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2008/03/07

モラルが生まれた訳

「結局さぁ、
良心とかモラルなんていったって、
それは集団で生きていくために人間自身が編み出した
世渡りの知恵にしか過ぎないんだよ」
と、彼女は言った。
これは
10数年前にキリスト教徒になった私に対し、
無神論者の友人が言い放った言葉。

つまり良心だの道徳だの、
それを拡大していったところの
「神」という名の絶対者というものだって
結局は人間が
その快適な集団生活を軋轢無く無難に乗り切っていくために
自分で創り出したものに過ぎない、
ということを言いたかったようだ。


うーむ、
残念ながら
そのときの私には
彼女の説に反論することは出来なかったし、
今だって仮にその話になったとしても
やはり反論できないでいることだろう。

だって彼女の説は
現世における神や正義の不在を思わせる
理不尽さに即したものであり、
私の「それでも私はキリストを信じる」という思いは
彼女の主張に比べあまりにも論理的ではないのだから。


それに
彼女の言葉に反発しながらも
これを聞いたとき
確かにそれも否定しきれないと思う自分もあったことも事実。
多分、
大方の日本人はそんなふうに考えているのではないかとも
実は思っているのだ。

そして
それと同時に

じゃあ、人が集団でつまり群れて生活するものでなかったら、

―トラやパンダのように
 単独でその生を全うするものであったとしたら―

この世に
モラルというものは生まれなかったのだろうか

という
新たな疑問が湧いてきたのである。

果たして
群れないもの
―社会を持たぬもの―からは
モラルや規律そして友愛などというものは
決して生まれないものなのだろうか・・・

ただひたすら一人で黙々と食し眠り
子孫を次代に残していくのみなのだろうか?

・・・


まあ、
自然界にある動物と
文明などを結びつけて考えること事態
既におかしなことではあるが・・・

何かと群れるのが苦手な
私としては、

群れ=社会というものが
モラルを生み、
人間を人たらしめた・・・


という事実に

ちょっと複雑な気分なのです。

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