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2009/02/26

自分以外の人間が愚かに見えて仕方がない

……表題は
随分と尊大な物言いで、
不愉快に感じられた方もいらっしゃるかもしれませんが……

ちょっと前に
「最近の若者にはこういう人が多い」なんていうことを書いて
ソコソコ話題になった本もありましたよね。
(新聞の宣伝欄でちょっと見かけましたが。)

そんな人がもしも身近にいたら、
非常に不愉快だし
そういう人は正直お近づきになりたくない

それが普通のひとの考えであり、良識というものなのでしょう。

でも、
何を隠そう、人前では良い人ぶって暮らしている私にもあるのですよ、
その不遜なる考え方、根拠のない有能感というやつが……

もちろん私は昨今の若者ではない。
中年のパートタイマー主婦、
社会的にはまるで身分の低い存在であります。


そんな取るに足らない人間なのに
例えば
つるんでばかりいるプチブル風の中年女性たちが愚かに見えて仕方ない、
自分の無能ぶりを売り物にしている芸能人が愚かに見えて仕方がない、
他にも
子供の優秀さをひけらかしたくて仕方ない教育ママが、
人の噂話で足を引っ張り合いたがる手合いが
権力にしがみついて離れようとしない政治家が、
何でも知っているかのように物語る評論家が
自分のいい加減さを棚に上げて部下のモタツキを嘲笑する上司が

ああ
この世に存在する自分を取り巻くほとんどのものが
疎ましく感じるときすらある……


いやですねぇ。
よっぽどイライラしているのでしょうか?


でも
世の中の多くの人は
ネコを被っているものの一皮向けば多かれ少なかれこんなもんなのではないか、と
そんなふうにも思っております。
過去に出会った数々の人々のちょっとした言葉の端々に
そういう気持ちの片鱗が見られることって
結構あるのですよね。


もちろん
人間自分が一番可愛くてそして自分が一番優れていると思わないと
逆に生きていけないものだから、

だから
むしろそれは「当然のもの」なのではないか、と考えている。
そう、私はこの「根拠のない有能感」を
それほどネガティブに考えてはいないのです。
(確かに
そういう気持ちをひた隠さず無防備にもおおっぴらにしてしまう人が
最近増えてきているのかもしれないし
それはそれで問題だとは思いますが)


こういうのを
開き直りっていうんでしょうか?

……

確かに
そう言われたとしても
返す言葉は何もありませんが、

これを読んだ何パーセントかの人が、
「ああ、私も同じかも」って思ってもらえたら、と思い書いてみました。


どうかこの文が
そういう方の目に触れることがありますように……


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2009/02/19

たとえあなたが賞賛しても
―”卵と壁”のスピーチを読んで

私は、村上春樹という作家をほとんど知りません。

彼の著作は読んだことがないし、
以前はよく村上龍とまちがえてとらえていたりすることもありました。
(ちなみに村上龍のほうもその著作を読んだことはないのですが、
これを読んで両作家の熱烈なファンの皆さんは
きっとあきれるか怒りを感じるのでしょうね―汗)

だから
今回のエルサレム賞受賞でいろいろ取り沙汰されていたことについても、
ほとんど興味なかったのです。
そもそも
こういった問題について著名な人物(文化人や芸能人)の発信する声明というものに
私はあまりいい印象を持っていないですしね。
そういう声明ってどうしても
安全な場所からの偽善的なパフォーマンスに過ぎないように見えてしまうんですよ。
多分その著名人のファンの方なら、
「ああやはり、この人はいいこと言うなぁ」って感銘を受けるんでしょうけど、
そうでない人間の心に響くというのは、
なかなかできることではないのでしょうね。

で、
このエルサレム賞云々という話題も
私がよく訪問するサイトでとりあげられていなければ、
多分何とも思わずにやり過ごしていたと思います。
きっと未だに
春樹と龍をごっちゃにする毎日を過ごしていたかもしれません。
でも、
そのサイトでは、
この問題に対する運営者の並々ならぬ熱い意見が綴られていた―
つまり
彼にとって
村上春樹という作家は非常に深い思い入れを持つ人だったようなのです。
彼は村上春樹のファンだったのでした。


実は、
私もファンなのですよ、そのサイトの。
「どれくらいのファンか」と問われれば
多分、その運営者が村上春樹のファンであるのと同じくらい熱烈な、
と言っていいかもしれません。
だって
その文章には数多くの多面に亘る思索や意見、悩みが描かれており
しかもその深さや重さが、私には「ちょうどいい」ぐらいのものなのです。
その「ちょうどよさ」が私にそのサイトを
大いに楽しませてくれるのです。


サイト運営者はこう語っています。
「この一連の話題から「村上春樹」という人間に興味を持ってくださった方は、ぜひ一度、作品を手にとってみていただければ嬉しいです。」

……すみません、
これほどの彼のファンと言っておきながら、
それでも多分、村上春樹は読まないと思います。
少なくとも今は読みたいとは思えない。


彼が苦労しながら全訳した村上春樹の授賞式のスピーチも読みましたが、
残念ながらさほどの感銘は受けませんでした。
もちろん作家としての真摯な姿勢やわかりやすさ、比喩の巧みさについては好感を持ちましたが、
村上ファンでもなんでもない人間にとって、
それはある著名な作家の人道的なスピーチのひとつにしか過ぎませんでした。


今更ながら思うことですが、
ファンである人であっても
他の人の崇拝するものをそのまま受け入れるのって
意外と難しいものなのかも……
同時に、
「この人は素晴らしいよ」と自分の崇拝対象を
別の人に伝えるのも
実は大方の場合上手くいっていないものなのかもしれません。


さて、
ここまで読んできてみて
そのサイトを知りたいと思われた方、
そんな奇特な方がいらしたら、
どうぞ、こちらをご覧になってみてください。

ある村上春樹ファンによる、エルサレム賞受賞スピーチ全文和訳 - 琥珀色の戯言


どうですか?

私がこの村上春樹のスピーチに抱いた感想以上の深い感銘を
このサイトは
あなたに与えてくれましたか?

そうだとしたら
うれしいし

そうでないとしても
それはやっぱりあなたの感じ方なので

それが一番いいんだと思います。

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2009/02/10

車輪の下、2009

冬日和の昼時、
彼女たちはひたすら待っていた。

たった十数分の待ち時間である。
だがその間には
わずかの談笑はあるものの
周囲はぴんと張り詰めた空気につつまれているのを
その場にいる誰もが感じていた。

と突如、その緊張感が
どやどやと騒がしい足音に破られる。

試験が終わったのだ。

会場から出てきたのは、
この日のために遊びたい盛りをじっと我慢して勉強を続けていた少年少女たち、
気のせいか誰もが12歳にしては少々分別臭く大人びた表情をしている。
待ち受けるのは
「どうだった?」という問いかけを懸命にこらえている
彼らの母親たち。
親と子はそれぞれ互いに見つけあうと
どことなくぎこちない表情で言葉少なに家路を急でいく。
またある者達は
わざとらしい明るさで何気ない風を装い肩なんぞを叩いたりしている。


この多くの親と子を見ていて
思い出したのは
ヘッセの「車輪の下」。

難関の神学校へ入学を果たした
痛々しいまでに繊細な少年ハンスの
苦悩と破滅の物語だ。


気をつけろ
気をつけろ
車輪の下に引き込まれないように

気をつけろ
気をつけろ
奴らに押しつぶされないように


これまではずっと
ハンスの側にいると思っていた。

なのに
今回初めて
いつの間にか
車輪の下に引きずり込もうとする側になっているかもしれない自分を感じたのだ。

最愛の息子を失い
呆けたようになりながらも
未だに訳がわからないでいる単純で愚かなハンスの父、
彼の予備軍は
実はここにまだたくさんいる。


だから、気をつけないと……

車輪の下に引きずり込まないように

大切なものを自ら潰してしまわないように

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