「いつでも観られる」のだけど
夕べ、
テレビも消して
「さてもうそろそろ寝ようか」という
午前1時前・・・
この深い時間に映画が始まる。
「バックドラフト」
ああ、コレ何回か観たことあるよ、なかなか面白いよね・・・
という私に夫もうなずく。
というわけでそのまま二人歯を磨きながら10分ほど鑑賞・・・
「もう寝なくっちゃ、」という私に
夫はうんとうなずき、
「やっぱり録画しておこう」と言い出した。
まず録画ボタンを押す。
続いて
「いつ録画を終了しますか?―この番組の最後まで」
と言うメッセージにもう一回ボタンを押せばいい。
このたった2つのボタンで
それだけで私たちは
テレビ局が一方的に私たちに押し付けている
「番組表」という時間ルールから開放されるわけだ。
つまり
たとえいつ放映されようと、私たちはいつでも好きなときに観られる・・・
いや、便利な時代になったものだ。
だが、
だがしかし
現在我が家のハードディスクには
こうやって録画してあるが未見の番組が常にいくつも存在している。
(そういえば先週末放映の「ロレンツォのオイル」もまだ観ていない。)
だって
「いつでも観られる」というのは
言い換えれば
「いつになっても焦って観る必要がない」ということだから・・・
そうして最終的には
ディスクの容量不足を理由に消されていく数々の番組たち。
・・・
その昔、
人気ラジオ番組「君の名は」が放送される時間帯は
銭湯がガラガラになったそうな・・・
そんな逸話が思い起こさた。
もちろん
便利になった世の中は歓迎されるべきものなのだけど
「いつでも観られる」という便利さ
を得たと同時に
「そのときにしか観られない」という緊張感や貴重さ
は
最早、永遠に失われてしまったのだな、と
無いものねだりの子供のようなことを
ふと、感じた夜だった。
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