« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008/09/24

私の愛すべき「最後の将軍」

司馬遼太郎の「最後の将軍」を読了。

300ページ足らずのさほど長くない小説。
会話や慶喜の私生活もほとんど出て来なく、
幕末のしかも幕府内の政情に焦点を絞ったその作風は
硬派で堅苦しく、
女性の目から見ると華やかな面白みに欠けるものなのかもしれません。
でも、
ドタバタとした幕末の政情が思いのほかスッキリ描かれていて、
「意外に分かりやすく楽しかった」
というのが私の大雑把な感想だったのでした。


天邪鬼な私としては
「この本を手にとったのは
今年の大河ドラマが『篤姫』だからってワケではない」
と言いたいところなのですが……
やはりそのせいであることは否めない……

どうも天璋院が主役だと
15代将軍慶喜は敵役って感じになってしまうのが
納得いかなくて。


本当に不思議なことなのですが、
歴史上の人物に対する好き嫌いの印象というものは
最初に抱いたものをなかなか捨てられないもの。

最初に好印象を持った人
―例えば私の場合明智光秀とか石田三成とか大村益次郎とか―が、
敵役として描かれている物語は
どうしても不平不満を抱いてしまうのです。


その点
この「最後の将軍」に描かれる
徳川慶喜像はさすがに主人公ですから。
しかも
ただ単純に主人公として美化して描かれているというよりは
むしろ
彼の「不気味で得体の知れない」その性格が強調されていて
彼のファンでもある私を十分満足させるものでした。


確かに
10年前の大河ドラマ「徳川慶喜」
分かりにくい、盛り上がりに欠けるという声が多く
失敗作品だったのかもしれないけど、

原作はなかなかよい……

こうしてみると
ドラマはやっぱり脚本家の力量にかかっているのかもしれませんね。
確かにドラマ化は難しい原作だったとは思いますが、
作り様によっては
もう少し面白いドラマになりそうだっただけに

かえすがえす残念、です。


|

2008/09/17

恋愛苦手体質にとっての結婚とは

「結婚して何が一番良かったかってさ、
そりゃ
『これから結婚しなくちゃ』ってことを
もう考えなくても良くなったことなんだよね……」


これは
結婚して間もない頃
時を同じくして結婚した友人が言っていた言葉。

(あぁ、本当にそのとおりだ……)と、
それを傍で聞いていた私は、
しみじみ感じたことを覚えています。


結婚の最大のメリットは
結婚しなきゃという脅迫感からの開放だったなんて、
考えるとおかしな話ですよね。
いや、おかしなというよりかなり皮肉な話というべきでしょうか。
でも
当時妙齢とされる年代に差し掛かった私たちには
「結婚しなきゃ」という内と外からのプレッシャーは
そりゃあ相当なもので
正直な話、
結婚なんて面倒なものが
気が付いたら終わってしまっていたら
これほどうれしいことはないと
当時の私は真剣に考えていたほどでした。
(そういえばこんな記事を昔書きましたね)
そんな私にとっては
結婚はまさに
「もう結婚のこと考えなくてもいいんだよ」というお墨付きを
天からご褒美として与えられたようなもので……
その幸せに浸っていた私は、
前述の友人の言葉に
深く深く頷いたものだったのです。

よく言われることですが、
勉強やスポーツや仕事はもちろん、
果ては友人や同僚・上司・部下とのコミュニケーション能力などですら
「こうすれば良い」というハウツーが世には満ち溢れているのに
恋愛のハウツーって、
確かなものは皆無といっていいくらい無い。
それなのに
それまでの学生時代は、
男の子になんぞうつつを抜かすより
勉強や運動に熱中することこそ良しとされていても、
学校を卒業した辺りから突然、
色恋に不得手なことが重大な欠点として取り沙汰されるようになり、
恋愛力の強化を強いられる。

でもそんなこと突然言われても、ね。
どこをどう頑張れば恋愛を成就できるのか
思春期から上手くその能力を育んできた一部の人たちを除くと
殆どの人間が途方にくれるわけなのです。
そして
真面目で律儀な人間であればあるほど
その難しさに絶望する。


恥ずかしい話ですが、
私は結婚後も
「これから結婚するにはどうしたらいいんだろう」と
思い悩む夢を何度かみることがありました。
10年ぐらい?
さすがに今となってはあんな夢をみることもなくなりましたが。

私にとっては
恋愛や結婚ってそれほどまでに
人生の一大ピンチだったんでしょうね。

運よく
夫のような人と家族になれたからこそ
言えることなのかもしれませんが
既婚者として「ホレタハレタ」とは関係ないところで
生きていられる状況に
心の底から感謝したいです。


やっぱり、
そういう意味では
結婚の最大のメリットって

「もう結婚しなくてもいい」ってこと?

これはかなり信憑性のある真実なのかもしれません。


|

2008/09/10

「グロテスク」な私

久しぶりに本を読んでいます。

桐野夏生の「グロテスク」

世にも美しい妹ユリコを持つ「わたし」は、ユリコと離れたい一心でQ女子高を受験して合格し、スイスに住む両親と離れて祖父とふたり暮らしを始める。エスカレーター式の名門Q女子高は厳然とした階級社会であった。佐藤和恵という同級生が美人しか入れないという噂のチアガール部に入ろうとして果たせず、苛立つのを、「わたし」は冷やかに見守る。
夏休み前に母が自殺したという国際電話が入る。ユリコが帰国するというので、「わたし」は愕然とする。同じQ女子高の中等部に編入したユリコは、その美貌でたちまち評判になるが、生物教師の息子木島と組んで学内で売春し、それがばれて退学になる。和恵はQ大学から大手のG建設に就職した。―そして二十年後、ユリコと和恵は渋谷の最下層の街娼として殺される。
(amazon-本書の内容より)

東電OL殺人事件を下敷きに
作者が「この世の差別のすべてを書いてやろう」と思いペンを執った作品。
確かに
ページを繰っていくとその中に
凄まじいばかりの登場人物たちの悪意が満ち溢れているのに圧倒されます。
とくに語り手である「わたし」の悪意は
無垢で純粋な読者には「吐き気」を引き起こさせるほど忌まわしいものがある。


でも、
私は心は彼女と同じようなドス黒いところがあるからなのでしょうか?
この語り手の「わたし」の尋常ではない悪意が
私には小気味よく感じられてならないのです。
正直、
エリート会社員であるが夜は娼婦として生きる和恵の「心の闇」についての記述より、
しがない中年フリーターとして世の中に悪意を振り撒く「わたし」の悪態のほうが私の興味を引いたのですよね。

どこにでもいる小市民で臆病者の私が
こんな邪悪さに共感するなんて
決して大きな声では言えないのですが。
この本がそれなりに受け入れられ評価を得ているのは、
ひょっとしたら
私のような心に毒をもつ人間が
私の想像以上にいるのかも……


そんな浅ましい喜びにかすかに打ち震えました。
語り手「わたし」の悪意が
読み手である私の中に入り込んでしまったような。


早く読了して
この悪意を振り払わなくては
そんな恐怖を感じました。


いや、冗談ではなく真面目な話……


|

2008/09/04

「キャラが立つ首相」がいいですか?

突然の首相辞任によりにわかに騒がしくなった永田町。
後継は、既に総裁選出馬を表明した
麻生幹事長が本命と言われているが、
「無投票で代表続投が決まっている民主とは違うんだ」
というとこを見せたいがための四苦八苦の調整が続けられているようである。
(茶番なのはミエミエって感じではあるが)

さて、
その本命と言われている麻生氏は
今回四度目の総裁選出馬となるわけだが、
多分今度こそ当選するんだろうなぁ……

考えてみるとこの3年ほど
夏の終わりには必ずと言っていいほど
この人の顔がテレビ画面上をチラつくようになっている。
確かに最初の総裁選は小泉VS橋本という本命のもと
単なるその他の対抗馬の一人に過ぎなかったが、
2回目の総裁選は安部氏の次点の2位
3回目の去年の総裁選では
当初の評判はほぼ確実に次期総裁って感じだったのに、
あれよあれよと言う間に
「ひょっこり出てきた福田氏に持って行かれちゃった」
というまさかの敗戦を喫してしまい、
まさに今回こそ三度目ならぬ四度目の正直と言った所なのだろう。

前回の総裁選のときには
自らの長所を「キャラが立っている」と評した麻生氏。
そういう意味では確かに
地味な福田さんに較べても
国民の評判も満更悪くないようだ。
ネットで見かけたある麻生氏支持者の評価によると、
「麻生氏の発言は常に明瞭であり、素人にもわかりやすい」
「主義主張が一貫している」
「『NO』と言える日本人である」
だとか。
2番目の「主義主張が一貫」というのは
正直どうだろうという気がしないでもないが、
確かに
「分かりやすい」、「ハッキリ物言う」というのは
彼のイメージとして既に定着している感がある。

でもなぁ、
ハッキリ物言うってのは彼の場合失言の多さ
野中広務氏への部落差別発言(本人は否定)やアルツハイマー発言
にも繋がっているようだし、
分かりやすいってのも
上手く都合に合わせて丸めこんで話しているからって
気もしなくもない。
(だってそんな簡単なモンじゃないんじゃないの?現実ってさ……)


結局
この人が好きで支持したり期待しているひとって、
彼がズバズバモノを言っているのを聞いて
鬱憤をはらしをしたいような人なんじゃないかな、と。

つまり
某都知事や、
大層なことを言ってた割には
メダルを逃して批判されまくってる某監督みたいな人のことを
「傲慢さもまた男らしさの現れ」として
好しとしているような人たち。
ちょっと子供っぽいっていうか、
そんな感じの人たちに担がれているだけの気がしてならないのだ。


もちろん、
それがこの国の大多数を占めているようなら
それはそれで仕方がないのかもしれないけど……
でも
ほんとうにそれでいいのかなって

そんな気がするのは私だけなだろうか。


本当のところ、
派手なキャラや発言による一時の人気やじゃなくて
もっと清濁併せ呑んでいける覚悟のあるような人こそを
選んでほしい気がするだが、

確かにそんな人、
ざっと見回してみたところで、
全く見当たらないというのが辛いところ、なのだが……


|

2008/09/02

「弱きものよ、汝の名は……」

子供はノビノビ育てよう…

いくらでも遊べるはずの小学校時代、
二度と来ないそのときを
目先の利益に飛びつくような受験勉強なんかで
犠牲にしちゃってもいいものだろうか?

勉強なんて
本人がやる気を起こしたときにこそ
やるべきなのだから。

10やそこらの遊び盛りの子供たちに
夕飯も食べさせずにマックの間食なんかでごまかしながら
9時過ぎまで塾で勉強させて、
そんなにまでして
得られる達成感や優越感なんて
一体どれほどのものだというのだろう、

だから、
うちでは中学受験などさせないわ。
そんな無理をさせなくたって
子供の可能性の芽を摘むなんてことになんか
絶対ならないと証明してみせる。

……


なぁんて、
そんな理想論をぶっているのも、子供が小学校の低学年ぐらいまで。

中、高学年と年が進むにつれて
ちょっと勉強に自信のある子の親たちは
どんどんどんどん進学塾の門をたたくようになる。

それが現実。

だって、ねぇ、

そう、やっぱり心配……


……やっぱりねぇ、
自分たちだけがのんびりして置いてきぼりをくうのは、
誰だって「ご免こうむりたいもの」だから。


こうして、
今日も理想よりも現実を選び
その信念(?)を曲げる、

「弱きものよ、汝の名は『母親』……」


|

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »