エコな生活の効果はいかに?
例えば日曜の夜に
環境問題を扱う報道やドキュメンタリーを見たとしましょう。
そこに映し出されるのは
氷が解けてしまったため
それまでの生き方ができなくなったホッキョクグマの
ガリガリに痩せこけた姿とか、
干ばつが続き既に無くなってしまった川の流れ跡とか
反対に海に沈んでしまいかけている
小さな島に暮らす人たちの姿など・・・
そういうものを見せられるとちょっと前までは
ああ、なんとかしなきゃ・・・
まずはエコバック使わなきゃ、
それからマイ箸も持ち歩かなきゃ、
今まで以上に節水・節電に努めなきゃ
とまあそんなことを考えたりしていたわけなのですが、
でも
どうも思ったように上手くいかない
最近とみにそんな気がしてきました。
前述のような報道もますます最近多くなってきましたから
個人的には環境問題に意識を持つ人は
以前よりずっと増えているのでしょう。
それにもかかわらず
CO2の削減は思ったようにはいかず、
「このままじゃいけない」という脅迫感だけが残る。
この脅迫感から「何かしなきゃ」と慌てて辺りを見回すのです。
だがそうやって見回したところで
具体的に自分の出来る「エコな生活」ときたら
どうもその危機感からは程遠く
能天気なほど気軽なものだったりする・・・
そこで生まれてくる素朴な疑問。
ほんとうにこの程度の努力-
エアコンの設定温度を夏は上げ冬は下げる
レジ袋を断る
ごみの分別をきちんとする
などという努力で地球を救うことなんてできるのでしょうか?
・・・
いや、
素人の私の意見ですから何の根拠も無いことですが、
どうもそれは無理のような気がしてしまうのですよね。
もし本当にこの危機的状況を回避したいのなら、
国家が戒厳令のようなものをひいて
エネルギー使用量とCO2の排出量を厳格な管理下の元におくしかない、
やはりそうでしょう。
このままいけば
いずれそういう日がくるのかもしれません。
だが今はまだその段階ではない。
何より60数億もの人を養うための経済を犠牲にしてまで
環境問題の全面解決に乗り出すわけにはいかないのです。
(だいたいそれをやったからって
本当に解決できるかも未知数なわけですから)
だから
「経済をも優先させた上で
出来うる限りの配慮を環境にはらう」
というその辺りが
今現在の落としどころということなのでしょうね。
そしてその落としどころが
企業としては環境に配慮した製品や
CO2を排出しないエネルギーの開発であり
個人としてはエアコンや箸やごみ分別といった小さな努力なわけなのでしょう。
それでも
それで環境問題が解決する日が来るとは到底思われないんですよね。
そういう技術の開発や小さな努力の積み重ねで
温暖化を食い止めようとする力と
温暖化のスピードはどう考えても
後者のほうが勝っているように思えてしまうから、
だからあくまで
こうした努力は実際の危機的状況
―例えば温暖化による気候変動で
全世界に暴風雨がふきまくり
世界経済がそれにより壊滅的打撃を受けるとか―
が訪れるまでの
いわば
気休めや自己満足のための努力にしか過ぎないのでは・・・?
そんなふうに私には思えてならないのです。
だからって
何もしないわけには勿論いかない
というのもわかっているのですが・・・
結局
みんなが
多分無駄と思いながらも
先の先を見ないようにして
気休めのような努力を繰り返す
その不毛さ・・・
環境問題の根の深さ、深刻さっていうのは、
とどのつまりは
そういうことなのかもしれません。
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