父親
―理性により「親」とならねばならない人たち
先週だったか、
よく訪問しているサイト管理者にお子さんが生まれたのだそうです。
その方は30代で男性。
文章の深さ、誠実さ、正直さに惹かれて訪問していたわけなのですが、
前々から時折その文面に表れる、
「自分は果たしていい親になれるのだろうか」という不安感が、
(ひょっとしたら近々お子さんが生まれるのかな、)
という予感を私に感じさせていました。
多分、男の方には特に大きいのかもしれませんね、
この、
「自分は果たしてちゃんとした親になれるのだろうか」
いう不安は……
以前から多くの人が言ってきたように、
10ヶ月もの間へその緒一本で赤ちゃんと繋がってきた後に対面する母子に対し、
突然小さな生き物を目の前に差し出され、
「さあ、今日からお父さんですよ」と言われる父親という存在は、
本当に不安であり、大変なのだと思います。
つまり
女は野生的に本能的に親になることが多いのに対し
男はより人工的で理性的に親となるより他がない
ということ。
自然界の多くの野生動物のオスたちが
子育てをしないように、
人間の男性は本来子育てなどしないものだったのでしょうから。
人間社会においても、
「父親」という役割は極めて新しいものであったはず。
逆に新しいものだからこそ、
果てしない悩みとそして期待もある、ともいえるのかもしれません。
で、私はずっと、
女として自然に
「母」というよりプリミティブな「親」として子に接することができることを、
ラッキーなことだと思っていました。
自分は
オムツ替えや授乳という七面倒くさい仕事をこなさねばならないとはいえ、
新しい「親」である「父親」に対して
絶対的に優位に立てる「母」という座にあぐらをかける女であることに、
安堵の胸をなでおろしていたのです。
でも、
新しい「親」である「父親」も
それはそれでいいものなのかも……
「この子に自分がなにをしてやれるか」
なんて思う間もなく子育てに追いまくられていた母親には見えないものが、
きっとこの新しいもうひとりの親である父親には
いっぱい見えているのでしょう。
我が家の新しい親(=夫)のほうは、
よく子育ての理想論のようなものを掲げては
古い親(=私)の失笑をかっていますが、
その青臭い理想論もまた、
子育てには
大切なものなのかもしれません……
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