« クリスチャン嫌い | トップページ | 「ヒラリーの涙」と夫婦喧嘩 »

2008/01/17

己の「品格」を語る者

どうやらここ数年、「品格」がブームのようだ。

一昨年の流行語大賞「品格」の元となった「国家の品格」を皮切りに、
去年のベストセラーは「女性の品格」。
いわゆる古きよきモラルが崩れてしまったこの数十年、
この国の人々は皆
「品格」や「品位」といったものに飢えているということの現われなのかもしれない。

だが、私は未だにこれらの作品を読んでいないし、
この先読もうとも思わない。
まあ、ただの怠け者だからということなのだろうが、
そのほかにも
「読んだところであまり身になる話ではなさそう」というのが
正直な印象だからである。

大体、「国家・・・」のほうは、
ちょうど「美しい日本」なんて言っていたお坊ちゃん政治家の方と時期を同じくして世に広まった感があったので、
やや薄気味悪い気がして嫌だったし、
「女性・・・」のほうは、
ニ匹目のドジョウを狙った企画であるのがミエミエのネーミングに
辟易とした記憶しかない。

とはいえ、
これだけ売れているのだから
全くの無意味な本ではないのだろうし、
「今の日本人の自信の無さや礼儀しらずぶりを嘆かわしい」
と思っている人にはまさに我が意を得たりといった内容なのだろうとは推察する。


しかし、である。
しかし、このタイトルにある「品格」って言葉に
どうも私はひっかかってしまうのだ。
だいたい「品格」それも「己の品格」ってもの自体が
自らがそんなふうに語るべきものなのだろうか?
と思えてならないのである。
私が思う「品格」というものは
あくまで外から眺めた第三者が
その「有無」や「良し悪し」もしくは「上下」を判断するものであり、
自らを顧みて「自分(もしくは自国)に品格が云々」などというべきものではないのだ。

そんなわけでぶっちゃけた話、
「○○の品格が」なんて言い出すような輩は
「自分に品格が無いこと」を白状してしまっているような気がしてならないわけだ。
そもそも
「品格」や「品位」なんて言葉は
どうも他を見下すようなニュアンスが含まれているようで
それでなくとも嫌らしく響くものなんだし・・・。
(ちなみに辞書で調べてみると「品」とは「人柄」のことであり、
そういう意味では「品がいい」というのは
「多くの人にとって好ましい人柄」なのであり
「生まれ育ちの貴賎」とは全くの別物だったはずである。
その「品」に「格」や「位」といった
序列や上下関係を持ってくるのは
私には
どうも本意を違えてしまっていることように思えるのだが・・・)


いずれにても
マナーや礼儀にしろ
他の人に「不快感を与えない」ということが
本来の目的であるのだから、
日本人がその観点から
「情緒と形」を大切にして
論理一本やりで相手を攻撃したり捲くし立てないことを美点として
誇ることは決して悪いことではあるまい。
昔の女性が持っていた奥ゆかしい配慮の数々に光を当て
賞賛したり奨励することだって、である。

だが、
それはあくまで自分の心の中でやっているか、
自分の身近な人へ伝承するぐらいなところで
留めておくべきなのではなかろうか。
それを材料に本に書いて
デカデカと宣伝しガッツリ稼いでしまっては
せっかくの「品格」も台無し・・・

皆さんは
そんなふうに思いませんか、ね・・・

|

« クリスチャン嫌い | トップページ | 「ヒラリーの涙」と夫婦喧嘩 »