« 己の「品格」を語る者 | トップページ | 黙って「見なきゃいい」のだろうか? »

2008/01/24

「ヒラリーの涙」と夫婦喧嘩

もういい加減古い話で恐縮なのだが、
ニューハンプシャー州のアメリカの大統領予備選にて
苦戦を強いられていたヒラリー・クリントン氏の涙が引き起こした
ある小さな事件について。

かつて「最も大統領にしたくない人は誰か」
というアンケートにダントツ首位となった
という彼女。
イメージとしては
「高飛車なリベラリスト」であり「強情なフェミニスト」であり
「鼻っ柱が強く嫌味な出来る女」である彼女を嫌う人は決して少なくない。
特に保守的な男性のウケは相当悪いようである。
そんな彼女のまさに「鬼の目に涙」は
人々にどのような反応を引き起こしたのだろうか。

たとえば
常日頃から「安直にリベラル=正義と信じている輩」を冷ややかに見ている
我が家の保守派である我が夫。
「決して嫌いなわけではない」と言い訳してはいるものの、
実はアンチ・ヒラリーの一派に属すると
私に見なされている人物である。
案の定彼はこの「涙を浮かべる」という1/8の記事に際し、
次のような意見をのたまわれたのだった。

夫:「ダメだな、始まったばかりの選挙戦にもう泣いているようじゃ」
私:「あー、それ?泣いちゃったって話でしょ?
  私は(ヒラリーさんも)可愛いトコあるんだなって
  かえって好感持っちゃったけどな・・・
  案外自分の好感度を上げる戦略なんじゃないの?
  自分も人間臭いところがあるっていうアピールっていうか・・・」
夫:「だって、日本人ならともかくアメリカ人がそんなことで
  好感もったりしないよ。
  こんな選挙戦中に泣いたところで
  弱さの証明にしかならないんだから
  はっきりいってマイナスにしかならないでしょ」
私:「(そりゃ極めて日本的な発想で悪うござんしたね、と
  ムッとしながら)
  へぇーそうですか。
  私は日本人にしかなったことがないからわからないけど、
  そうなんだ。
  じゃぁだめだね、ヒラリーさんは」

とまあ、私はこのようにブリブリ怒り出し、
このようにヒラリー・クリントンの涙は
極東のとある夫婦のささいな喧嘩という
「小さな事件」を引き起こしてしまったわけであった。
が、事態は私たちの予想とは違った方向へと進んでいく。

それこそ当初は
「泣くなんて弱さの表れ」とか、
「同情論をかうためのうそ泣きだ」
との否定的な意見もあったようだが、
蓋を開けてみれば
ヒラリー氏はニューハンプシャーでは劇的逆転勝利を収め、
続くネバダでも連勝とここのところ快調に飛ばしている。
ということは
彼女のあの涙は少なくともマイナス要因にはならなかったということか?
(とニヤリとする私)

夫:「意外と女性票が集まったみたいだね、
  ということは、涙も戦術だったってことかな」
私:「そうでしょうよ!(と得意げに)
  ま、アメリカ市民もその点じゃ
  日本人と大して変わらないってことなんじゃない?」

まったくそのようで、
日本人もアメリカ人もその点じゃあまり変わらないということのようである。
政策云々もさることながら人柄や好感度が大きくモノを言う。
まあ最後は好き嫌いの問題になるってことなのだ。

ちなみに私としては、
あの涙が心の底を垣間見せた本物であったとしても、
または選挙戦略として見せた偽りのものであったとしても、
彼女に対する反感は全く感じない。
本物であれば「そういう人間的一面もあるのだな」と好ましく思うし、
偽りのものであればその計算性をむしろ頼もしく思う。
(まあ、好き嫌いってのは理屈じゃないってことですな)

とはいえ、
選挙権のない外国人の私の好意を勝ち取ったなんて
ヒラリー氏にとっては何の意味も無いことだし、
どちらにせよ敵の多いヒラリー氏のこと、
これからも苦戦は続くであろう。

が、
今回の「涙騒動」は、

そんな敵の多いヒラリーを決して嫌いじゃない自分

を再発見するきっかけとなったようである。
(もちろん
だからと言って彼女を次期大統領にと
熱烈に支持しているわけでもないのだが)

そして、
夫のほうはというと、
自分の読みが外れヒラリー陣営には一本取られたような形にはなったが、
だからと言って彼女を見直すというわけでもなく、
やはりヒラリーという人物は好きになれないよう・・・


というわけで、

とりあえず
米大統領候補者の中にヒラリー・クリントン氏の名がある間しばらくは、
我が夫婦も
若干の緊張状態が続くようである。

だから
この問題にはあんまり入れ込まないよう、
ご用心、ご用心・・・

|

« 己の「品格」を語る者 | トップページ | 黙って「見なきゃいい」のだろうか? »