステリーの中で
しょうことなくやった行為だったりもしたのに・・・
私にとって怖いのは、
今は幼く無条件に懐いている子が
ある日私の正体に気が付き
幻滅しこの母を否定すること。
母親ってそんな勝手なもんじゃないんじゃないのか、とか?
もっと大きくて大らかで
子をあるがままに受け入れてくれるものなんじゃないのか?とか
こんな子供っぽい人じゃなく
もっと精神的に成熟した人が母であったらなぁ、とか。
このコメントを残された方が、
ご自分のお母上にどのような思いを抱いておられるのか?
その痛みがじんじんと伝わってくるようだ。
それでも
あなたのお母様への想いは
この文面から溢れていますよ・・・
あなたはとってもお母様に愛されたかったのですね・・・
・・・
その想いを抱いているだけでも
あなたは本当の「愛」を知っているのだと思います。
ああ・・・
やはり親よりも子供のほうがずっと純粋で
そして
すごい存在なんだということ
そのすごい存在ゆえに
ただの人が「親」となりえるのだ、と。
これは
そんな不安を抱えながらも
私が今までの拙い親業経験で実感した
数少ない「真理」のひとつ、
なのです。
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