黙って「見なきゃいい」のだろうか?
よく聞きます、
「・・・最近のテレビはくだらない番組が多すぎる」って言葉。
確かにそのとおりです。
たとえば
おバカっぷりをウリ物にしたクイズ番組とか、
人をバカにすることで笑いをとるお笑い番組とか、
マンネリ化した内輪ネタでバカ騒ぎをするバラエティーとか・・・
もっとも「最近の」ってのはどうなんでしょう。
考えてみると
「テレビ番組がくだらない」のは「最近」に限った話ではない。
最近だけじゃなくて
実はテレビってはるか昔から
ずっと「下らない」と言われ続けているもののようでもあります。
ショッキングな事件を更に大げさに脚色して
しつこく追い回すワイドショー、なんてのは随分前からありますし、
少なくとも私の子供のころから
既に食べ物を粗末にするとかイジメを助長するとか
批判を浴びている番組は常に存在している。
そしてまたそれが皮肉なことに大変な人気番組だったりするのですよね。
コレは裏返せば
「テレビというものはくだらない」ということの証明なのかもしれません。
つまり
結局大衆というものは
テレビには「くだらない」番組を求めているということなのです。
なんといっても
番組を成立させるのは視聴率(=より多くの人の嗜好)なのですから。
さて、
そんなふうにテレビはくだらないものだというのに、
どうして今更ながら
「くだらない!」と文句を言い出す輩が出てくるものなのでしょうか?
どうして彼等は
〈黙って〉
チャンネルを替えるなり、
テレビのスイッチを切るなり、
もしくはもっと極端にテレビを捨ててしまうなり
のことができないのでしょうか?
きっと
彼等は知っているのでしょうね。
少数派の自分たちが黙って見るのをやめたところで
何ら世の中は変わりはしないことを。
世の中というものは
常により多数派とともにある。
だから少数派には黙ってただ去るより他に道は残されていないのです。
でも
そんな静かな抵抗では
自分たちの意見が
見識が
愚かなる者達への怒りが
とうてい納まりそうもない。
だから彼等は噛み付くのです。
無駄と分かっていながらも
単なる狭量のヒステリーと陰で笑われながらも・・・
そうです、
これはただのヒステリーやストレスの発散と同じこと・・・
「そんなに嫌なら黙って見なきゃいい・・・」
・・・
これも番組評についてのコメント欄などで
よく目にする言葉ですが、
物凄く冷静で的確な指摘であります。
これを言われたらぐうの音もでないくらい
至極もっともなご意見でもあります。
そう、見なきゃいい。
それも黙って見なきゃ誰にも迷惑かかりません。
・・・
でも
あえて言わせてください。
狭量でも
ただのヒステリーでも
ただの悪意に満ちた感情的意見に過ぎないにしても、
少数派の
まさにそういう鼻持ちならぬ無粋な輩の一人である私は、
今、声を大にして言いたい・・・
本当に
最近のテレビはくだらない番組が多すぎ・・・
しかも、
その量は確実に増えている・・・
って・・・
(うーん、
やはり「負け犬の遠吠え」っぽい感は
否めませんですが。)
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