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2009/09/15

究極の安楽なる生活

既に随分前になりますが、
今年の初めに
「ウォーリー」という映画を観たことがありました。
人が汚して見捨ててしまった地球を
ひとりひたすら掃除をし続けるロボットの物語。
話としては
それほど目新しいものもない
ごく普通の心温まる家族向けムービーだった気がします。

でも、
そのありがちなストーリーの中に
ひとつだけ私に強烈な印象を残したものがありました。

それは
地球を捨てたあと快適な宇宙船の中で送っていた
人類の生活のさま…


彼らはね、
皆ホバークラフトみたいな動くカウチに座ったまま
テレビを見ているのですよ、
朝から晩まで。
全然動かないから丸々と太って、
シェイクのような流動食を飲み込みながら
日がな一日画面を見続けている…


ああ、
なんだかなぁ

(これが人間が望む究極の安楽な生活ってものなのか)

って、涙が出る思いがしました。


完全に他の人との関係を絶った
孤独な安楽。


確かに
他人と触れ合うことは
楽しいこともあるけれど面倒なこともある。
時には深く傷つくことも…
一方
テレビやゲームに情報や娯楽を与えられるのみの
完全に受身の生活には
そんな面倒はないし危険性もない。

結局
「そんな他人に傷つけられるかもしれない」
というリスクを侵してまで
みんなで団子になってくっついて生きてきたのは
もちろんそうしないと「生きらなかったから」に
過ぎなかったのでは?
そうだとしたら
本当に豊かになり
―即ちもう
 人類が最後の一人までちゃんと生きられる食糧や環境が
 既に全て整備され尽くされ
 飢餓や病の心配から完全に解放された―
としたら
人は一体どうするのでしょう?

人間は純粋に自分の安楽のみを追及し
このような孤独な安楽を
果たして選ぶのでしょうか。


実際
こんな生活を送るようになるなんて
多分絶対有り得ないはず…
人間はそこまで受身にはなりきれないし
他人との触れ合いや他人に認めてもらうことに対する欲望も
捨てきれるようなものでもないとも思うのですが。


それでも
じっと下を向いてゲームにのめり込んでいる子供の姿や
起き抜けにまずスイッチを入れ
服も着替えずに
そのあと何時間もダラダラとテレビを見続ける若者の姿をみるにつけ

ああ、
この人たちにとっては
恋愛とか友情とかも面倒な部類に入るのかもな

なんて
そんなことを思っちゃったりするのです。


生きる力ってものが
どんどん少なくなっている
人間という種の衰退ってヤツなんですかね。

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2009/09/03

惜しみのセンチメンタリズム

夏が終わる。
しかも意外にもあっさりと…

始まる前は
過酷な灼熱の日々を予想し、
その暑さにウンザリしまくる自分の姿さえ心に描いていた、というのに
この後切れのよさはなんとしたことだろう。

もちろん
これで暑さが遠のいたなんて甘い考えはない。
この街では
夏日なんてものは
10月半ばまでいつ起こっても全然不思議じゃないのだし
蚊の来襲も11月の声を聞くまでは油断をしてはならない。

それでも
夏は終わったのだ。
これからはいくら暑くたってなんだって
所詮は「残暑」であり「秋暑し」だ。


「♪ゆく春はとめられない」
古い映画の挿入歌にそんな一節があった。

「同じ春は二度と来ないんですよ」
これも愛読した小説のひとこまだ。


春だけじゃない。
夏だって秋だって冬だって
いや季節だけじゃない
月や日、もっと短いこの瞬間瞬間それぞれが
同じものは二度と来ないのだし
とどめておくことももちろんできないのだ

だからこそ
人はみな過去を惜しむ、
未練たらしく、女女しく、ぐずぐずと
いつまでもいつまでも…


………


この夏は
二度とこない夏、
今日のこの日も二度と来ない日。


それでも
そうとわかっていても無駄に費やしてしまう。
それが
人生ってモノなんだからしょうがない。

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