唐突なる邪悪さが潜む世界
先日の光市の母子殺害事件の判決からというもの・・・
どういうわけか
いやおうも無く思い出されるのは
1989年の「女子高生コンクリート詰め殺人事件」なのです。
あまりに痛ましい事件だったため、
20年近くの年月が経った今も
その事件を知ったときの衝撃はわすれられません。
何の落ち度も無い被害者が
たまたまの不運で
ここまでの恐怖と苦痛を感じなければならなかったのかと思うと
今、
自分が普通に生きて暮らしていることさえも
ものすごい幸運の上に成り立っているような気すらしてくる・・・
・・・
あれから随分時が経ちましたが、
その後も
未成年者による残虐な犯罪は後を絶たず、
むしろ増加の傾向にあります。
こんな荒んだ世の中だから
子供を産むことなんかできない
こんな危険に満ちた世の中に
子供を送り出すなんてかわいそうだ
こんな声を聞くようになったのはいつごろからでしょうか。
基本的に、
「たとえどんな困難な時代であろうと、
子供は自らの意思によって生まれてくるものなのだ」と考える私は、
こういう親の一方的な判断で、
その誕生の機会を奪うことには強い抵抗感をもっているのですが、
その抵抗感ですら、
こうした数々の惨劇の前には吹き飛ばされかねない、
今そんな気分になってしまっています。
それだけ、
唐突で邪悪な思いが
この世のあちこちに息を潜めて存在しているということなのか、と・・・
我が子の帰宅が
いつも以上に待ち遠しく、
不安を抱えて待つ、今日この頃です。
| 固定リンク