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2009/07/23

節子さん

節子さんは学級委員だった。
が、目立つタイプのリーダーではない。
むしろ地味な印象だ。
もちろん勉強はできる。
常に落ち着いて冷静な判断をする彼女に
クラスの皆の信頼も厚い。

何か問題が起こったとしても節子さんはあわてない。
話し合いの場になると、伏目がちにゆっくりと自分の意見を言う。
考え考えしゃべる節子さん。
淡々と、淡々と。

基本的に節子さんは孤独である。
クラスの全員と仲良しだが、同時に全員と疎遠でもある。
満遍なく誰とでも友達であるが特定の親しい友人もいない。
しかしそれをさびしいとは思わない。
そして「それを平気だ」とする力みも意地もない。


節子さん、
昔読んだ児童書「小説の書き方―一子の創作ノート」の、主人公ではなく脇役の少女。


当然彼女の描写も主人公のそれに比べると少なく
本当のところどんな子だったかなんて誰にもわからない。
上に綴った彼女の「ひととなり」も
ただ、
小学生のころの私が
想像を働かせて創り出したにすぎないものなわけだし。


それでも
その「節子さん」は私の憧れだった。

その後
節子という名を見聞きするだびに
彼女のことを思い出すほどに……

節子、というその名も
大好きになるくらいに……


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2009/07/16

似ていない子

子供が自分に似ていないということ

これは悲しむべきことなのだろうか
それとも喜ぶべきことなのだろうか


うちの子供は私に似ていない、のだと思う。
外見だけではなく
嗜好とかモノの価値観とかその他もろもろのところが。

地味地味だった私の思春期に比べると
この子のそれはまるで
ジブリの「耳をすませば」のように爽やかで明るい。
親としてそれを喜ばずしてなんとする!?

しかし
そうとわかっていながら
アウトサイダーの母は
一抹のもやもやを抱えるのだ。
自分の価値観の正当性とか
我慢の中にある美徳とか。


まあ、いい。

私がそのさえない青春時代から何かを得ることができたように、
この子も
そのきゃぴきゃぴした楽しい日々からも
何事かを会得していくのだろう。

だから
私も深く考えず
「子供の人生」という
このオプション人生を楽しませてもらえばいいのだ。

だって
それはひょっとしたら、
この私がもっと気の利いた子だったら送ったかもしれない人生
とも言えるから。

そして
自分とは違う人生を自分のとほぼ同じ熱心さで見つめられること
これは
天が授けてくれた
親業の最大のご褒美なのだと思うから……


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