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2009/08/20

みんなでお料理する憂鬱

女が集団で炊事をすると、少なからず起こる現象

一つ、仕事の奪い合い
  ……配膳のためのお玉、シャモジの争奪、
     皿や鍋等洗い物の争奪など
     つまんない仕事ほど必死になって確保しようとするのは
     サボっていたと後々非難されないための予防線なのか?
     とにかく、手持ち無沙汰の状態を
     他人に気取られてはならないのである
  
一つ、お世辞による互いの褒め合い
  ……料理の手際のよさ、味付けの絶妙さなど
     場の雰囲気を良くするための潤滑油として
     多々使われる方法だが、
     気心の知れない間では
     単なる互いの気疲れにつながる可能性も多い

一つ、お世辞の裏での互いの陰口
  ……上二つ現象によるかなりのストレスが
     寛容でなない精神状態を生み出すのか、
     この陰口は定番。
     確かにストレスの解消にはなるが、
     用心しないと墓穴を掘ることになる


……


この夏は
二つの大掛かりな炊事のお手伝いをする機会に遭遇。

ひとつは、街のスポーツ少年団の合宿、
もうひとつは、田舎での弔事。

このふたつは
集まってくる女性たちの年齢層も
住んでいる地域やその風習も全く違うのだけれど

いや、
こういう現象はびっくりするほど同じだった。


はぁ……


ひとりひとりは
いいひとたちなんだけれど、ねぇ

集団化すると
どうしてこうも変貌するものなのか……

いやはや
女ってやつはまったく……


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2009/08/12

その日、そのとき

……

その人にも
そのときはやって来た。

それは
多分瞬間的なものだったはず……
きっと苦しみはほとんどなかったのでは?

そう思うのは
残されたものの身勝手な願いなのだろう。
ほんとうのところは
誰にもわからず
だったひとりでその人は逝ってしまったのだから。


その瞬間が訪れたとき
あなたは思ったのでしょうか?
「ああ、これが『そのとき』なのだな」と。

そして、
わたしにも
「そのとき」が訪れたとき、
わたしはそのことを受け止めることができるのでしょうか?


そのとき
人生最後のとき


人とは、
生まれてからずっと

「そのとき」

が来るのを待っているものなのかもしれない。


恐れながらも
無意識のうちにずっと待ち続けているもの、

そんな気がしてならない。

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2009/08/06

「むかしは良かった」という錯覚

随分前に
どこかの地方の共同体の結束を特集した
番組をみたことがあった。

画面に映し出された村の人々は屈託なく
ある旧家の屋根の萱の葺き替えに勤しんでいた。
女性たちは炊き出しにおおわらわ。
その活気ある明るい風景に
「ここにはまだ、
多くの土地で失われつつある共同体が残っている」と、
そう、ナレーションは語る。


確かに
それは
ちょっと前までどこにでもある風景だった。

おじいちゃんがいておばあちゃんがいて
おとうちゃん、おかあちゃんがいる。
おとうちゃんの兄弟のおじちゃんおばちゃん、
そしてたくさんのぼくの兄弟たち。
そんな多くの家族がひしめき合って暮らす広い囲炉裏端。
近所の人は
おすそ分けのおかずや野菜を手に、
ノックもせずにガラリと戸を開け勝手に上がり、
ご飯を一緒に食べ酒を飲んで帰っていく。

どこからどこまでが家族で
どこからどこまでが親戚か
そんなことも曖昧だった時代。


今、そんな失われた風景を
多くの人は懐かしく美しく思い起こす。
それに比べて
小さく閉鎖的な今の家庭はなんと無味乾燥なものであるか!、と嘆くのだ。


だけど
私は知っている。

そんな共同体の中に生まれてからずっと首までどっぷりつかっていた義母が
そのわずらわしさに
毎日のようにため息をついていたことを……


だから
「むかしは良かった」
なんて無責任な綺麗ごとは間違っても言わないで。


この冷たい核家族中心の社会は

私たちの多くがその暖かい共同体生活を
プライバシーがなく自由のないものとみなし、
疎ましく思い退けた結果
創られたものなのだから……

失われたものを
美化し懐かしむのは有りがちなことだが、

それは
かつてあった現実の姿とは全く別物の絵空事、

にしかすぎないのだから……


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